AIはマネージャーの仕事を奪うのか?

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単純作業はAIに置き換えられていく

若干下火にはなってきたけれど、「AIが人間の仕事を奪う」という議論がある。

そうだろうな、というのが僕の意見である。

ただ、多くの人達がイメージしているAIというのは、汎用人工知能の話であって、僕はその実現は難しい(もしくはかなり先)であると考えている。

そういう意味では、ここでの議論の対象は特化型AIの話であると言える。

僕はAIというものを「外部脳」みたいなイメージで捉えていて、現在グーグルなどで検索していることを、もう少し脳と一体化しながらできるようになる、というような感じで考えている。

だから、単純作業反復作業定型的な仕事というのは、AIに置き換えられていくだろう。

毎日おんなじことをやるのは機械の方が圧倒的に優れているから。

ではマネジメントはどうだろうか?

僕はそうではないと考えている。

今日はそんな話だ。

マネジメントとは生身の人間を相手にすること

マネジメントという仕事を日々やっていると、つくづく「人」に関する仕事であるということを感じる。

僕らが相手にするのは生身の人間で、その時々によって大きく揺れ動いていく。

感情も思考も。

それが複数人集まると、更に様々な反応が巻き起こる。

表面上言っていることがその逆の意味であったり、ダブルミーニングであったり、本人すら意識していなかったりするなど、何を元に判断をしていけばいいのか迷うことの連続である。

バイタル値の可視化

これはAI化によって、ある程度の助けにはなるのかもしれない。

感情の変化によるバイタル値みたいなものが可視化されたり、脳波の動きがグラフ化されたり、補助的に相手の状況がわかるようになるのかもしれない。

でも、最終的な判断は人間が行うのだ、きっと。

数値化されたものと自身の感覚に乖離がある場合もあるだろうし、前後関係を含めて、その時にどちらに比重を置くかを判断するのはAI単独ではかなり難しいだろう。

これは(例えが適切かわからないが)ウソ発見器をどう判断するかみたいなイメージになるのかもしれない。

血圧が上がったから、とか、脳波が動いたから、必ずしも感情が1つものに定められるわけではないと僕は思っている。

ある程度の揺らぎの中に、感情はあるのだ。

その中でどのように部下と接していくか。

AIでできるにはまだ時間がかかるだろう。

相手がAIとわかっていても、人間と同じように接することはできるのか?

もっと言うと、僕らが相手をAIと認識した時に、どのように反応するかというデータが少ないこともここには関係している。

SiriやAlexaと会話する時に、僕らはそれが人間だとはハナから思っていない。

機械だと思って接している。

もしかしたら技術の進展によって、人間とAIの区別がつかないくらいの精度になっていくのかもしれない。

それでも、話す相手が生身の人間であるか、AIであるか、というのは大きな違いとして残るのではないか、と僕は考えている。

人間の医師とAIの医師

これは(よく言われる話だけれど)重要な判断の場面で試されるものである。

例えば人間の医師AIの医師がいて、AI医師が判断したことをそのままの状態で受け入れられる人はあまり多くはないだろう。

何らかの介在、例えば人間の医師がAIの医師の判断を元に最終的な診断を下す、方が安心するだろう。

このイメージが僕の「外部脳」という例えに繋がってくる。

AIは疲れないし、正しい。けれど…

人間の判断の精度は低い。

熟練した医師であったとしても判断のミスは起こるし、その医師の体調や気分、午前の早い時間か午後の遅い時間(疲れ具合)によっても判断は大きく異なる。

それに比べてAIの判断は一定だ。

AIは疲れないし、気分も変わらない。

でも、だからこそ、僕らは全幅の信頼は置かないのだろうと思う。

AIマネージャーが「これをやりなさい」と言ったことは正しいことなのかもしれない。

でも、いつも言うように「正しいからと言って人間が動くわけではない」のである。

マネジメントが数値化された後には感情が重要となるはず

僕はマネジメントには数値化が必要であると思っている。

それは現在のマネジメントは感情に寄り過ぎていると思うからである。

ただ、それが完全に数値化(AI化)された時、大事になってくるのはたぶん感情なのだろうと僕は思っている。

これは逆説的だけれど、きっとそうなのだ。

AIマネージャーは現在の状況を的確に捉え、正しい指示をするのだろう。

でも、AI自身が実際の仕事をするわけではない。

一緒に間違えたり、試行錯誤したり、怒られたりするわけではない。

でもこの思考の過程にこそ信頼感というのは出てくるのである。

AI的マネージャーへの違和感

僕が「正しいことを言うマネージャー」に一定の違和感を覚えるのは、この辺のことが関係してくる。

現代のマネージャー達は、自身をAI化しようとする傾向がある。

それは間違っている訳ではない。

ただ、それで部下がついてくるかどうかというのは別問題であるのだ。

もちろんバランスの問題ではある。

でも来るべきAI時代に、マネージャーが(わざわざ)人間であるという価値を考えると、あまりそちら側に寄らない方がいいのではないかと僕は思っている。

もちろん感情だけに頼るのは論外だ。

ただ、「あまりにも機械的になってもいけないのでは?」「同じ土壌ならAIの方が優秀なのでは?」とは思ってしまうのである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

若いマネージャーと話すと、「優秀なのに惜しいなあ…」と思うことが多いです。

それは「感情の欠落」に近い感覚です。

彼(彼女)らは、僕から見ると他人への共感能力がやや低い。

それは仲間内では顕在化されないのでしょうけれど、多くの年上の部下と接するマネージャーという仕事においては残念ながら大きな欠点となり得ます。

正しいことが正しいとは限りません。

正しさはカウンターサイドを生みます。

それはきっとAIも一緒です。

AIに負けないよう、共感能力を磨いていきましょう。