人間は機械じゃない

UnsplashPossessed Photographyが撮影した写真

僕らの相手は人間だ

線形のイメージを持ってマネジメントをしている人が多いように感じている。

現在地がここで、ここから1.5倍の負荷をかければ成果も1.5倍になる、そんな比例関係を頭のどこかに持ちながら仕事をしているように、僕には感じられる。

これは(僕からすれば)工業的なアプローチである。

投入量を一定量増やせば、産出量も同じだけ増える(だろう)という考え方。

それが間違いだと言いたい訳ではない。

でも、ことマネジメントという話になると、ちょっと違う観点か必要なのではないか、というのが今日の話である。

僕らの相手は人間である。

機械じゃない。

それでは始めていこう。

コンディションを整えているだけ

同僚のマネージャーから、「なぜ成果が上がっているのか? 具体的にどんなことをやっているのか?」と聞かれることがある。

彼が聞きたいのはたぶん具体的な手法なのだろうけれど、僕には何か特別なことをやっているという意識はない。

でも、「アプローチの違い」みたいなものは感じるのである。

僕がやっているのは、「部下のコンディションを整える」それだけである。

具体的な練習メニューよりもコンディショニングを

サッカーのトレーニングの例えに置き換える。

彼が求めているのは練習のメニューであるのだ。

3対3でフリーマンが1人であるとか、ゴールを3つにしてミニゲームするとか、まあそんな類のトレーニング手法を期待しているのだと思う。

でも僕がやっているのは、選手のコンディショニングだけである。

選手たちがどのような精神状態なのか、肉体的にどれくらい疲れているのか、不満はどのようなものか、そんなことをケアすることに注力している。

非線形のマネジメントに必要なもの

それは冒頭に書いたように、線形的なイメージを僕はある時から持たなくなったからである。

人間が出す成果というのは、線形で表現できるものではない。

これが僕が考える僕なりのマネジメントの極意みたいなものである。

低い段階ではそんなに違いはわからないのだけれど、ある一定程度から先は成果のスピードが大きく変わるのだ。

非線形のマネジメント。

指数関数的な成果の伸び。

これを成し遂げる為には、人間を機械のように扱わない、という考え方が必要となる。

もう少し詳しく書いていく。

マイクロマネジメントは機械論なアプローチである

マイクロマネジメントは機械論的なアプローチであると僕は思っている。

部下達を工業製品のように管理し、その出力の状態を注視し、問題があればテコ入れをする。

管理すればするほど、同じように成果も上昇する、という考え方。

裏を返せば、成果が上がらないのは管理ができていないからである、という思想。

これに僕は昔から疑問を持っている。

管理の度合いに応じて成果が上がるのは低レベルの段階のみ

人間はもっとふにゃふにゃしている。

低レベルな段階においては、成果というのは確かに管理の度合いに応じて上昇していくだろう。

でも、それがある閾値を超えると、そのアプローチは途端に通用しなくなる。

上手く表現できないのだけれど、気分が乗らなくなるのだ。

100%以上の力が出るような環境を意識的に作る

漫画などでよく表現されるように、人間は100%以上の力を出すことがある。

そしてそれがチーム単位であれば、その成果の度合いはもっと凄いことになる。

これができるだけ確率的に多く起きるような環境を作る。

それが僕のマネジメント手法である。

線形的な管理を惰性でやるのはNG

以前にも書いたように、マネージャーができることは、確率を上げることだけである。

その蓋然性を上げる為に有効な手段を取ることをマネジメントと呼ぶ。

具体的な手法、線形的な管理、というのは、手段ではあるけれど、「有効な手段」とは言えないと僕は思っている。

もちろんそれによって、部下達の成果が上がる可能性が高まるなら、それをやればいい

新入社員や若手など、ある程度部下側が必要としている場合もあるからである。

ただ、そうじゃないのであれば、再検討の余地はある。

惰性で管理する、盲目的に継続することは、有効とは言えない。

というか、その日の状態に合わせた管理をすることが大事なのである。

蕎麦屋の蕎麦みたいなもの

例えが適切かはわからないけれど、蕎麦屋が蕎麦を打つ時に、その日の湿気などの状態を勘案して水の量や粉の量を調整する、そんな感じかもしれない。

別に昨日と同じ分量で打ったって、わからない人にはわからない。

でも、そのちょっとした違いがパフォーマンスの差を生む。

そしてそのパフォーマンスの差は、線形ではない。

非線形なのである。

ちょっとしたエッンスの違い

部下がマネージャーの方を向いていること、話を曲解せず意図通りに理解してくれること、そんなちょっとした違いが、成果の差として現れるのである。

だから、冒頭に出てきた同僚のマネージャーのように、「何が違うの?」と聞かれても、説明に苦慮するのである。

本当にちょっとしたエッセンスの違い。

それだけでチームというのは大きく変わる可能性がある。

感情のマネジメント

能力を伸ばすとか、部下を成長させるとか、その考え方は否定しない。

でも、現実的ではないというか、あまり有効なアプローチではないと僕は思っている。

それよりも、元々ある能力をどうやって活かすか、それを継続する為にはどのようなサポートが必要なのか、に注力した方が、成果は大きく変わるような気がしている。

感情のマネジメントを。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

今日の話は僕の中では割と浸透しているものなのですが、他者に話をしても殆ど伝わらないことであると思っています。

というのは、彼(彼女)らからすると、何というか、軟弱な感じがするのだと思います。

不定形のものを、不定形なまま活かす、というのは一般的なマネジメントの概念にそぐわないのかもしれませんが、それができる人とできない人では成果に大きな差が生まれると僕は思っています。

でも、それを体系化したり、言語化したりすることは難しい。

僕はそんな風に感じています。

弱者の兵法。

ジャイアントキリングを繰り返していきましょう。