客観的な自己評価を

UnsplashRishabh Dharmaniが撮影した写真

等距離・等身大の自分

自分を客観的に見る。

それはとても難しいことではある。

でも、それができないと、仕事は(もしかしたら人生も)難しくなる。

そんなことを思う時がある。

近すぎもせず、遠すぎもせず、等距離で、等身大の自分を見ること。

それに合わせた振る舞いをすること。

今日はそんなことを書いていく。

「来ちゃった♡」

部下とキャリアの話をすることがある。

その度に、「ズレてんなあー」と思う。

もちろん大なり小なり自分の評価というのはズレるものではある(それは僕だってそうだ)。

ただ、そのズレがあまりにも大き過ぎる人が多いような気がするのだ。

若いうちなら話はわかる。

「自分は何にでもなれる」という感覚を持つのは若者の特権ですらあるから。

でも、ある程度の年齢、キャリアを重ねた人なら、否が応でも修正せざるを得ないと思うのだけれど、「そのまま来ちゃった」人が結構いるのだ。

厳しいことを厳しいままの状態で言えない社会情勢

これは上司があまり強く言えない(言ってはいけない)という社会情勢も関係しているように思う。

指導とハラスメントの境界は難しくて、ましてやマイナスのバイアスが大きくかかっている現在の環境においては、わざわざ厳しいことを言うだけの動機は上司側にはないのも事実である。

「お前の為を思って」というのは通用しない。

費用対効果が悪すぎる。

だから、「ふんわり」とした話をしてお茶を濁しておく。

良いとか悪いとかそういう話ではなくて、自己防衛を図る為にも、ある種仕方のないことなのだ、きっと。

現実を見ましょうね

ただ、それが続いた結果、自分を過大評価した人達が溢れることになった。

いい歳して、まだまだ可能性は無限大であると思っている、というか。

現実を見ろよ。

それができなければ、キャリアを築いていくことなんてできないぜ?

勘違いは必要。でもさ…

もちろん、ある程度の「勘違い」というのは必要だ。

自分に自信を付ける上でも、ちょっとくらいのズレはむしろ必要ですらある。

でもさ、というのが今日の話である。

それが演技であることくらいはわかっておけよ、と僕は思うのだ。

できる・できない。好き・嫌い。

ある程度の年齢を重ねていくと、仕事との距離感が掴めてくるようになる。

自分はどのような仕事が得意なのか、または不得意なのか、がわかってくる。

これは若い頃の評価とは異なる場合も多い。

自分では不得意だと思っていても周りからの評価が高かったり、得意だと思っていたものがそうでもなかったり。

そのような経験を重ねる中で、大体自分の実力はこんな感じ、ということがわかってくるものだ。

もちろん、ここには「好き嫌い」の要素も入ってくる。

得意であっても嫌いなものはあるし、逆も然りだ。

その中でどのくらいなら許容できるのかを勘案して、自分の進むべき方向を決めていく。

それがキャリアの考え方であると思う。

客観的な自己評価をする為には?

でも、元々の自己評価がズレているのであれば、指針なんて定めることはできないのである。

まずは冷徹に客観的に、ありのままの自分を評価すること。

そこから色々なパラメータを調整していくのである。

狂った方位磁針を持ったままでは、進路なんてままならない。

冗談みたいな話だけれど、こういう人が本当に多いのである。

では、どうやったら客観的な自己評価ができるようになるのか?

上記したように、上司からのフィードバックは期待できない可能性が高い。

それならどうする?

積極的に厳しいことを言ってくれる人を探しに行く

1つ目は、それでも積極的にフィードバックを貰いに行く、ということだろう。

及び腰になっている上司がたくさんいるとは思うけれど、何とか本音ベースで厳しいことを言って貰えるような状況を作る。

仕事場では難しいなら、飲み会でもいい。

それでも無理なら、直属の上司以外で誰かを探すことだ。

他課の課長など、自分のことを直接的に人事評価をしない人を見つけるのも有効である(自分の部下じゃない方が率直に話せる場合も多い)。

と言っても、個人的には「先輩」はNGである。

大した経験の差もないし、その人は評価というものをきちんとやったことがないはずであるから。

役職についている人で、ある程度信頼できる人を探すこと。

それが1つ目だ。

社外にメンターを探す

もう1つは、社外にそのような人を見つけることである。

これは1つ目よりも難易度が高い。

ただ、その分効果も高い気がする。

僕は若い頃、他社のそれなりの役職の人に可愛がって貰った経験があって、何か辛い時があると、その人と話をすることでメンタルを保つ、みたいなことを今も続けている。

そして上手く言えないのだけれど、その人も僕のことを頼ってくれているような、持ちつ持たれつみたいな関係だと(僕は)思っている。

歳はだいぶ離れてはいるし、別に友達でもないし、話をするのも1年に1回あるかないかくらいである。

でも、そうやって自分の現在位置を補正していくことも必要なのだ。

誰も本当のことなんて言ってくれない

耳の痛いことを言われること弱い自分に向き合うこと、は誰だって避けたい。

でも、だからこそ、自分の長所みたいなものもわかるのである。

過大も過小もせず、等身大の自分と向き合う経験。

それはマネージャーになれば、より必要となるものなのである(誰も本当のことを言ってくれなくなるから)。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

内省、が上手にできると、仕事のレベルは大きく上がる。

たくさんの部下を見てきて、僕はそんな風に思います。

ここには最近流行りの「言語化」という要素が入ってくるのですが、俯瞰しながら自分を客観視できることは、たぶんどの仕事においても重要なはずです。

そしてそれが難しいなら、「それなりの他者」を用意する必要がある。

もしかしたら、それがマネージャーの仕事なのかもしれませんが、本文中でも書いたように、割に合わないことも多い。

でも諦めたらそこで試合終了です。

厳しいコメントを待っている部下もいます。

できる限り厳しいことを言っていきましょう。