リーダーシップと一貫性

UnsplashFree Walking Tour Salzburgが撮影した写真

一貫性を持った行動をしていれば、周囲が勘違いしてくれる

リーダーシップという言葉を聞くと、「そんなものは自分にはない…」と思う人もいると思う。

でも、心配はいらない。

というか、そこまで深刻に考える必要はない。

リーダーシップというのは、一貫性を持った行動をしていれば、周囲が勝手にあるように勘違いしてくれるものだから。

ちょっと言い過ぎたかもしれない。

でも、僕が考えるリーダーシップというのはそのようなものだし、そう考えている僕のことをリーダーシップがあると評してくれる人もそれなりにいる。

たぶんリーダーシップには色々な型があるのだろう。

別に誰かを引っ張っていく必要はない。

先頭に立って、勇ましく腕を掲げる必要はない。

ただ、自分が「これだけはやっちゃいけないよな」と思うことを一貫してやらないこと。

「ダサい仕事」を一貫してしないこと。

これが(僕が考える)リーダーシップの秘訣である。

今日はそんな話をしていこう。

リーダーシップは人間性そのもの

何年もマネージャーという仕事をしてきて、また何人もの上級マネージャー達と仕事をしてきて、その間ずっとリーダーシップについて考えてきた。

自分は(部下として)どのような人にリーダーシップを感じるのか?

自分は(上司として)どのようなリーダーシップを発揮したいのか?

ミドルマネージャー(中間管理職)という立場で、僕は上も下も見ながらずっと仕事をしてきたことになる。

その中で僕が気づいたのは、結局のところ「人間性」に尽きるということである。

では、人間性がなければゲームセットなのか?

仕事ができようができまいが(もちろん程度問題ではある)、コミュニケーション能力が高かろうが低かろうが(こちらも同様)、人間性が優れていればどうにかなる、というのが僕が発見した法則(?)である。

家で言えば土台、木で言えば幹、に当たるのがこの「人間性」である。

ただ、同時に人間性というのは、自分で高めようと思っても高まるものではない。

持って生まれたもの(出自や才能、育ち)、でほぼ決まってしまう、ある種残酷なものでもある。

そして、僕には優れた人間性がないということも、折に触れて実感することになった。

「それなら、それで試合終了なのか?」と問われると、「そんなこともないのでは?」というのが今日の話に繋がってくる(アディショナルタイムはそれなりに残されているのだ)。

疑似リーダーシップ

それは「一貫性を持った行動をする」ということである。

ピンチの局面であっても(人間性はピンチの時ほど露見するものだ)、変わらず同じ行動をすること。

言動も大事だけれど、それを行動で示し続けること。

これが僕が編み出した「疑似リーダーシップ」を生じさせる方法である。

そしてこれを続けていると「人間性が優れている」という似非評価もついてくる。

勝手に僕のことを「それなりの人物」であると勘違いしてくれるようになる。

ただ、その為には一貫性を持った行動をしなければならないのだ。

どんな局面であっても。

一線を越えない

中間管理職という立場上、自分の意に沿わない仕事をやらなければならない局面というのは往々にして訪れるものである。

その時にどのような行動をするか?

どこまでは譲れて、どこまでは譲れないか、きちんと線引きをすること。

ルビコン川を渡るというか、ここを超えたら後戻りはできないよな、という一線を何とかして超えないこと。

悪魔の囁きに耳を貸さないこと。

これがリーダーシップを保つ秘訣なのだ。

会社からの評価は大事?

こんな話をすると、意に沿わない仕事を撥ねつけると自分の評価が下がるのではないか、と心配される方もいると思う。

もちろん、下がらないとは言えない。

会社という組織の構成員として、それも管理職という立場で、(どんな形であれ)会社の指示に背くことはそれなりのペナルティを伴うものであるから。

ただ僕の経験上言えるのは、そこで失うものよりも得られるものの方が圧倒的に大きい、ということである。

まあ、確かに価値観の問題ではある。

会社からの評価を絶対視する人はそれなりにいるものだから。

でも、最終的には回りまわって会社からの評価も高まる、というのがこのリーダーシップというものの面白いところである。

自分が自分を信じられることが大事なのでは?

これは別に部下に媚びろ、とか周囲から良い人認定されろ、とかそういう話ではないのだ。

ただ、自分が信じるものをきちんとやる人間であることを、自分自身に表明する行為、それが重要なのである。

会社からの評価はオマケみたいなものだ。

それを最優先に仕事をするから、皆から陰口を叩かれるのである。

深掘りした自己満足を

仕事なんて自己満足に過ぎない。

多くの先輩方を見送ってきた僕が思うのはこの種のことである。

でも、それができるかできないか、それもちょっと深掘りした次元でそれができるかできないかは、結構重要なことだと僕は思っている。

というか、そう思わない人は永遠にそう思わないだろうし、そのままの状態できっと進んでいくのだろう。

ただ、少しでもリーダーシップが欲しいな、周囲からそれなりに信頼されたいな、と思う人は、今日僕が書いたことを意識して仕事をしてみると、変わってくると思う。

僕のようなどうしようもない人間であっても、それができたわけであるから。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

会社からの評価に拘泥している人をリーダーシップがあると評しますか?

それよりも「ダサい仕事はしない」と心に決めている人にリーダーシップを感じませんか?

こんなのは価値観の問題に過ぎないのかもしれません。

でも、どちらを取るかはあなたの自由です。

人生はトレードオフ。

両取りは不可能です。

心を決めていきましょう。