自分のノリを押し付けない
教えたがりの人達
「マネジメントに対して思い入れがある人ほど自分ルールを押し付けたがる」
そんなことを思ったので、それを文章化してみる。
マネジメントとはかくあるべき、部下とはこうあるべき、みたいなたくさんのべき論。
僕はマネージャーになってから、たくさんのべき論と出会ってきた。
そして乞うてもいないのに、教えたがる人達にたくさん出会ってきた。
まあ、気持ちはわからなくはないし、言っていることもわからなくはない(実際に僕だってこうやってブログでべき論を撒き散らしているわけだし)。
でも、どこかで冷めた見方というか、俯瞰から見る視点を持っておく必要があるとは思うのだ。
結局のところ、そんなものは自分のノリに過ぎない。
それを押し付けようとするのはおこがましい。
大事なことは、世の中には様々なノリがあって、それぞれのノリに優劣はない、という当たり前の事実を理解することである。
それでは始めていこう。
空気を読む能力が高い=優秀?
「空気を読む」
日本社会ではこの能力が高い=優秀という方程式が成り立つことが多い。
これはビジネスにおいても同様である。
そして、当然ながら人事評価(査定)においても。
多くの企業においては、部下の査定をするのは直属の上司であるマネージャーで、そのマネージャーの空気感に馴染んでいるかどうかは、人事評価においても重要な項目となる。
もちろん、これは本来的には避けなければならないこと(例えばハロー効果:自分のノリに合っている人を他の項目においても優秀であると評価してしまう)ではある。
でも、実際の運用としては、空気を上手に読む人はビジネス全般の能力も高いと当たり前のように評価されてしまっているのが現実だろう。
空気の綺麗さ
「いやいや、空気読めたほうがいいでしょ!」
そういう声が聞こえてくる。
それに対する僕の回答はこうだ。
「もちろん。その空気が清浄であれば」
水を差す人=優秀ではない?
僕が会社という組織で長く働いていて思うのは、そこに流れている空気が綺麗であろうが汚かろうが、とにかく上手に順応することが是とされていることへの違和である。
もう少し簡単に表現するなら、明らかに異臭がするにも関わらず、「なんか臭くね?」と言い出す者は、空気が読めないヤツと断定され、評価を下げることが多い。
水を差す人、ツッコミを入れる人は、空気を読めない奴(もしくは目立ちたがり屋)と言われる社会。
そして、自分たちのノリに合わせるように強要してくる社会。
これって優秀と言えるのだろうか?
内輪受けを続けているから停滞しているのでは?
内輪受け。
部活ノリ。
そのような雰囲気が社会の中には充満している。
もちろん、それで上手くいっているのであれば、僕がとやかく言う必要はない。
でも、現状をよく見てみろよ、とは思う。
そのようなノリを数十年続けた結果、日本は凋落し続けているのでは?
僕はそう思ってしまうのだ。
多様性とは?
多様性の尊重。
そのようなことがここ数年ずっと叫ばれている。
でも、その言葉を聞いていつも僕が思うのは、足元にある多様性をまず尊重したらどうか、ということである。
人種や性別、マイノリティ等の話も大事だけれど、まずはそこにあるそれぞれの違いを違いとして認めることが大事なのではないか、と僕は思うのである。
それは日本人のみで構成されたチームでも同様である。
会社やマネージャーのノリに合わせられるヤツを無条件で優秀と定めるのではなく、そこに対して違和感を表明したり、違う方法を提示できる人もきちんと評価すること。
違うノリがあることをおかしいと糾弾するのではなく、「そのノリも面白いね」と許容したり、理解したりすること。
それが本当の意味での多様性なのではないか?
僕はそのように思うのである。
違うノリの人はそもそもコミュニティに入れない
心理的安全性。
これも最近ずっとお題目のように言われている。
でも、実際になされているのは、それとは真逆のことばかりだ。
自分のノリに合わせられるヤツには心理的安全性を、そうでないヤツには心理的危険性を。
それが実際のところだろう。
同じノリの人たちが集まったところで言いたいことが言えるというのは心理的安全性ではない。
違うノリの人たちでさえ言いたいことが言えることが心理的安全性なのだ。
でも、前提条件として、違うノリの人はそのコミュニティに入ることが許されていない。
それが日本社会だ。
「まずはそのノリを直してからね」
「そこから考えましょ?」
それが日本社会のノリである。
これではいつまで経っても生産性の向上なんて望むべくもない。
異質なノリの許容
異質な人の異質性を許容すること。
少なくともその異質であることを矯正しないようにすること。
自分のノリこそが全て、という思想を捨て、世の中には様々なノリがあり、それぞれが良いものであるということを理解すること。
それを個人レベルで行うだけでなく、マネジメントのレベルにおいても実現すること。
そうじゃないとこのような内輪受けの雰囲気はいつまでも変わらないような気がする。
不協和音の中で
様々なリズム。
おかしなバイブス。
滅茶苦茶なインプロビゼーション。
それを不協和音と取るのか否か。
それで日本の将来はだいぶ違ってくるような気がしている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
同調圧力。
内輪受け。
大人たちが集まると、この種の毛繕いと傷の舐め合いが必ずと言っていいほど始まるので、ウンザリしてしまいます。
空気を読むことは大事ですが、そこにあるノリがあまりにもワンパターン過ぎると、流石にそれを壊してみたい衝動に駆られます。
お約束を打破し、即興性を大事にしていきましょう。