嘲られたら終わり

UnsplashBarefoot Communicationsが撮影した写真

部下との関係性は普通でいいが…

マネージャーという仕事を10年近くやっている。

その中で思うのが、「嘲られたら終わり」ということである。

これはある種生き方の問題と言えるのかもしれない。

マネジメントという仕事をしていくにあたって、何を重要視するか?

大抵の人は、「部下を出世する為の駒」として見ているような気がしている。

というか、その方がマネージャーとして優れていると考えているというか。

もちろん、言わんとしていることはわからなくはない。

マネジメントとは手元にあるリソースをどのように配分するかを考え、実行する仕事であり、その過程における部下の心象であるとか、部下からの評価のようなものは重要ではない(というか邪魔にすらなる)、それは確かだろう。

ただ、それがあまりにも露骨過ぎるとそれはそれで問題が生じる。

本来すべき適切なリソースの配分や実行、もっと言えば成果の発現が妨げられてしまうから。

僕はこのブログの開始当初から「部下との関係性は普通でいい」と言い続けている。

それは今も変わらない。

でも、結構な割合で普通の関係性すら構築できず、嘲られているマネージャーがいる。

そして、それはだいぶキツい。

今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

「嫌う」と「嘲る」

「嘲け」は「嫌う」とは違う。

そんなことを思う。

「嫌われてもいいけれど、嘲られたら終わり」

ここに今日僕が言いたいことのニュアンスが詰め込まれている。

使えることが最低条件

マネジメントという仕事において最低限備えておかなければならない資質は、「使える」「役に立つ」という部分であると僕は考えている。

それは好き嫌いというのは人間だれしもあることであり、ある種自分の力ではどうしようもできないものであるのに対し、「使えるか否か」というのはある程度努力によって克服可能であるからである。

そういう意味では、「このマネージャーは嫌いであるが、有能ではある」という立ち位置さえ確保できれば、マネジメントという仕事を続けていくことは可能であると言える。

もちろん、部下に好かれるに越したことはない。

ただ、迎合し過ぎて本来為すべきことができないのもまた違う。

この辺のバランス感が大事なのである。

使えないと嘲られる

そして、これが今日のテーマである「嘲け」に繋がってくる。

「有能さ」がなければ、それは嘲笑に変わる。

嘲笑されるようになったら、マネージャーとしては終わり。

僕はそう思うのである。

嘲られていることに気づくには?

でも、このような状況というのは、現代の職場においては露見しづらい。

誰もが表面上は上手に振舞うからである。

そして、そのような振る舞いによって、嘲られている本人も勘違いをする。

自分はそれなりに上手くできているのではないか、と思ってしまう。

ただ、これは大きな間違いだ。

できれば誰かが然るべきタイミングで本人に通知してあげなければならない。

そうでないと、早晩この種の人はマネージャーから降ろされてしまう。

気付く機会もないまま、マネジメントという仕事には向いていないというレッテルを貼られて、閑職に追いやられることになる。

そういう意味では、マネージャーの上司である人が、きちんとそのような観点から話をすべきであるのだ。

しかしながら、現在のような職場環境において、そのような厳しいことを言うということはハラスメントだと受け取られる可能性があるので、マネージャーの上司も敢えて言うことを避ける傾向があると僕は思っている。

となると、自分で気づく以外にここから逃れる術はない。

でも、自分で気づくのは中々難しいことでもある。

さて、どうしたらいいのだろうか?

身の程を知る

僕が思うのは「他流試合の重要性」である。

マネージャーになると、「上がり」のような気分になり、自己研鑽をしない人ばかりであると僕は感じている。

別に偉い訳でもないのに、その椅子に座っただけで何だか偉くなったような気分になり、実力もそ増したように感じる人もいるようである。

でも、(当たり前の話であるが)そんなことはない。

実力は実力として、厳然たる事実として、そこにある。

それを適切に知る(身の程を知る)必要がある。

せめて学ぶ姿勢を

簡単な方法は、自分を慣れない環境に置くことだと僕は思う。

例えば、普段の仕事から離れ別の仕事をやってみるとか、別のチームで働いてみるとか、そのようなことをすることが大事である。

それを繰り返していると、新しい仕事であっても「勘所」のようなものが共通してあることに気づくはずだ。

それが実力を付けるという意味であると僕は思っている。

多くの人が自分の仕事の領域を狭め、狭い城の中で威張っているようだけれど、残念ながらその中に留まっているだけで実力が付くなんてことは起こらないのだ。

そして、そのような実力のなさは確実に嘲りに繋がる

それにいち早く気づく為に、慣れない仕事をするべきだ。

部下に教えを乞うてもいいし、同僚に恥を晒してもいい。

そのような学びの姿勢(僕がいつも言う志向性というヤツだ)を持っていれば、少なくとも嘲られるということは起こらないだろう。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

嘲られていたとしても気付かなければいいのでは?

というか、その方が幸せなのでは?

たくさんのマネージャーが陰口を叩かれていることを目撃(耳撃?)すると、そんなことすら思ってしまいます。

ただ、少なくとも僕は嫌だなと思います。

自分がもしそうなったと想像すると、耐えられません。

だから、実力を付けたいなと思っています。

たとえそれが日の目を見ることはなくても、地道に努力していきましょう。