「言わない人」を(もう少し)尊重しよう

UnsplashAlena Jarrettが撮影した写真

ジョブ・ディスクリプションと間に落ちる仕事

今日の話はタイトルの通りで、「言ったもん勝ち」の世の中に対して違和感を覚えていて、もう少し「言わない人」を尊重しなければならないよね、という問題意識に基づいて書いていこうと思っている。

これは「ジョブ・ディスクリプション」にも関係してくる話である。

ジョブの明確化によって、「やらないこと」に対する大義名分が与えられることになった、と僕は考えている(もちろん、ジョブ・ディスクリプションには良い面もたくさんあるが…)。

皆が皆、自分の業務領域を明確に定め、それもできるだけその範囲を小さく定めるようなムーブをし出すと、仕事が「間に落ちる」確率は増大する。

でも、そのような間に落ちる仕事だって、誰かがやらなければならない。

では、それを誰がやるのか?

本来的には、このような事態にならないよう、事前にジョブ・ディスクリプションの範囲を明確に決めておくべきなのだとは思う。

ただ、当たり前の話であるが、「仕事の領域を明確に定める」ことは不可能であり、どうやったって「間に落ちる仕事」は生まれることになる。

だからこそ、業務領域には柔軟性を持たせるべきなのだけれど、それは一方で旧来からの働き方(曖昧な業務領域が存在する働き方)に近接していくことになる。

このようなジレンマ。

そして、それは表面化し、あらゆるところでイザコザが起きている(「それは私の仕事ではない」。「それはアイツらの仕事だ」etc.)。

そんな中で粛々と「言わない人」が間に落ちる仕事をやっている。

そういう人たちを可視化し、もう少しスポットライトを当てませんか、というのが今日の話である。

それでは始めていこう。

ジョブ・ディスクリプションの現実

「声のデカい人が有利」

ジョブ・ディスクリプションの世の中を、大雑把に規定すると、このようなことだと僕は思っている。

「面倒な人」と思われることで、できるだけ自分のところに仕事が来ないように仕向ける動き方。

それが方々で起きている。

結果、多くの人の業務領域が極小化している。

それが「ジョブ・ディスクリプションの現実」であると僕は捉えている。

残業は少なく、有休は多く

ここに「働き方改革」の話が乗ってくる。

「残業はできるだけ少なく」

「有休消化はできるだけ多く」

そのような話は何にもおかしなところはないし、考え方としては至極真っ当であると僕だって思う。

でも、このような話を自分に都合の良いように解釈する人はたくさんいる。

それによって、割を食っている人がいることも知らずに。

間に落ちる仕事をやってくれる人

こうやって、職場はギスギスとしたものになっていく。

そして、仕事は皆の「業務領域外」に残置されるようになる。

でも、当たり前の話であるが、仕事は「誰か」がやらなければならないものである。

放置されたままにしておくわけにはいかない。

会社によっては、管理職がこの放置された仕事を引き取るということもあるだろうけれど、こちらから言わなくても、黙々とその仕事をやってくれる社員も稀に存在する。

ただ、このような社員にスポットライトが当たることはあまりない。

「それを変えませんか?」というのが今日の話である。

ゼネラリストの枯渇

スペシャリストとゼネラリスト。

前者が善で、後者が悪

大雑把ではあるが、このような感覚を抱いている人は多いように思う。

そして、多くの人が前者のようになりたいと考えているように感じる。

それは否定しない。

また、前述したジョブ・ディスクリプションの流れにも合ってはいる。

ただ、僕が思うのは、多くの人がスペシャリストを目指した結果、ゼネラリストの人材プールが枯渇し、仕事が円滑に回らない、ということである。

もちろん、ここでいうスペシャリストというのは、本来の意味でのスペシャリストではなく、「専門性という言葉を盾に業務領域を絞っている人」のことを指すわけで、そうなると、相対的にゼネラリストの価値が上昇してくる。

ある領域に特化せずとも、大抵の仕事をそれなりの水準でやってくれる人というのは、マネージャーからするととても有難い存在である。

そのようなポリバレントな人を評価することも大事なのでは?

そんなことを考えている。

ポリバレント性の方が現代においては重要では?

確かに、ゼネラリストを評価するのは難しい。

「何をやっても中途半端」というイメージがどうしたって付きまとうからだ。

ただ、ロボティクスの普及や、RPAの導入、アウトソーシングの活用、その他諸々によって、自社内に(それもチーム内に)高い専門性を抱えておく必要が本当にあるのだろうか、と思うのも事実である。

むしろそのようなツールや、関係各所を上手に使いながら、多方面の業務を一度にこなせる人材の方が、今の時代には合っているのではないか、とすら考えている。

もちろん、バランスの問題ではある。

でも、バランスという意味では、現状スペシャリストの方に偏り過ぎている気がするので、もう少しゼネラリストな人を尊重する方向に進むべきなのではないかと思うのだ。

評価軸に(スペシャリティだけでなく)ポリバレント性の導入を。

それが僕が最近思うことである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

プログラミングは一時期とても流行りましたが、直近ではプログラミングすらAIがやってくれるようになったので、「それを上手に使える人」の方が重宝されているように感じています。

これは本文でも書いた、「専門性って本当に必要なのか?」ということにも関係してきます。

本当の意味での専門性は重要ですが、多くの人はそこまで専門性を高めることができず、「自称スペシャリスト」に留まってしまうので(だいぶ煽った言い方ですが…)、それなら汎用性を高め、広く浅く何でもできる人になった方が現代には適合的であるような気さえしています。

そして、そのような「便利屋」は、大抵の場合、黙々と仕事をしています。

「そのような人をもう少し良い待遇にすべきなのでは?」というのが今日の話です。

マネージャーの立場からすると、中途半端な専門性を持った人よりも、多くの方面で柔軟に対応できる人の方が有難みを感じます。

ジョブ・ディスクリプションの時代だからこそ、そういう人に光を当てるような運営をしていきたいと僕は考えています。

共感はできないかもしれませんが、引き続き読んで頂けたら幸いです。