平社員最強説?
管理職にはなりたくない。では平社員でいることは良いこと?
以前「管理職は罰ゲーム?」という内容の記事を書いた。
その際に思ったのが、「じゃあ、どういうポジションにいるのが最強なのだろうか?」ということである。
若者を含め、多くの人達が管理職にはなりたくないと考えている。
ということは、平社員でいることが良いことだと考えていると(近似的には)言えることになる訳だ。
さて。
果たして平社員でいることは良いこと(もっと言えば最強)なのだろうか?
議論を呼びそうな話題であるので、書くのがちょっと怖い気もするけれど、とりあえず始めてみよう。
管理職はコスパ悪い
管理職が罰ゲームと言われるのは、多くの場合、「コスパ(タイパ)が悪い」というのがその理由のようである。
「平社員と処遇(特に給与)が大して変わらないのに、責任だけが(異様に)増大するから、割に合わない」
これが「管理職罰ゲーム論」の骨子のようだ。
気持ちはわからないではない。
確かに、処遇と責任の比率は合っていないと僕自身も思う。
結局のところ、会社側が体よく使っているだけ、そのようなことを思うことだって度々ある。
「やりたいことができるようになるよ!」とか「権限があった方が仕事は自由かつ楽しくなるよ!」とか、そのような甘言の類。
それもどうなのかなと僕は思う。
実際に9年ほど僕は管理職という仕事を続けているけれど、それでやりたいことができるようになったとは思わないし、権限があることで仕事が楽しくなったような気もしない。
もっと言えば、自分のチームで働いている平社員の人達が、権利だけを主張し、義務を負わないで(ある種気ままに)働いている様を見ると、羨ましいなと思うくらいである。
となると、やっぱり平社員の方がいいのだろうか?
真面目に働くけど、全然評価されない世界線
ここで、僕は平社員のままの自分がいる世界線を想像してみる。
ただ、僕はダサい仕事はしたくないという頑固さを持っている人間でもある。
となると、テキトーに働いて、テキトーに給料を得る、というようなコスパの良い働き方というのはできないようにも思える。
ということは、僕はそこでも一生懸命働くはずだ。
一生懸命働く僕。
でも、会社の価値観とは全然合っていない環境。
それに不満を覚え、だからと言って信念を曲げるでもなく、ただの独りよがりを続ける未来。
扱いづらいおじさん。
それがもう1つの世界線の僕だろう。
これは幸せなのだろうか?
結局はプライドを満たしたいだけ?
僕は管理職が良いとも思わないけれど、平社員が良いとも思えない。
それはたぶん自己嫌悪に耐えられないからだと思う。
「何でオレはこんなに頑張っているのに認められないんだ!」というようなことを撒き散らす面倒くさいおじさんとなり、でもだからと言って手を抜くこともできず、処遇もイマイチで、ただ右往左往しているという自己像に、僕は耐えられそうにない。
そういう意味では、自分が管理職であるというクソみたいなプライドだけが管理職でいることのメリットであるのではないかとも言えなくもない。
そうか。
結局僕はそのような虚栄心を満たしたいだけなのか。
スペシャリストもコスパは良くなさそう
と、ここまで考えて、また議論を一歩進めてみる。
平社員のままで、というか管理職ではない状態の中で、虚栄心を満たせるようなポジションってないのだろうか、と。
パッと思いつくのは、専門職というものである。
スペシャリストとしての道。
でも、今回の趣旨とは合わないような気もする。
というのは、スペシャリストはそれなりに茨の道だからである。
熾烈な競争環境と、それに抗うだけの自己研鑽の日々。
確かに僕の属性には合っているような気がしないでもない。
ただ、今回のテーマは、コスパの話でもある。
少なくともスペシャリストはコスパが良いとは思えない。
となると、虚栄心を満たすのは会社じゃなくてもいいのではないか、という方向性なのかもしれない。
個人だけが幸福になればいいのか?
多くの平社員最強説論者が副業を勧めているように、たぶん別の場所で、それが必ずしも所得に繋がらなくても、自分のプライドを満たせるような環境が手にできればいいんじゃない、というような考え方。
それは魅力的に思える。
ただ、同時に疑問も湧いてくる。
個人だけが幸福になればいいのか、と。
世界が収縮していくだけではないのか、と。
合成の誤謬
自己責任論と、そのカウンターとしての自己利益最大化論。
それは理解できる。
そして、僕だってそのような傾向を(当然ながら)持ってもいる。
たださ。
それだけでは何も変わらないのでは?
多くの人が平社員を選び、会社ではテキトーに働き、副業に勤しみ、満足感と共に眠りにつく。
それはそれで幸せな社会であるように見える。
ただ、それによって、享受できるものも収縮していっているような気もする。
個人としての最適行動の結果、社会全体としてイノベーティブなものが失われていくこと。
やや格好つけた言い方をするなら、知の集積みたいなものが失われていくこと。
それを得られない未来。
それもどうなのかな、と僕は思うのだ。
ちょっとカッコつけさせてくれ
僕はマネジメントを変えたい。
管理職が罰ゲームと言われるような現状を変えたい。
「平社員の方がコスパ良くね?」と思ってしまうような社会を変えたい。
そこでたとえ割を食ったとしても。
管理職が良いものだとは思えない僕が、管理職の愚痴を撒き散らしながら、それでもそのような想いを胸に僕はこれからも管理職として働いていこうと思っている。
個の分断。
共同体の解体。
それもいいのかもしれない。
ただ、もう少し抗ってみようとは思うのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
管理職は割に合わない。
でも、管理職は必要である。
だとしたら、誰かがババを引かなければならない。
じゃあ、オレ、それやるわ。
僕は今そんな気分で仕事をしています。
ヒーローを気取るつもりはないですが、そのような進んで割を食う人が社会から少なくなった結果、僕たちの社会は生きづらく、つまらないものになっているような気がしています。
だったら、それを引き受けるような人を増やすしかない。
僕はいつもバカみたいなブログを書いてばかりいますが、根幹にある思いは、働く人が完全とまでは言えなくても、それなりに充実感や自己肯定感を得られるような状態を実現したい、その為には日本のマネジメントをもっと良くしなければならない、というものです。
大人になること。
成熟すること。
そういうことを厭わない人を増やすために、僕はこれからもブログを書いていくつもりです。
引き続き読んで頂けたら(そしてできれば仲間に加わって頂けたら)幸いです。