マネージャーっていうよりカウンセラーじゃね?

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マネジメントとカウンセリング

自分の仕事内容を冷静に分析してみたところ、僕はマネージャーというよりもカウンセラーに近い仕事をしているような気がしてきたので、それを今日は文章に落としてみようと思う。

これが現在のチーム状況によるものなのか、時代の変化なのか、僕自身の成熟度によるものなのか、その原因はわからないけれど、とにかくマネジメントというよりはカウンセリング的な仕事に忙殺されることが多くなってきているのは事実である。

マネジメントとカウンセリング。

確かに現代においては、この2つの概念が近づいているのは確かであると思う。

そしてマネジメントの方が良くて、カウンセリングの方が悪い、ということもない。

では、なぜ自分はこのことに対してフラストレーションを感じているのか?

結論は出ないかもしれないけれど、今日はそういうことを書いてみようと思う。

上級マネージャーがいなくなり、ケア的な仕事が増えた

冒頭の文章を書いてから、なぜ自分はカウンセリング的な仕事の割合が増えたのかに思い当たった。

それは当社の体制が大きく変わったことが要因としてある。

僕はミドルマネージャーではあるけれど、現場レベルにおいてはトップマネジメント的な仕事も担うようになり、それが僕の仕事内容を大きく変えたのだ。

以前であれば、僕の上にも何人か上級マネージャーがいて、その人達と「天使と悪魔」「アメとムチ」的な役割分担を交互に行っていた。

結果として、僕はマネジメント的仕事に傾注できたのだけれど、その人達が現場からいなくなり、僕はマネジメントもやりながら、もう少し「ケア」的な仕事をせざるを得なくなった。

「ケア」的な仕事というのは、まさに今回書いている「カウンセリング」的仕事のことである。

メンタルケア、キャリアのアドバイス、人間関係の仲裁、他部署との調整、その他諸々。

もちろんそれだって「マネジメント」の範疇に含まれるものではあると思う。

では、なぜ煮え切らない思いが沸き上がるのか?

業務範囲の広さと権限の狭さのアンバランス

答えではないが、1つ思うのは、オーバーワークであるということだ。

オーバーワークというのは、業務量が多すぎる、ということではない。

業務範囲が広すぎる、ということである。

そういう意味では、カウンセラーという言葉も適切ではないのかもしれない。

カウンセリングというのは僕の仕事の中の1要素でしかなくて、もっと広範なことを現在はやっている(やらされている)気がする。

例えば、マンションの管理人であるとか、町内会長・PTA会長みたいなイメージである。

住人達の(課のメンバーの)様々な苦情(隣の人がうるさい、ゴミ出しを守っていない、廊下の電球が切れたなど)が僕のところにどんどんと降り積もってくる。

僕はそれぞれに対して、「それは確かにそうですね」であるとか「いや、それは我慢すべきではないですかね」みたいなことを説いて回る。

時には、業者に掛け合って住環境を良くしたり、近隣の方々にご挨拶して関係性を保ったり、することもある。

でもだからと言って、マンションを建て替えるであるとか、賃料改定を行うであるとか、そのような大きな話は僕の裁定ではできない。

その業務範囲の広さと権限のアンバランス。

それに僕はくたびれてしまっているのかもしれない。

営業課長<総務課長

日々目まぐるしく色々なことが起こる。

様々な陳情が目安箱に投げ入れられ、僕の耳に届けられる。

僕は1つ1つ、ちぎっては投げちぎっては投げしながら、その山を解消しようとする。

その間にも次の陳情がどんどんと湧いてくる。

理解者はいない。

そうこうしていると、マンションの住人達から、自身の会社のことであるとか、子供の進路であるとか、「夜眠れなくて」みたいな精神的な相談などを持ち掛けられる。

それにも応えなくてはならない。

僕の仕事は営業課長であったはずなのに、総務課長として振舞わなければならない(これは総務課長をディスっているわけではない。あくまでも役割期待的な話だ)。

本業に割く時間が減ってきている。

それが現在の状況である。

そりゃ中間管理職になんてなりたくないよな

メンタルコントロールというのは、現代のマネージャー層にとっては、とても重要なスキルではあると思う。

ハラスメントという虎の尾を踏まないようにしながら、先が見えない時代の中で前向きに努力する意義を説きながら、成果を淡々と出さなければならない。

四方八方から様々な意見が飛んでくるし、それについて上司は無理解である。

でも日常の業務はあるし、目の前の仕事はこなしていかなければならない。

誰も中間管理職になんてなりたくないわけである。

現場の努力もそろそろ限界だけど

本来的にはトップマネジメント層の戦略構築がもっと高度化し、現場レベルの士気を上げられるような体制や仕組みを構築すべきなのだろうけれど、それを期待するのはどうやら酷なようである。

現場レベルで、ミドルマネージャーのところで、何とか支えていかなければならない。

それもそろそろ限界に近付いているような気もしている。

全体的に愚痴めいた文章になってしまった。

次回はもっと前向きで役に立つ話をしたいと思う。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のホールデン君みたいに、僕はチームのメンバーが崖から落ちないように見張っているような気分で仕事をしています。

もちろん理解者はなく、一人でそう思っているだけです。

でもそれは僕の被害者妄想だけでなく、実際に多くの組織(特に日本型組織)において起きている事象なのではないかとも思っています。

「大本営はいつも無茶なことばかり言ってくる」

「そのくせケツは拭かない」

というのが、僕の日本的組織への理解(解釈)です。

そして現場における努力というのは、「ただ現場がそう思っているだけ」というある種のナルシシズムとして消化されてしまうものだとも思っています。

そうやって多くの中間管理職たちが討ち死にしていったのでしょう。

その中でどこまで僕が生き残れるかはわかりません。

でもどこかに同じように苦しんでいる方がいるとしたら、その方と同じように僕も戦っていることだけはお伝えしたいと思っています。

共に生き抜きましょう。