「毎日」が大事

UnsplashAndrea De Santisが撮影した写真

「毎日」はあらゆる物事を飲み込み、吸収していく

このブログにはグダグダと色々なことを書いているけれど、とどのつまりは「毎日をどう過ごすか」というところに還元されるのだろうなと思っている。

これは「日頃の行い」と言い換えてもいい。

とにかく、仕事を毎日どのように取り組んでいるか、その累積こそがマネジメントなのである。

でも、このような趣旨のことはあまり伝わっていないようにも思われる。

ある一点だけを切り取って、褒めたり貶したり。

ある事象には特定の要因があるように勘違いしたり。

まあ言いたいことはわからなくはない。

でも、それは「毎日」の1部分に過ぎない。

何かがあってもその後も「毎日」は続くし、その何かが大きな影響を与えたように見えたとしても、「毎日」はそれを飲み込み、吸収していく。

マネジメントという仕事はそのような性質を持ったものなのである。

意味がよくわからないかもしれないけれど、とりあえず始めていく。

Life goes on.

毀誉褒貶。

マネジメントの仕事をしていると、外部の人は色々なことを言ってくる。

その度に「何にもわかっていないのに、よくそんな風に言えるよな…」と僕は思う。

彼(彼女)らは、さもわかったような口ぶりで、僕の仕事について話をしてくる。

もちろん、その内容が全くの的外れとまでは言えない。

でも、それはあくまでも一部分であって(でしかなくて)、そこについて太字で強調されてもちょっと違うんだよな、と僕は思ってしまう。

良いことがあっても、悪いことがあっても、「毎日」は続く。

だから、そこで大きな反応をすることは、反作用も大きくすることに繋がることになる。

ただ、外部の人達は、その大きな反応こそがマネジメントの本質なのだと勘違いをする。

「毎日」の有用性

確かにその要素がないとは言えない。

ターニングポイントと呼べるようなもの。

でも、僕が長いことマネジメントという仕事をしてきて思うのは、何だかんだ言って、毎日誠実にきちんと仕事をしていくことの大切さである。

というか、たぶんこれしかないのだ。

もちろん、僕もトピックスとして、様々なテーマを挙げてこのブログに書いてはいるけれど、それは言わば枝葉末節的な話であって、「毎日」の有用性に比べると、まあどうでもいいようなことに成り下がってしまうのだ。

それくらい「毎日」は大事なのである。

ピンポン・ブーがなくても、「毎日」は続いていく

でも、「毎日」は見えない。

よくわからない。

だから評価もされない(されにくい)し、自分だってどれが有効なのか判然としない場合だってある。

それでも、自分でこれが正しいのではないかと信じながら、日々仕事をしていく。

そこには「判断」があったり、「指導」があったり、「感情」があったりする。

その全てに正解はない。

違う選択肢が無数にあって、でも自分が選んだのは1つで、それがどのような効果を及ぼすのかはわかっていないし、今後もきっとわからないままだろう。

そんなことをずっと積み重ねていく。

採点表はないし、判定もない。

ピンポン・ブーが鳴る訳でもない。

五里霧中。

でも、「毎日」は続いていくのだ。

マネージャーの「毎日」をどう過ごしていくか?

マネージャーだって人間である。

ずっと聖人君子ではいられない。

というか、聖人君子でいることがマネジメントにおいて有効であるとも限らない。

近寄りがたいというイメージを喚起してしまうことだってあるから。

かといって、ふざけてばかりもいられない。

テキトーに仕事をしたいと思っていても、会社側からの要請があったり、上司から色々と言われたり、自分の意思とは関係ない力が働くことだってある。

その中でどのような振る舞いをするのか(し続けるのか)。

それがマネジメントの勝敗を左右する(というか、勝敗なんてないのだけれど)。

「山場」ではなく、質の高い「平場」を

「編集」や「切り取り」のようなもの。

それらは動画視聴では有効かもしれないけれど、マネジメントにおいてはそうとも言い切れない、と僕は思っている。

なぜなら、そのような切り取りから外れたところにこそ、大事な部分があったりするからである。

それも、その時には全然大事なように見えないのだけれど、後々になってみると、実はあれが大事なことだったのだ、というようなことがたくさんあるからである。

何らかの「山場」を作るのではなく、「平場」をいかに高い質を保ったまま進めるのか。

外部の人には見えず、評価もされない、そのような「毎日」の積み重ね。

それを愚直にやっていくしかないのだ。

些細なこと? No way!

ちょっとした反応、ちょっとした声色、ちょっとした雰囲気の違い。

それらによって(それらの累積によって)、チームの雰囲気は大きく変わっていく。

でも、そんなものは些細なことだと思われてしまう。

そんなところにチームマネジメントの要諦があるなんて、誰も思わないようである。

そんなことはない。

いかに機嫌よく、いかに前向きに、いかに誠実に日々仕事をしているか。

それが出来ない日があったとしても、平均的にどのくらいの水準を保てているか。

それがチームの雰囲気を決め、部下の自発性を呼び込むのである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「日常」は盛れない。

多くの人が語る「マネジメントとは!」みたいな(マッチョな)話は、僕には非現実的なインスタグラムの写真みたいに聞こえてしまいます。

大事なのは、そこに映っていない部分じゃねえ?

そこにあるしょうもないことじゃねえ?

そこでいかに高い質を担保できるか?

それを続けられるか?

かっこよくなくても、なんなら無様でも、そこでの奮闘は必ず誰かが見ていてくれています。

「毎日」を誠実に過ごしていきましょう。