僕が中途採用の人と気が合うのにはきっと訳があるはずだ

UnsplashCytonn Photographyが撮影した写真

ヨソ者たちと気が合う

今日の話はタイトルの通りで、僕は中途採用の人と気が合うことが多い。

ウチの会社は典型的日本企業のように「生え抜き社員」を大事にしている会社で、「そうじゃない人達」は(言葉は悪いけれど)一段下に見られている、そんな社風の会社である。

もちろん、表にはそんな話は出てこない。

あくまでも暗黙の了解的な話である。

ここで言う「そうじゃない人達」には、色々な人が含まれる。

中途採用者、派遣社員、パート社員、シニア社員、まあ様々である。

そういう人達と僕は気が合う。

そしてそこにはきっと何らかの理由があるはずである。

今日はそんなことを書いていく。

生え抜きのアウトサイダー

まず前提として、僕は「生え抜き社員」である。

でも、ずっとアウトサイダー感を感じている。

そういう意味では、「生え抜き社員」の「傍流」とでも言えるのかもしれない。

会社が求めるバイブス(この嫌いな言葉から僕の会社に対する感情を察して欲しい)と僕のリズムが全く合わないことに気づいてから、僕はずっと自分のしたいように仕事をしてきた。

多くの人に白眼視され、たくさんの人に嫌われてきた。

でも、一方で、熱烈な支持者がいて、その人達のおかげで僕は何とか仕事を続けられている。

それが僕の現在地である。

優等生・優等生

僕から見える「生え抜き社員」の人はとてもお行儀がいい。

でも、とてもつまらない。

何というか、「昭和っぽい」のである。

王様ゲームみたいに、「組織の言うことは絶対!」みたいな感じの人がとても多いし、そこで自我を出すことは子供っぽいことであると心から思っているような人達。

「尖ることはダサいぜ?」「いつまでそんな中二みたいなこと言ってんの?」そんな感じである。

かつてはそれが有効な時代があったのだろう。

でも、時代は変わった。

ただ、それに追いついていけてない。

「そうじゃない人達」は多様性に含まれないのか?

彼(彼女)らは大真面目に、「ダイバーシティだ!」とか「LGBTQだ!」とか「インクルージョンだ!」とか言っている。

その方向性は否定しない。

でも、僕からすれば、彼(彼女)らほど多様性を軽視している人達はいない。

足元にはたくさんの「そうじゃない人達」がいる。

でも、彼(彼女)らはそれを見ていない。

もっと何か理想的なイメージ、お花畑みたいなものに囚われている。

僕はその優等生感が大嫌いだ。

人事評価 猛獣を扱う能力:S

僕のチームには、たくさんの「そうじゃない人達」がいる。

メンバーの半分くらいは「そうじゃない人達」である。

その人達との方が、僕は話が合う。

何というか、まともな話をできるような気がする。

他社から来た彼(彼女)らは、一様に僕に驚く。

「この会社にこんな人がいるんですね!」と嬉しそうに笑う。「それもマネージャーで!」

僕の人事評価書にはきっと「猛獣使い」みたいなことが書いてあるのだと思う。

そうじゃなければ、僕のチームにこんなにバラエティに富んだ人達が集まる訳がない。

ヤンキー感と野性味

彼(彼女)らは皆、「尖って」いる。

何というか、「お前がしょうもないこと言ったら、噛み殺してやるからな!」みたいな「野性味」を感じるのだ。

そこには典型的日本企業にあるような、「上司だから尊重する」みたいな雰囲気はない。

「上司だろうが関係ねえ!」そういう粗っぽさ、ヤンキー感を感じる。

僕はそういう人達が好きである。

人としてどうかが問われる

昔からそういう人達と仲良くできるのだ。

彼(彼女)らは本質を重んじる。

形式とか、建前とか、そんなものを取っ払って、「人間としてどうなのか」ということを端的に問うてくる。

それが僕は面白いのだ。

扱いづらい奴のまま

僕は品行方正な会社の中で、中二病に侵されながら、未だに尖ることを続けている。

もちろんマネージャーなので、これでもだいぶ丸くなった方だと自分では思っている。

でも、会社的にはマネージャーはもっと丸くあるべきだと思っているようで、依然として「扱いづらい奴」というカテゴリーから逃れることができていないのも事実である。

社会とのズレを合わせているだけ

僕は尖りながら、尖っているメンバーと高い成果を出し続けている。

それは会社が求める「多様性の尊重」とは違う意味での「多様性の尊重」だと僕は思っている。

会社の常識は僕からすれば非常識で、社会とのズレは日に日に大きくなっていっている気がするのだけれど、それは一向に修正される気配がない。

僕が普段やっているのは、その軌道修正だけである。

ただ、その軌道修正こそが現代には重要なのだと思う。

ヨソ者はまともだ

「まともな感覚」「常識」みたいなものがマネージャーには求められる。

でも、組織にどっぷりと浸かると、その常識の感覚がどんどんズレていく。

それを僕は日々修正しているだけなのだ。

そういう「当たり前の感覚」「そうじゃない人達」ととても合うのである。

組織の偉い人と話をする時に感じる違和とは違う、まっとうな感覚。

それが僕が彼(彼女)らと気が合う理由であるような気がする。

裸の王様における子供の役割を

まともなことを言うと糾弾される。

「王様は裸だ!」というのはいつの時代も子供である。

僕はそれでいい。

それを面白がってくれる人達と、山賊みたいなチームの中で、僕は高い成果を上げていくつもりである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

会社の人達と話が合わないなと思うことが増えてきました。

表現が難しいのですが、「言葉が歪んで伝わる」「芯を食わない」そんなことを感じることが多いです。

「やっぱり僕はおかしいのだ」とその度に思うのですが、中途採用者など、生え抜きじゃない人と話をする時にはそんなことを思わないので、やっぱり会社がおかしいのかもしれません。

まともじゃない人ほど自分はまともだと言い張ります。

変人であることを自覚しながらも、何とか生き残っていきましょう。