組織への忠誠心は不要だ

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職業人としての初等教育

今日の話はタイトルの通りである。

それこそ僕自身が入社した頃は、まだまだ「組織への忠誠は必要だ(当然である)」という考え方が残っていたように思う。

そしてそれは(少なくとも僕にとっては)ポジティブな考え方だった。

ちょっと古臭い話かもしれないし、「思い出補正」がなされているかもしれないから、それは割り引いておかなければならないとは思うけれど、僕はこういった考え方が割と好きであった。

仕事というものは人生の中心であって(そこまでいかなくても重要な要素であって)、そこにある程度の身を捧げていく、そうやってこそ充実感も生じる、という感覚で仕事をしていた。

そこには(少数ではあったが)尊敬すべき上司もいて、そういった人達とウェットな関係を築きながら仕事を進めていくというのは、何というか部活時代の連帯感みたいなものがあって、とても楽しかった(もちろん物凄く大変ではあったが)。

今と比べると労働時間も「大らか」であって、平日も遅くまで仕事をしていたし、そこから日付が変わるまで上司と飲みに行って、また翌朝早くから働くなんてこともザラだった。

時には休日も働いていたし、それも物凄く無理をしているという感じではなく、「まあそういうものかな」と思っていたものだった。

具体的な見返りがあった訳ではなかったけれど、僕はその時代に仕事のイロハみたいなものを体得していったように思う。

僕が遅くまで外回りをしていて、当然ながらみんな帰っているだろうなと思って帰社すると、当時の上司がタバコを吸いながら待っていてくれて(当時は職場内に灰皿があるなんて普通だった)、「お疲れさん、じゃあ飲みに行くか」と労ってもらったことはたぶんずっと忘れないだろう。

そのような厳しくも暖かな環境の中で、僕は職業人としての初等教育を終えていった。

過去への郷愁と現在地

三つ子の魂百まで、ではないけれど、僕の内面の奥底にはこういった考え方があって、それこそがベースなのだと未だに思っている節がある。

でも時代は変わり、会社も変わった。

特に残業時間については大きく考え方が変わっていったし、ハラスメントというものも取りざたされるようになっていった。

大らかな時代は終わり、きちんとした時代がやってきた。

それはそれでとても望ましいことだと思う。

理不尽なことで怒られたり、無茶苦茶な仕事をさせられたりすることは以前に比べると格段に減った。

あり得ない上司はだいぶ少なくなった。

洗練された働き方ができるようになってきた。

旧時代への懐かしさはあるけれど、全体的に見れば、圧倒的に今の時代の方が良い時代だと僕は思う。

ただ、郷愁はあるのだ。

そしてだからこそ、会社にもある程度忠誠を尽くしてきたのだ。

でもそれはもう不要になった。

それが今回のテーマだ。

仕事は人生の一部でしかない、という考え方への転向

現在の僕は過去の働き方から決別して、プロフェッショナルとしてやるべきことをやればいい、という考え方に大きく変わっている(残り香はあるけれど)。

会社と個人はある種対等な契約関係であるべきで、労働量に見合った対価を得るべきだ(逆も然り)という考え方にシフトしている。

個人的な感情は脇に置いておいて、なすべきことをただ淡々となす、それでいいと考えている。

別に上司や同僚と仲良しである必要はないし(もちろんその方が仕事はやり易いとは思うが)、職場上の付き合いで構わないと思っている。

仕事はあくまでも人生の一部でしかなくて、そこに身を捧げるなんて馬鹿げている、とすら思っている(大きな変化だ)。

忠誠を尽くしても、会社が報いてくれることはない

そのように変わった大きな要因は、費用対効果が悪すぎる、ということだと思う。

当たり前の話だけれど、会社に忠誠を尽くしたからといって、会社が僕に尽くしてくれることはない。

以前だってそんなことは分かっていたけれど、少なくともそこで共に働いている人たちに対する尊敬の気持ちというか、畏敬の念というか、それがあったから何とか色々な理不尽なことにも耐えられていたのだと思う。

でもそういう人たちもどんどんいなくなり、もう殆ど絶滅危惧種同然になってしまった。

一緒に働きたいと思う人がいなくなってしまった。

これは当社だけの問題ではなくて、たぶん時代の問題なのだろう。

別にモーレツに働くことを礼賛する訳ではないけれど、日本社会全体がシュリンクしていく中で、前向きにガムシャラに働くことに意味を見出せなくなってしまった。

特に組織という形態を取ることへの「旨味」みたいなものを感じることができなくなってしまった。

それよりは個人やチームでやりたいように働いた方がいいのではないか、というように今の僕は考えている。

組織はそれを実現する為に上手く利用すればいいだけの話で、そこに対して忠を尽くすみたいなことは不要なのだと思う。

取り敢えず求められる成果だけは上げておいて、後はやりたいようにやらせてもらう。

結果として、たぶんそれは組織にも役に立つことなのだろう。

ビジネスはビジネス。

ドライな関係性。

それでいいのだと思う。

仕事は仕事として、プロフェッショナルとして行う

少なくとも僕は自分のチームの活力を維持しながら、今後も高い成果を出していきたいと思っている。

そこにはウェットな感情は不要だ。

海賊や山賊のようにガヤガヤとしたチーム。

ただ面白いから、やりたいからやる、みたいなシンプルな仕事の仕方。

それを目指していこうと思う。

取り留めのない話になってしまった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

昔は良かった、というのがおじさんの戯言なのはよくわかっています。

正直言ってトータルで考えれば今の時代の方が圧倒的に良いと思いますし、それも「大差」であるように思っています。

ただ、それでも。

と思う部分があって、今回の話を書いてみました。

これは会社単位という小さな問題ではなくて、ある種社会全体の問題(共同体の崩壊)であると思うので、それについてはまたどこかで詳しく書いてみるつもりですが、少なくともそれによって仕事から得られる充実感というのは激減してしまったように僕は思っています。

それはきっと良いとか悪いとかいう範疇の話ではなくて、「そういうもの」なのでしょう。

そもそもにおいて、充実感を仕事から得ようする考え方自体が間違っているのでしょう。

ただ、それでも。

と僕は思って、こんな話を書いてみました。

共感していただけるかどうかは疑問ですが、呆れずにまた読んで頂けたら幸いです。