できる奴を叱ろう

UnsplashRandy Tarampiが撮影した写真

できない奴を叱ることでチームに規律をもたらす?

チームマネジメントに四苦八苦しているマネージャーは多いと思う。

そんな人にヒントになる話を。

それは「できる奴を叱る」ということである。

できる奴を叱る? できない奴ではなく?

そう思われる人も多いと思う。

確かに、多くのマネージャーはできない人を叱ることで、チームに規律をもたらし、業績の向上を図ろうとしているようだ。

でも、昨今のようなコンプライアンス・ハラスメント環境においては、それをやると面倒な事態に巻き込まれる可能性があるし、そもそもできない奴を叱ったところで、どうにもならない(自分の留飲は下がるかもしれないけれど)ことが多い、と僕は思っている。

そのように出せる手段が限られている中でマネージャーができることとは何か?

今日はそんなことを書いていこうと思う。

できない奴はどうやってもできるようにはならない

「部下にやる気がない」「部下が仕事ができない」

そのような話は耳にタコができるくらいたくさん聞く。

そして僕もそのように思うことが多い。

そんな時間がもう8年近くも続いている。

その経験の中で僕が思ったのは、「できない奴はどうやってもできるようにはならない」という厳然たる事実である。

もちろん、若手は別だ。

ただ、ある程度の経験年数を重ねた中堅以上の社員については、多少の改善こそすれど、できるようにはならないのが現実である。

でも、その中でも、マネージャーは成果を上げなければならない。

そのジレンマにみんな身悶えしているのだと思う。

「みんな」を成長させるのは不可能

僕は育成に定評があると言われる。

でも、勘違いしていただきたくないのは、皆を成長させることができる訳ではない、ということである。

この当たり前のことが分かっていない人はとても多い。

成長するのは、成長しようと思っている人のみ、である。

これが部下育成の大前提だ。

もちろん、成長しようと思わせるようにする(やる気スイッチを押す)スキルはそれなりにある。

でも、それを駆使したところで、本人が成長しようとしなければ何にもならないのである。

そういう意味では、残酷なことを言うなら、「どうやっても成長する可能性がないチーム」というのは存在することになる。

もしあなたのチームがそういうチームであるなら、育成(成長)以外の方法で成果を出すことを真剣に考えなければならない(が、それはまたどこか別のところで話そうと思う)。

旧時代のマネジメントは通用しない

さて、本題に戻ろう。

「できない奴を叱ることでチームに規律をもたらし、成果を上げようとする」

これは旧時代のマネジメントだ。

そして、年功序列・長期雇用が前提の考え方でもある。

現代は違う。

できない奴を叱ったところでどうにもならないし、下手をすればそいつはへそを曲げて、文句を撒き散らし、チームに悪影響を与えかねない。

そしてそれを防ぐ方法は(あまり)ない(すぐにハラスメントだと言われるから)。

この認識が重要である。

働いても働かなくても処遇が変わらないなら、働かないことは有効な戦略ですらある

やろうがやるまいが給与がそんなに変わらない環境、解雇される訳でも減給されるわけでもない環境、の中では、多くの人は前向きに働こうなんて思わない。

ダラダラと、寄生するように働くのが「普通」である。

だから、そこに目くじらを立てても仕方がない。

それがデフォルト(だし有効な戦略)だから。

それならそこから目を離して、伸びようとする人に集中した方がいい。

そして、「伸び」にはかなりの上方可能性がある。

それについて書いて、本稿を終えようと思う。

「叱り」よりも「煽り」を

チーム内で1番、地域で1番、全国で1番、他社も含めて1番、全世界で1番。

スポーツに地域予選全国大会があるように、「できる人」というのは上を見ればそれこそ無限にいる

この目線をどこまで上げられるかが、「できる奴を叱る」という意味である。

多くの「自称できる人」というのは、地元では通用するかもしれないけれど、全国レベルではどうにもならない人が殆どである。

そしてその人が若ければ若いほど、簡単に「天狗」になってしまう。

井の中の蛙大海を知らず。

その言葉通り、地域ナンバーワンくらいで満足していたりするのだ。

それを叱る。

「そんなもんでいいの?」と煽る。

そう。

言葉としては、「叱る」よりも「煽る」の方が正しいのかもしれない。

「上には上がいる」ということを適切に伝え、本人の限界突破を図ること。

これが育成の要諦である。

トップを伸ばせば、ボトムも上がる

タイミングも、部下との信頼関係も重要なのだけれど、これが的確にできると、その部下の成長速度は一気に飛躍する。

結果として、チームの成果は大きく上昇することになる。

もちろん、全国レベルまで行かず、県予選くらいで敗退する者も多いけれど、少なくとも地元の草野球で無双しているくらいで、「オレすげええええ!」となられても困るのである。

そうならないように、高い球を投げ続ける。

結果として、これはチーム全体のレベルアップに繋がることになる。

もちろん意図はしていない。

別にできていない人たちがどうなろうが関係ない。

でも、なぜか、予想外の結果として、他のできないメンバーも多少なりともやる気になってくれることが多いのだ。

適切な煽りを。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「叱り」よりも「煽り」。

今回書いていて発見したのが、この言葉です。

「叱る」という言葉には、どうにも「上から下」というイメージが付きまとってしまうのですが、「煽る」であれば、それを吹き飛ばすことができる。

そして良い意味での「無責任感」がある、というか。

育成というのは、結局のところ「本人の問題」であって、別にその部下が成長しようがしまいが本来的には関係ないもののはずです。

でも、なぜかマネージャー達は、それが自分の沽券にかかわるものだと思っているような気がしています。

彼(彼女)らの人生は、彼(彼女)らのものです。

でも、上司として、先輩として、「そのままでいいの?」と思うことはあります。

そのアプローチ方法として、「叱る」のは現代にはそぐわない。

でも「煽り」ならいいのでは?

何らかの部下育成の参考になれば幸いです。