部下との距離感

部下との関係は「普通」でいい

課長になりたての頃は部下に好かれたい、そう思っていた。

もちろん、全員には無理だけど、少なくとも過半数にはプラスの感情を持ってもらいたいなあ、そう考えていた。

今は違う。

普通でいい、と。

普通、というのは好きでも嫌いでもない状態、プラスもマイナスもない状態、が一番良いと考えている。

なぜか?

(都合の)良い課長

マネージャーの仕事の目的はチームを向上させて、チームとして結果を出すことだ。

当然ながら、その為には部下達との関係性が良好であるに越したことはない。

でも、関係性を優先させてしまうと、厳しいことを言うのを躊躇ってしまうことがある。

そういう人は一見良さそうに見えても、中長期的には組織をダメにしてしまうと僕は考えている。

だから、僕は時折り人が言う「あの人は良い課長だ」という評価は話半分で聞くことが多い。

というのは、大抵のそれは「(私にとって)あの人は(都合の)良い課長だ」という意味だからだ。

時代の流れもあると思うけれど、指導をできないマネージャーはとても多い。

ただ何もせずニコニコしているマネージャーを、「あの人は良い人だ」と最近は言うようだ。

事なかれ主義はやめよう

僕はその意見に敢えてNOと言いたい。

パワハラ上等だった昭和時代の反動もあるとは思うけれど、あまりにも叱ることができないマネージャーが増えてしまった。

それは僕が思うには、部下に嫌われたくないからだと思う。

部下に嫌われると、自分の評価に響く(360°評価等)。

→それは避けたい。

→多少のことには目を瞑る方が得策だ、と考えるようになる。

結果として、本当に問題がある部下がいても、大抵のマネージャーは事を荒立てないようにただ黙っていることになる。

仮にそれが長期的に大きな問題に発展する可能性があるとしても、自分の在任期間中にそれが起きなければ良いという事なかれ主義が蔓延する。

一見、賢いやり方のように見える。

だがしかし、そういうマネージャーは結果を出せない

少なくとも僕の経験では、結果が出せない人の方が圧倒的に多い、そのように感じる。

嫌われたくはないけれど…

僕だって嫌われたくない。

言わなくて済むのであれば、言いたくない。

個人的には僕は人がどう行動しようとあまり気にしないタイプだと思う。

というよりも、干渉してくる人間が嫌いな方だと思う。

でも、それはあくまでも僕個人のことで、職責とは違う。

僕がやらなければならないことは、チームで結果を出すことだ。

だから、そこに問題が生じた場合には、厳しいことだって言わなければならない。

厳しいことを言うと、部下は僕のことを「うるせえな」と思う。反発も生まれる。

でも、だから言わない、という選択肢は僕はない。

「日頃の行い」がマネージャーには大事

「でも、厳しいことを言うと部下からの反発を招いて、マネジメントが困難になりますよね?」という声が聞こえてくる。

これに対して僕はこのように考えている。

普段からマネージャーがきちんとした行動をしていれば問題ない、と。

結局は何を言うかよりも、普段どう行動しているか、の方が大事で、マネージャーが一貫した姿勢でいると、こういった反発が大きくなることはない。

一時的に険悪な雰囲気になることもあるけれど、「まあ課長がああ言うのも仕方なかったかもな」と本人も気づくようになる。

もちろんここには普段からの部下との接し方や信頼関係が大事だ。

僕は「日頃の行い」という言い方をしているけれど、それがしっかりしていれば部下との関係性が大きく崩れることはない。

例えばこういうことだ。

(自分で言うのはなんだけれど)僕は部下よりも営業ができるし、内部作業もできる。

部下が困った時には僕はその力を貸す。

例えば契約を決めたり、会議資料を作ったり。時には、圧倒的な差を見せつけたりする。

また、忙しい時間の中でも、一生懸命働いて、部下の為に時間を作る。

自分に対して誰よりも厳しさを求める。

時間や期日や約束を必ず守る。

嫌らしい言い方だけど、こういう風に仕事をしていると、部下は僕のことを一目置くようになる。

初めは生意気だと反発していた年上の部下でさえ、僕のことをだんだんと認めるようになる。

そうすると、僕と部下の関係性はもう少し、大人同士のものへなっていく。

上下関係ではなく対等な関係として

そう、今書いていて思ったのだけれど、僕は部下と大人同士の関係を築きたいのだ。

たとえ新入社員であっても、もういい大人なのだ。

だから、僕はどちらかというと対等というか、職場でのパートナー(仕事仲間)的な関係性を望んでいるのかもしれない。

好きとか嫌いとかじゃなくて、「普通」というのはそういう意味だ。

当然ビジネスパートナーなので、嫌でも毎日顔を突き合わせることになる。

世の中には本当に色んな人がいて、その中には苦手な人もいる。時にそれが部下だったりする。

