Z世代の叱り方

UnsplashZyanya BMOが撮影した写真

なぜオレにそれを聞く?

「若手社員をどのように叱ったらいいかわからないんですよねえ…」

そんな相談をあるマネージャーから受けた。

いやいや、あなただって十分に若いだろ?

なんで、おじさんであるオレにそれを相談してくる?

そんなツッコミを心の内に抑えて、僕なりの若手社員への接し方を彼に話してみた。

今日はその時の話である。

それでは始めていこう。

令和と昭和

若手社員との接し方に悩むマネージャーは多い。

一方、僕は正直なところあまり悩んだことはない。

それがなぜなのか、にこの辺の問題を解くカギがありそうな気がしている。

セクハラ・パワハラが世間的に大きく問われるようになって、社内の状況は大きく良化したように感じている。

それはとてもポジティブなことだ。

でも、一方で、それによってどのように叱ったら良いのかどこからがハラスメントになるのか、に悩んでいるマネージャーも増えたように思う。

特に、若い世代は怒られ慣れしていないというか、学生時代においても怒鳴られたり、殴られたりしたことがない人が大半であるのが令和という時代である(こう書くと、昭和がいかにバイオレンスな時代だったかを痛感する)。

ただ、だからと言って、部下の行動には満足できない点があるし、それを指導しなければならない局面は訪れる。

さて、どうするか?

上司というだけで自動的に何でも言うことができた時代

僕が思うのは、まず自分が悪い人間ではないことを理解してもらうことが重要である、ということだ。

以前であれば、上司と部下という関係性が成立していたので、自分のパーソナリティを理解してもらわなくても、いきなり本題に入ることができたように思う。

上司であるのだからこれくらい言うのは当たり前というか、部下はそれを聞くのが当然というか、そのような擬制の元に指導が行われていたし、それは別におかしなことでも何でもなかった。

でも、現代においては、上司であるという理由だけで、自動的に何でも言ってよいということにはならない。

ある程度の関係性を構築した上で本題に入るというか、もう少し深い部分まで降りていく必要がある。

対等な人間同士の関係で

これは一見面倒なようだけれど、本来の人間関係というのはそういうものなのだろうなと一方で思わなくもない。

上司だから自動的に偉い訳ではないし、部下だから自動的にそれに従わなければならない訳でもない。

対等な人間同士の話。

それは別に何らおかしなことではない。

これがとても重要な概念であるように思う。

そして、そのような基本的な関係性が構築された上で、叱るべき事象についての話をしていく。

違和感と違和感の指摘

これも一方的にやるのではなく、まずその事象に対しての見解を述べるところから始めるのが良いと思う。

「オレはアレに対してこう思った」ということを話す。

それは咎めるとか、叱るとかそういうカテゴリーの話ではなく、あくまでも自分は違うように感じた、という範疇での話をする。

それに対する見解を聞く。

そして、大抵の場合、部下の言っていることに一理あるなと僕は思ってしまうことになる。

なるほど、と。

でも、それってその時にはそう感じなかったし、そう感じない人もいるのではないか、ということを続けて話していく。

またそのことに対する応答がある。

そこにちょっとした違和感が生じる。

ここがZ世代とそれまでの世代の差なのかな、と個人的には思っている。

自分の行動に対して、自分と同じように思わない人が世の中にはそれなりの数存在するということが想像できないというか、想像が甘いというか、そのような感覚を覚える。

それを指摘する。

彼(彼女)らは一様に驚く。

というか、戸惑った表情を見せる。

まるで異世界の住人と話をしているかのように。

でも、それは克服可能でもある。

単純にそのような経験がないだけなのだ。

シンクロしない人と接しないことのデメリット

Z世代と呼ばれる人たちに僕が感じるのは、自分と同調しない(シンクロしない)人との接し方がよくわからないのだろうなということである。

そういう人と接する必要性を感じないというか、なぜそのような人たちと接しなければならないのかがわからないように思える。

そして、そのような感性は、別におかしなことではないと僕は思う。

ただ、それによってデメリットを被る可能性があることは知っておいて損はないようにも思うのだ。

彼(彼女)らはそのデメリット性について、考量すらしていないように僕には思える。

それがそれなりのダメージを与え得ることを想像できていないように僕は感じる。

それを教えるのがZ世代の叱り方なのではないか?

僕はそのように思うのである。

適切な方法で伝えること

冒頭に、僕は若手社員との接し方がわからないと思ったことがないということを書いた。

それはやや尊大な物言いに聞こえるかもしれないけれど、単純に僕には阿ったり、相手に合わせようというつもりがないだけである。

彼(彼女)らがどう思おうと、僕には関係ない。

でも、会社として、チームとして不利益が生じるなら看過できないし、それを適切な方法を持って伝えるだけなのだ。

そして、その為の方法として、今日のような話は少しは有用であるのではないか、と僕は思うのである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「物事は多面的で、人間は多様である」

そのような考えを持たない世代。

そんなことをZ世代に僕は感じることがあります。

というか、「だから何なの?」という感性、というか。

それはそれで合理的なのかな、と僕は思います。

時代適合的ではある。

でも、面白くはないよな。

それが彼(彼女)らと話している時の率直な感想です。

ただ、そんなことを僕が思っているなんてことはどうでもいいことでもあります。

彼(彼女)らには彼(彼女)らの僕らには僕らの考え方があります。

それぞれの絶対的な距離がそこにはあります。

それを前提として、どうやってチームを機能させるのか?

難題ではありますが、越えられないこともありません。

適切に叱っていきましょう。