パワーと根性だけではどうにもならんぜ?

よくあるダメなパターンには具体性がない
日本にマネジメントが根付かないのは構造的な問題なのかもしれない。
折に触れてそう思うことが多い。
よくあるパターンが、「業績が悪い→何とかしなければならない→会議→具体策見当たらず→(パワーと根性で)頑張ろう!という結論になる」というものだ。
問題はこの過程における「具体策見当たらず」からの「(とにかく)頑張ろう!」の部分である。
大事なのは具体策である。
「じゃあ何すんの?」ということを言語化し、行動に落とすことである。
それができない。
ただ、これをするのがマネジメントの仕事なのではないか?
僕はそんな風に考えている。
そしてそのマネジメントができないことを棚に上げたまま、「根性が足りないからだ!」「頑張っていないからだ!」という結論に達する(ことを繰り返す)。
その思考構造を疑うこともない。
これが日本におけるマネジメント不全の実態だ。
今日はそんなことを書いていく。
メンタルは大事。でも…
日本人は精神論が好きだ。
精神が肉体を凌駕する、的な話が大好物だ。
もちろんメンタルは大事である。
ただ、それはやるべきことをやってからの話であると僕は思っている。
スポーツにおいてもそうであるが、何か上手くいかなかった時に、「気持ち(気合い)が足りなかった」という結論に達することが多いし、それを許容する雰囲気もあるのだけれど、僕は「本当にそうなのか?」と思ってしまうのだ。
もちろんオリンピックであるとか、プロスポーツにおいてはそういう側面はあるだろう。
本当に極限のレベルでの世界においては、メンタルの要素は勝敗を分ける1つの要因になりうると思う。
ただ、我々の仕事レベル、その程度のレベルにおいても、それは果たして当てはまる話なのだろうか?
僕はそれをずっと疑問に思っている。
具体策を練るのは(思いのほか)難しい
具体策を考えるのは実はとても難しいことである。
そしてその難しさをわかっている人は実はあまり多くない。
これがマネジメント不全の大きな要因の1つである、と僕は考えている。
というのは、具体策を練る、という行為においては、現場を知っていることが必要不可欠であるからだ。
実態を知らなければ、具体策は打てない。
ただ、マネジメントという仕事の性質上、現場からはやや離れた立場になってしまうことも事実である。
だからこそこの乖離を埋めなければならない。
埋めた気になるのではなく、本気で埋めなければならない。
それがわかる人は本当に少ない。
「頑張りのインフレ的強要」=「マネジメントの放棄」
文字に落とすことはとても難しいのだけれど、頑張りのスパイラル、頑張りのインフレーションが、当たり前に罷り通ること、そしてそれに対して誰も疑問を呈しないこと(そもそも疑問を持たないこと)に対して僕は違和感を禁じ得ない。
僕から言わせれば、それは「マネジメントの放棄」に過ぎないのだけれど、彼らは(彼らの方が圧倒的に多数派だ)そうは思わないようだ。
パワーと根性で解決するなら、そんなに楽なことはない。
パワーと根性で解決しないから、マネジメントが必要なのだ。
自分が無能であると宣言しているということがわからないのだろうか?
自覚の有無
その自覚があれば、このような精神主義でもまだマシなのだろう。
「(私は無能である。具体的な方策が思いつかず、申し訳ない。だから)頑張ろう!」ということを表明できれば、その人はリーダーとして(まだ)適切な人材である、と僕ですら思う。
ただ、実態面はそうではないのだ。
「(私は悪くない。頑張らないあいつらが悪いのだ。なぜ頑張らないのか? オレは昔死ぬほど頑張っていた。だからかつてのオレのように)頑張ろう!」という人が大半だ。
そしてこういう人達は、頑張らせること、根性を出させることをマネジメントだと思っている。
全く持ってナンセンスだ。
脳筋スパイラル
以前にも書いたことかもしれないけれど、これはきっと未来永劫続くのだろう。
脳筋営業マンが脳筋マネージャーになり、脳筋マネジメントを行う。
そこで評価された脳筋営業マンがまた脳筋マネージャーになり、脳筋マネジメントを行う。
以下エンドレスに繰り返し。
マネジメントとは、脳筋になること、脳筋にさせることである、と骨の髄まで染みついている人達が、「マネージャー」として発言する。
それを聞く人達も、それが「マネージャー」だと思う。
それが当たり前だと思う。
一種の宗教であるとすら僕は思ってしまう。
ここらでそろそろマネジメントを真剣に考えなければならないのではないか?
僕は本気でそのように思っている。
日本人に経営人材が不足していること、日本人監督が日本国内でしか評価されないこと、政治力がいつまでも向上しないこと、そのような事象のすべてが「マネジメント不全」ということに帰結するような気がしている。
パワーと根性以外であなたにできることはありますか?
パワハラ、というものが問題視されてから久しい。
ただ、パワハラを個人的な資質の問題と捉えている風潮が僕には今一つ納得がいかない。
パワハラは「マネジメントができない」ということの1つの証左である。
マネジメントとは「追い込むことである」としか考えられないこの国の構造の1つの宿痾、病態の1つである、と僕は考えている。
パワーと根性を封じられたら、あなたにできることは何かありますか?
是非胸に問いかけて欲しい。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
今回の話は割と本質的なものなのではないか、と僕は考えています。
マネジメントというものを、パワーと根性から切り離して考えたことがある人というのは残念ながらこの国では少数派でしょう。
そしてそのことがこの国にマネジメントが根付かないことの証左であるような気がしています。
パワーと根性は後から来るものです(先ではない)。
論理性・効率性・数理性を極限まで煮詰めて、具体的な方策を提示していきましょう。