配属ガチャに外れたら

Unsplashdylan nolteが撮影した写真

ミスマッチは常に起こる

新入社員・若手の間で「配属ガチャ」という言葉が当たり前のように使われるようになってきた。

気持ちはよくわかる。

でも、それが日本の会社の現状なのだ。

もう少し適切な言葉で言うのであれば、「ミスマッチ」というのが常に起こる、もしくは起こる可能性が非常に高い、というのが日本の労働市場(労働慣習?)なのである。

ここにはジョブ型雇用が主流ではないことも関係しているだろう。

自分がどのような仕事をするのか、そこにはどのような上司・同僚がいるのか、というのは現在時点では「運」の要素が非常に強い(特に新人であれば、その傾向はより顕著だろう)。

その中でどのようにすれば、仕事を前向きに捉えられるようになるのか?

今日はそんなことを書いてみようと思う。

「誰かがあなたの為に何かをしてくれる」なんてことはない

まずは苦言から。

新入社員に限ったことではないけれど、多くの日本の会社員(国民?)には「受け身」の考え方が染みついてしまっている、と僕は思っている。

これは早々に捨て去ってしまった方がいい。

もちろん、上記したように、現在の日本の雇用環境においては、「運ゲー」の要素が強いし、それは自分の力でどうにかなるような種類のものではないのは事実だ。

でも、その後のことは自分で決められる。

誰かがあなたの為に何かをしてくれる、という考え方は幻想に過ぎない。

寂しい言い方ではある。

でも、人生ってたぶん「そういうもの」なのだ。

それをしっかりと受け止めること。

「その他大勢」にならない為に

誰かのせい、「他責」にするのではなく(気持ちはとてもわかるが)、まずはそれを「所与」のものとして受け止めて、「じゃあどうするか?」と考えることを起点とする。

マイナスからのスタートをやめる。

これだけで、仕事への取り組み方(スタンス)というのは大きく変わるし、現状においては「その他大勢」の人達よりも圧倒的に優位に立てる。

そして残酷な現実を言うなら、圧倒的に優位に立てれば、「配属ガチャ」の対象となることはなく、ある程度自分の希望に叶った部署に行くこともできるのだ。

モブにキャリアなんてない

モブのままでは、いつまでも自分のキャリアを選ぶことはできない。

会社には温情はない。

でも、使えるものは使いたいと思っている。

だから、(繰り返し厳しいことを言うようだけれど)「使える」人材になることがとても大事だ。

使われる人ではなく、実力をつける

一方で、「使える」人材になることを意識するあまり、「使われる」ようになってしまうのも考えものである。

上昇志向が強いことは悪いとは言わない。

でも、「都合の良い人」になってしまっては、実力が伸びていかない。

大事なのは「腕を磨くこと」で、それがあれば、ぶっちゃけどうにかなる。

現在の会社に可愛がられる(だけの)スキルも必要だけれど、どのような環境でも成果を上げられるような「腕」を。

それはマーケットバリューとか、ポータブルスキルとか、そのような横文字ではなくて、単純に「実力」をつけること。

それはきっとどのような職場でも身に付けることは可能だと思う。

どんなことからでも学ぶことはできる

もちろん限度はあるとは思う。

「どうやっても無理!」そのような環境があることも否定しない。

でも、そこですら得られる経験はある、と僕は思っている。

詭弁みたいなことを言うけれど、上司が変な奴であることを経験していれば、良い上司のありがたみが分かるし、本意ではない仕事をあてがわれることを経験していれば、本当にやりたい仕事ができた時の喜びが増幅される。

文章にするとニュアンスを伝えづらいが、人生を機嫌よく過ごす為には、ある程度の理不尽に耐える経験も大事なのだ。

自分探し? 笑っちゃうね。

これは「社畜」になりなさい、という話とは全然違う。

配属ガチャに外れても、会社の言う通り、唯々諾々、ひたすらに尽くしなさい、そんなことは全く思っていない。

でも、何というか、「そこでできることって何なのだろう?」と考える姿勢というのは大事なような気がするのだ。

自分の可能性を試す、というか。

それを通過せずに、仮に100%自分の思い通りの職につけたとして、本当にそれが適職だと思うことができるのだろうか?

僕はそうは思わない。

きっとそこでも何らかの不満を覚え、次へ向かうのだろう。

被害者意識を捨てて、戦略的に

上記したように、僕は日本の雇用形態が良いとは全く思っていない。

でも、自分の能力を伸ばすという視点に切り替えたり、「なんて不遇なのだ」というマインドから脱したりすることは、人生を前向きに生きる上ではとても大事なことだと思っている。

誰もあなたのキャリアについて真剣に考えてくれることなんてないのだ。

寂しい言い方ではある。

でも、それならそれで、こちらにも考えがある。

それでいいのではないか?

カードの切り方

僕は会社が嫌いではないけれど、あまり信用していないし、「そっちがその気なら、こっちもカードを切るぜ?」といつも思いながら仕事をしている。

ビジネスライクになり過ぎる必要はないけれど、期待し過ぎるのもどうかと思うのだ。

そして、そのような割り切りの中でも、何も得られないと感じるなら、次へ向かうことを考えればいい。

何人もの部下を見てきて、僕はそう思うのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

僕はビジネスで行き詰ると、サッカーのことを考えるようにしています。

サッカー選手というのは、チームや監督によって大きくその選手生命を左右されてしまうものですが、それでも本当に実力があり、節制を行い、腐らずにいる人には必ずチャンス(適職)が回ってきているように僕は思っています。

望んだポジションでなくても、思い描いていたレベルのチームじゃなくても、そこでチームの為(ひいては自分のキャリアの為)に何ができるのか?

そこで大きく将来は分岐するような気がしています。

少なくとも、「配属ガチャ」なんて言っている内は、いい仕事は回ってきません。

今できることに全精力を注いでいきましょう。