部下に伸び伸びと働いてもらうために

UnsplashYerlin Matuが撮影した写真

管理職は嫌われるものだ

口を開けば上司の愚痴ばかり。

管理職というのは、兎角嫌われるポジションである。

何かにつけて文句を言われるし、その文句の妥当性なんて全く鑑みられないし。

スケープゴートというか、捌け口というか、組織の矛盾を吐き出す時に都合よく使われる存在である。

そして僕もその1人だ。

ただ、ありがたいことに、何人かの部下は僕のことを慕ってくれ、異動になったり、転職したりしても、度々お誘いを頂けるような関係性が続いている。

その度に当時のことについて感謝される。

曰く「課長は自由にやらせてくれた(そして今はそうじゃない)」と。

今日はそんなことを書いていこうと思う。

管理しながらも管理されていると感じさせないバランス

管理職は管理をしなければならない。

言葉(ネーミング)の問題なのもしれないけれど、このように考えている人はとても多い。

もちろん、管理職は管理をしなければならない。

それが仕事ではある。

でも、管理していることをあまり部下に悟られてもいけないとも思うのだ。

この「管理しながらも管理されていると感じさせない」バランスが管理職には必要になる。

そうすれば、部下は伸び伸びと働いてくれるようになる。

これが今日の話の要点である。

部下を信頼し、尊重する

では、「管理しながらも管理されていると感じさせない」為にはどのようにしたらいいのか?

一言で言えば、「部下を信頼する」ということだ。

もう少し言うなら、「人間として尊重する」ということになるのかもしれない。

介入しても無駄では?

僕も人間なので、部下それぞれに対して好き嫌いの感情がある。

もちろん人間なので、合う合わないもある。

でも同時に、彼(彼女)らは18歳を超えた成人で、その人格というか個性というかパーソナリティというか、そういうものは変わらない

ある種の確固たるアイデンティティみたいなものを持っている。

そこに介入しても大して良い効果を生まない。

それなら、自由を与えた方がいいのでは?

それが僕のマネジメント手法である。

放任と言われれば放任。でもそれでいいのでは?

これは「放任」に近い概念ではある。

自分から何かを考えたり、教えを請おうと思ったりしないような人には、「課長は何もしてくれない」と捉えられることも多い。

「でも、それでいいのでは?」と僕は考えている。

上意下達の組織で自発的な部下を期待するという矛盾

マネジメントの話をしていると、「自律」という言葉が出てくることがある。

「自律型組織」「自走する組織」など、言葉は色々あるけれど、部下が自発的に考え、行動する組織が望ましい、という概念である。

でも、多くの(日本型)組織はこうなっていない。

上意下達、トップダウン、専制君主、こちらも言葉は色々あるが、上司の言うことに唯々諾々と従うことが望ましい、という組織ばかりである(表立って言うかどうかは別として)。

そしてその組織内において管理職になっている人たちが、「部下が考えなくて困る」とか、「受け身ばかりだ」と嘆いている。

そりゃそうだろう、と僕は思う。

あなたはそのような組織において、上司の言うことを忠実に守ってきたから管理職になれたわけで、そんな社風の会社の中で、急に自発的な部下が雨後の筍のようにポコポコと生まれてくるはずがないだろう、と。

もう少し厳しいことを言うなら、本当に自発的な部下が続々と生まれてきたとして、あなたはそれをマネジメントできないだろう、とも思うのである。

自発的な部下は面倒くさいぜ?

部下に自発性を求めるなら、部下に自由を与えなければならない。

そしてそれを許容するような文化を作らなければならない。

そこにはそれなりの失敗が生じるだろうし、それなりの部下との意見の食い違い(や対立)が生じるだろう。

その覚悟はありますか?

それが僕が思うことである。

パワーなしでフラットに対話できること

「管理しながらも管理されていると感じさせない」為には、同じ地平に立って、対話をしなければならない。

オレはこう思う、ということを、高圧的にならないように伝えなければならない。

合っているとか合っていないとか、そういう話ではないのだ。

正解か不正解かなんて、どうでもいいのだ。

ただ、人としてというか、人間同士として、フラットに話ができること。

上司という「パワー」を使わなくても、自分の意見を面白がって貰えるくらいの質を担保できること。

間違っていると思った時も、「パワー」で抑制するのではなく、きちんと論理性を持って部下にそれを説くことができること。

それが自律する組織のマネージャーには求められるのだ。

自治と官治

ここまで書いてきて、僕は奴隷制みたいなことを思う。

「奴隷解放宣言」があっても、無意識的に白人は黒人を下に見ることが続いたし、現代でもそれは続いている。

それがレイシズムに繋がっているかどうかは別として、日本の会社においても、暗黙の裡に、上司は部下を下に見ているような気がしている。

それって時代錯誤では?

これは別に「友達になれ」とか「仲良くしろ」とかそういうことを言っているのではない。

同じ目標に向かう同志として、きちんと対話を行い、「使える知力やアイディア(リソース)は単純に使えばいいんじゃない?」という感覚なのである。

それがマネージャーにあれば、部下は勝手に伸び伸びと働くのでは?

大事なのは自治の概念だ。

官治じゃない。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

部下に自由を与えること。

それは日本企業では結構難しいことなのかもしれません。

でも、僕がマネージャーを何年もやってきて思うのは、その方が結果として管理をしなくて済むということです(もちろん仕事が面白くなることは言うまでもありません)。

表現が難しいのですが、自由を与えている風実際に自由を与えていることは違いますし、それは部下に確実に嗅ぎ取られてしまうから、やるなら本気でやったほうがいい、ということです。

もっと根本的なことを言うなら、人間への信頼みたいなものがあることがとても重要な気がしています。

僕は人間不信ですが、人間を誰よりも信頼したいと思っています(だからこそ人間不信なのでしょう)。

上司とか部下とか下らないことを抜きにして、人間同士対等に仕事をしていきましょう。