その時に大事なのは好悪ではなく、その人の能力だ。

その人が試合の中で使えるかどうかだ。

それは別にマネージャーから見た部下だけじゃない。部下から見たマネージャーだってそうだ。

どちらが偉いとかではなく、相互に戦力として見なされるかどうか。

戦友として認めてもらえるかどうか

これが大人同士の関係性には必要なのだ。

たとえ嫌われても関係が途絶しないことが大切

例えば部下同士で口も利かない関係性というのはよくある。

部下同士ではこれは許されても、マネージャーと部下でこの関係性はキツい。

少なくとも対話できる関係性を築かないと、その人はそっぽを向いてしまう。

1人でも違う方向を向いていると、チームはギクシャクしだす。

だから、嫌われるのもまた違うのだ。

というか、嫌われても良いけれど、関係性が断絶してしまわないことが大切だ。

人としては嫌いでも、マネージャーとしてこいつは役に立つ、頼りになる、と思われることが大切なのだ。

マネージャーも人間なので、すべての言動や行動が素晴らしいものであり続けるのは不可能だ。

時には変なことを言ってしまうし、間違った判断をしてしまうこともある。

でもその時に間違いを認められれば、それは大きな傷にはならない。

というか、それはある意味でポジティブに見られたりもする。

人間味だってマネージャーの大切な要素だからだ。

部下との関係性を良化させるよりも、パフォーマンスを上げることに力点を置こう

部下の中にも合う人間も合わない人間もいる。

私生活では付き合いたくない人だってたくさんいる。

でも、そういった人達ともある程度の関係性を保ちながら仕事を遂行しなければならない。

どちらかというと個人主義的な僕にとってこれはなかなかの苦行だ。

でも5年やってみて気づいたのは、部下に取り入ろうとしてもうまくいかないし、結果も出ないし、どうせ仲良くなったと思ったとしても裏ではボロクソに言ってたりするのだから、部下との関係性に一喜一憂する必要はないということだ。

それよりもパフォーマンスを上げる方に力点を置いた方が良いということだ。

チームの方針に背いていればベテランだって遠慮なく注意すればいい。

ベテランからは煙たがられるかもしれないが、一方でその決定を陰ながら支持してくれる部下もいる。

言いにくい環境の中で潰されていた若手から飲み会の席で泣きながら感謝されることだってある。

反応はすぐに出てくる訳じゃない。

打って響くことも少ない。

何を言ったって、部下は殆ど聞いていない。

でも、それを続けていると、君の味方が生まれてくる

「普通」でいるのだって結構大変だ

自分でも損な生き方だと思う。

もう少しうまくやった方がいいと日々思っている。

もっとまともな人間ならマネージャーに向いていたかもしれない。

いくつになっても子供っぽい自分に嫌気がさす。

でもそんな自分でも結果を出さなければならない。

それには好かれることも嫌われることもない、大人の関係性が必要だ。

僕が言う「普通」というのはそういう意味だ。

言いたいことは言うし、反発もあるけれど、くだらない冗談も言い合うし、馬鹿なことでふざけたりもする。

良好な関係であっても、忖度はしないし、毅然と対応する。

できれば嫌われたくはないけれど、こういう性格だし、嫌われるのもまあ仕方ないかなとも思っている。

それでも最終的に無視されないくらいの関係性は保っていたい。

少なくともこいつは使える、役に立つとは思われていたい。

もちろんバランス感覚は大事だ。

何か言うとパワハラだセクハラだという世知辛い世の中だけど、めげずに耳の痛いことも言い続けなければならない。

それがチームの為になるのなら、なおさらだ。

当然ながら自分の憂さを晴らすようなクソみたいな叱り方は論外だ)。

一見善人に見える偽善マネージャーよりも部下のことを真剣に考えて、彼らを守るためにも結果を出すことにこだわりたい。

たとえ嫌われ役になろうとも。

僕はそう考えている。

ではまた。

いい仕事をしましょう。


編集後記

部下との距離感は付かず離れずが良いと考えています。

もちろん人間同士なので、好き嫌いや、合う合わないがあります。

完全にフラットな視点で部下と接するのは困難ですが、僕は仕事のパートナーとして信頼できるかということを1つの軸としています。

「はじめに」に書いたように、パワハラ系にもヘラヘラ系にもならない為には、これは結構重要な観点です。

部下も人間なので、上司に見せている顔と同僚や後輩に見せている顔は違ったりします。

とても良好な関係だと思っていた部下ですら、陰ではどう言っているか、本当のところは見えなかったりします。

なので、良好な関係ばかりを求めると、痛い目を見ることがあります。

色々な失敗を経た中で、贔屓も毛嫌いもせず、能力を軸にしてフラットに接するのが大事だと今は考えています。