優しさと甘さ

ヘラヘラ系マネージャーは組織を弛緩させる

優しさと甘さは違う。

本当のパワハラは論外であるけれど、パワハラ論が乱用された結果として、叱ることができないマネージャーが増えてしまったような気がする。

皆何かに怯えるように、日々仕事をしている。

部下から言われることに対して、基本的にはYesと言うことで日々をやり過ごしていく。

全て受け入れること、受容すること、をマネジメントと呼んだりする。

僕はこの種のマネージャーを「ヘラヘラ系マネージャー」と名付けた。

この種の人は常にヘラヘラとして、何一つ決断をすることはない。

自分にその矛先が向かわないことが第一優先事項で、言うべきことすら言えない状態になっている。

結果として、徐々に組織は弛緩していく。

リターンを得るならリスクを取れよ

たちが悪いのは、そのマネジメントスタイルを「優しい」と呼ぶ人がいることだ。

それは「優しさ」ではない。

ただ「甘い」だけだ。

ここに潜んでいる心性というのは、「自分の時に問題が起こらなければ良い」という消極的な姿勢だ。

退職まで、異動まで、コトが起きると面倒だから、そのままの状態で日々をやり過ごしていく。

前例踏襲が第一で、目に付くような問題があったとしても、そのままの状態で放置しておく。

当然のことながら、問題というのは放置していくと腐っていく。

その腐臭は確実に届いているはずなのに、何も感じないかのように仕事を続けていく。

僕には信じられない。

でもこういう人はとても多い

そしてその腐った組織による弊害を受けるのは当人ではない。

本人は退職なり、異動なりでいなくなってしまっている。

リターンを受け取るなら、リスクを取れよ、と僕は思う。

でもそれが為されることはない

その間にも組織は腐り続けていく。

甘やかす者と甘やかされる者の不戦条約

個人ベースでの生き方を考えると、とてもコスパの良いやり方だと思う。

でもマネージャーがそれをやってはおしまいだ。

そして、それを許容している組織もおしまいだ。

無責任な人は簡単に甘いことを言う。

自分が非難されたくないから、嫌われたくないから、耳あたりの良いことばかり言う。

そこに甘やかされて育った若者達も迎合する

両者の間に見えない協定が結ばれる。

問題は残置され続ける

若者の成長は阻害され続ける

でも心地良い。

一方、成長は苦い

だから、このままで、行けるところまで行こう。

たとえその先が断崖絶壁であったとしても。

国会答弁のように

このブログ内でも何度か取り上げたことであるけれど、これは社会の成熟ということと繋がってくるのだと思う。

僕たちの社会においては、「若さ」というものが途轍もなく尊いものとして扱われる。

純真であるとか、無垢であるとか、とにかく手垢に塗れていない状態を尊ぶ

ある程度の年齢に達したとしても、そのような「汚れのなさ」を良いものだと扱う。

それは上記したように、「自分に責任が及ばないように無垢を装う」というような1つ捻じれた(迂回した)回路によって為される(「知らなかった」というのは答弁における常套手段だ)。

近視眼的で脊髄反射的な未熟な社会

「未完成」であることは別に良いとか悪いとか、そういう範疇の物事ではない。

ただ「未完成」であるだけだ。

でも社会の構成員の大半がこのような態度をとると、社会は「未成熟」となる。

「未成熟である」という立ち振る舞いが、時代適合的になる。

そしてその「未成熟さ」を次の世代も模倣していく。

「コスパ」の良いやり方が受け継がれていく。

多くの人は「未成熟」である若者を前にして、「そのままでいいんだよ」と言う。

「君は君らしくあるべきだ」「君の君らしさが素晴らしい」と言う。

そしてこのような態度を「優しさ」と呼ぶ。

僕らはいつまでも「未成熟」なままで、永遠に「未完成」なままで、社会人生活を送っていく。

僕たちは幼児のように、その時の感情によって物事を判断していく。

その時に気持ちの良いことが優先されていく。

長期的なビジョンや、損して得取れみたいな思想は、ゴミ箱で腐臭を放っている。

耳の痛いことを言えないマネージャーが作る、幼稚園のようなチーム。

それを「仲の良さ」と呼んだりする。

パフォーマンスが全く良くなくても、それを直視して、何か方策を打つということはない。

ただ惰性のまま、日々を過ごしていく。

それは「仕事」なのだろうか?

アマチュアのお遊びではないのだろうか?

優しい人ではなく無能な人という仮面を

結局のところ、マネージャーに自信がないことがこのような甘さが蔓延る要因になっているのだろう。

何かを言うと、嫌われたり、疎んじられたりすると思っているのだ、きっと。

そういうキツイことを言っても、チームを纏め上げていく能力がないのだ。

繰り返しになるが、それはそれで仕方のないことだと僕は思う。

でも、そうであるのであれば、そのマイナス面も自分で負担すべきだ。

「良い人」「優しい人」の仮面をかぶるのではなく、「ただ能力がない人」として職務を全うすればいい。

「叱れない大人」の悪影響は本人だけに留まらず、個人やチームの成長を確実に疎外していく。

そしていつまでもそのままではいられないのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

本文内ではだいぶ強い言葉遣いになってしまっていますが、それはこの優しさと甘さの違いというニュアンスが伝わりづらいと思っているからです。

そして別に甘い人がいてもよいのですが、それによるデメリットもきちんと味わって欲しいという気持ちもあるので、余計に喧嘩腰になってしまいました。

何というか、甘さのケツを拭うのは、結局のところその後任者であり、甘やかされた部下自身である訳です。

それなのに、甘い汁だけ吸って逃げる輩が多すぎる(「とても良い人」なんて言われていたりするわけです)。

誰だって嫌われたくないし、厳しいことなんて言いたくない(パワーも要りますし)。

でもマネージャーにはそのような「汚れ仕事」も必要です。

時に耳の痛いことを言いながら、規律のあるチームを作っていきましょう。