中を取る技術(アンチ・船頭多くして船山に上る)
そのやり方では多くの人の賛同は得られない、たぶん。
最近、中を取る人が減ったよなあ、と思う。
何かにつけて自分の利益ばかりを主張して、全体の利益を考えることができない人が多くなった印象がある。
結果として、組織は好き勝手、あらぬ方向にそれぞれがバラバラに動いている。
そんなイメージを僕は持っている。
もちろん自分のやりたいことを実現する為に主張をすることは大事なことではある。
ただ、それがどのような経路を経たら実現しやすいか、もっと言えば、多くの人の賛同を得ながら実現する為にはどうしたらいいのか、というところまで考えられなければ、そのパワーは小さなものになってしまう。
そして、多くの人の賛同を得る為には、それなりの技術がいる。
それが今日のテーマである「中を取る」技術である。
それでは始めていこう。
Winとは?
以前「三方よしと三方一両損」という記事を書いた。
詳しくはその記事をご参照頂きたいのであるが、今日の話はそれを少し進めたもの(違う角度から書いたもの)である。
冒頭にも書いたように、昨今のビジネス環境においては、Win-Winであること(特に自分のWin)が過剰に意識されているように僕は思っている。
そしてそのWinというのが局所的なものに留まっているというか。
「確かにあなたから見ればそれはWinなのかもしれないけれど、本当にそれってWinなんですかね?」というようなイメージというか。
思い上がりとしてのWin
上手く説明できないのだけれど、Win-Winという概念には、「思い上がりがある」と僕は思っている。
自分のWinはまあわかる(自分のことだし)。
ただ、それが相手にとってWinかどうかというのは、本当のところはわからないはずである。
でも、それをWinと仮定して話を進めている訳である。
そしてその相手のWinというのも、相手から見えたWinを想像しているに過ぎなくて、もう少し遠くの射程(時間軸も含む)から見れば、それって本当にWinなのだろうか、と僕には思えてしまうのだ。
共同体としてのWinを構築する為には、誰かがLoseしなければならない
一方、前掲した記事の中では、Lose-Loseという考え方が大事なのでは、ということを書いた。
そしてマネージャーがその間に入り、「持ち出し」をすることで、Lose-Lose-Loseという関係性を作ること(場を立ち上げること)ができる、とも書いた。
これが大事なことなのである。
Winというのは個人だけのものではない。
そこに存在する(関係する)人たち全体にとってのWinである(ステークホルダー的な概念)。
それは共同体にとってのWinとも言い換えることができる。
ただ、共同体にとってのWinを作り出すためには、誰かが「持ち出し」をしなければならない(そうでないと場が立ち上がらないから)。
それを行うのがマネージャーであり、その為の技術が今日のテーマである「中を取る技術」である。
そしてその「中を取る技術」とは、「持ち出しができるか否か」にかかっている。
みんなが自分のWinを主張することによって、結局Loseしているのでは?
もちろん、表面的なスキル(コミュニケーションを円滑にするなど)も大事だろう。
でも、それよりも重要なのは、「自分が損をすることを厭わない姿勢」である。
「無私」とまではいかなくても、全体の利益の為に一歩引けるというか、それによって全体としてはおつりが来るというか、そのような交渉をできることが、マネージャーには求められるのだ。
みんながみんな、自分のWinを持ち出すと、にっちもさっちもいかなくなる。
でも、現代のビジネス環境においては、これが所与のものとなっている(ような気がする)。
というか、むしろそれを主張することが望ましいと捉えられている(ような気がする)。
でも、僕はここに一石を投じたいのだ。
もちろん主張をすることが大事ではないとは言わない。
ただ、「中を取る人」=「場を立ち上げる人」がいないと、そもそものWinが小さくなってしまう(下手をしたらLoseしてしまう)のでは?
そう思うのである。
大人よりも子どもでいる方が有利であるという世界観が、僕たちを息苦しくしている
様々な関係者がいて、その利害関係を調整をすることは一見地味な仕事に見えるかもしれない。
でも、この種の人が激減してしまったことによって、全体のパイが小さくなり、得られるものも小さくなっているように僕には思えるのである。
そしてその人たちが激減してしまった理由の1つとして、僕たちがそのような「中を取る人」を称賛しなくなったことがあるように僕は思っている。
「大人」よりも「子ども」でいる方が有利である、という世界観が、僕たちの社会を息苦しいものにしているような気がするのだ。
中を取る人を適切に評価する仕組みを
アンサング・ヒーロー。
そこまでではないのかもしれないけれど、僕たちはこのような「中を取る人」たちを適切に評価するような仕組みを構築しなければならないのではないか?
そうしないと、矮小化されたWinの中で、小競り合いを続けるだけになってしまうのではないか?
そんなことを思うのである。
結局、僕たちは貧しくなっているだけ
進んで損をしに行く人を、僕たちは「マヌケ」だと認定しがちである。
でも、それがそもそもの間違いなのでは?
コスパの高さばかり気にする僕たちは、結局のところ、みんなで足を引っ張り合いながら、貧しくなっているだけなのだ、きっと。
進んで損をしに行くことは、もしかしたら自己満足に過ぎないのかもしれない。
「場を立ち上げた!」と悦に入っているだけなのかもしれない。
それでも良くないか?
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
内輪揉めによる相対的貧困。
僕が最近の日本に思うのはこの種のことです。
「安いニッポン」の議論を念頭に置かずとも、僕たちが内側のWinをそれぞれ求めることによって、全体としては貧しくなってしまっているのではないか?
合成の誤謬。
そこから脱する為には、共同体の利益を考え、みんなで豊かになるという思想が必要です。
進んで中を取っていきましょう。