実力の物差しとは?
夢遊病者みたいに立ってた
マネージャーになって、初期のバタバタした感じが終わったくらいの頃から、「踊り場」が続いているような気がしていた。
要は成長が止まっているような感覚がずっとあったのだ。
もちろんその時期にはその時期なりの大変さや苦労があったのだけれど、自分のマネジメント能力が向上しているとは思っておらず、ある種の「惰性」によって日々を過ごしていたような気がする。
それが最近になって、その踊り場を抜けた感覚がある。
と言っても、何か具体的な事象があった訳ではなく、「気が付けば上の階に来ていた」「夢遊病者のように階段を昇っていた」そんな感覚なのである。
マネージャーの能力は分かりづらい。
でも、確かな自信となる場合もある。
今日はそんなことを書いていこうと思う。
単調な日々
いつも書いていることだけれど、マネジメント能力というのは外側から見た時にとても分かりづらいものであると僕は思っている。
ドラゴンボールに出てくる「スカウター」みたいに、数字として相手の実力が表示されるならいいのだけれど、そんなことは当然起こり得なくて、玉石混交、できる人もできない人も十把一絡げ状態なのが、マネージャーという職種である。
御多分に漏れず、僕もその中の1人であると思っていた。
大した実力もなく、向上の兆しもなく、淡々と日々を繰り返しているだけ。
そんな状態が数年間は続いていたような気がする。
平凡な日々を潜り抜けたという事実それ自体
大抵のことは「既知」のことで、心拍数が上昇するような事態は殆どなく、出来合いの解決策を持ってくれば解決するような日々。
そこには充実感なんて全くなかった。
ただ、今振り返れば、それはそれでとても大事な経験だったのだろうと思う。
そのような日々を経なければ、今のような自信を持った状態にはなれなかっただろうとも思うのだ。
そして、その時の自分と今の自分の何が違うのか、というのを分析しようと思ったのが今回の試みなのである。
それは何か?
「平凡な日々を潜り抜けた」という事実それ自体なのではないか?
それが僕の現在時点での仮説である。
興奮? アドレナリン? 何それ美味しいの?
営業担当だった時と比べて、マネージャーの仕事というのは、アドレナリンが出ないことばかりである。
面白いこと、興奮すること、達成感、やりがい、そんなものは皆無である。
ただ、毎日を毎日として繰り返していくこと。
というか、むしろそれが望まれているのである。
そのような日々においても当然ながら成果は求められるのだけれど、それを自分がただ興奮してバタバタするのではなく、淡々とチームを動かして、望ましい方向に向けていくという作業。
そして達成したからといって、自分の能力であるなんてことは全然思えなくて、幸運というか、「ラッキーだったな」というようなくらいの満足感。
その中でも、仕事を続けられるということ。
それがマネジメント能力なのではないか?
そんなことを最近は思っている。
自分への信頼度
僕はここ最近のブログの中で、これを「静かな自信」と形容していることが多いような気がしている。
そう、静かな自信なのである。
そういう意味では、今回のタイトルである「実力の物差し」という言葉にはそぐわないような気もする。
マネジメント能力を測る物差しはない(外形的に)。
でも、自分ではその違いはわかるのだ。
自分では実力の違いを測ることができる。
それはたぶん自分への信頼度なのである。
自分なら大丈夫だろうと思えること
自分を信じられる度合いが高まることが、実力を測る1つの目安になる。
それも何というか、自己顕示とかプライドとかそういうものではなくて、淡々と「まあオレなら大丈夫だろう」と思えるような感じというか。
そしてそれは事後的に、ゆっくりと外部にも伝わっていく。
以前にも書いたことだけれど、以前なら想像し得なかった「人間力がある」という評価も、そのような自信から生まれる「動じなさ」によってなされたものだと思う。
分かりづらいけれど、確実にそこにあるもの。
最後に、もう少し分かり易い事柄を書いて、今回の話を終えようと思う。
マネージャー検定
外形的にその人の能力を示す方法の1つに「資格」というものがある。
仮に「マネージャー検定」みたいなものを作るとして、評価基準に何を入れるかを考えた時に、僕が真っ先に思いつくのは、「ピンチの時の対応力」である。
もちろん試験という疑似的な環境の中で再現するのはとても難しいとは思うけれど、追い込まれた時にこそ人間の本性というのは露見する。
その際にどのような対応ができるか。
それが実力があるマネージャーと、そうでないマネージャーは大きく異なる。
それを「マネージャー検定」の試験項目に入れたら、きっとわかり易いだろう。
マネージャーの能力を見抜けるのは上司ではなく部下だ
というのも、実際に仕事をしていると、この種の選択を迫られることがよく起きるからだ。
そしてその累積として、マネージャーの評価がある。
もしかしたら、マネージャーの能力を的確に見抜いているのは、上司ではなく部下かもしれない。
それが今回の話の結論である。
見えないけれど確実にあるもの
自分を大きく見せることなく、日々を実直に過ごすことで、マネージャーへの信頼度は確実に高まっていく。
それを実感することは多くはないだろう。
でも、確実にそれはあるし、それが静かな自信へと繋がっていくのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
昨日今日課長になった人と今の自分との違い。
そんなものはたぶん他の人にはわからないだろうと思います。
でも、僕は確実にあると思っています。
それは毎日を毎日として、今日まで何とかやってこられた、というその事実です。
マネージャーの仕事は全くドラマチックではありません。
どちらかと言えばネガティブなことを、ただ淡々と繰り返していくだけの、単調な仕事です。
ただ、それができる人はそう多くない。
それが僕が自分で実力があるのではないかと勘違いできる根拠です。
日々を日々として繰り返していきましょう。