誰もが無駄だと思っていることをやめるだけの簡単なお仕事
簡単だけれどできないこと
今回の話をするのは何度目だろう?
同じことを何回も書いているような気がする。
でも、あまりにもこれができない人が多いから、何度言っても言い過ぎることはないのだ。
何年もマネージャーをやってきた僕が、「生産性を上げる為にはどうしたらいいですか?」と問われたら、こう答える。
「無駄なことをやめるだけ」
僕からしたら本当に簡単なことなのだけれど、多くのマネージャーはこれができない。
それが不思議でならない。
今日は(繰り返しになるけれど)そんな話をしていく。
収入を増やすより支出を減らす方が簡単。だろ?
加算よりも減算の方が簡単である。
僕はいつもそう思う。
生産性というのは、分子÷分母で導き出されるものであって、多くのマネージャーは分子を増やすことでこれを実現しようとする。
もちろんそのアプローチが必ずしも間違っているとは言えないけれど、同じ分子を増やすにしても、分母が減っている方が生産性の向上率は高まる。
簡単な算数である。
でもこれがなぜかできない。
収入を増やすよりも支出を減らす方が簡単である。
でもこれがなぜかできない。
魔法? 冗談だろう?
マネージャー業務のエッセンスはここに凝縮されるのではないかと思えるくらい、「真理を見つけた!」と思えるくらい、灯台下暗しというか、盲点というか、誰もがここを見落としているように感じる。
僕はよく何かの魔法を使ったかのように「なんであのチームが良くなったのか?」と問われるけれど、ただこれをやっているに過ぎないのだ。
別に大したことはしていない。
誰もが無駄だと思っていることをやめるだけ。
ある種のアンタッチャブルなものに手をつけること。
裸の王様に出てくる少年のように
確かにそこには少しの勇気が必要だ。
「忖度の塊」みたいなものに手を突っ込まなければならないことは事実だ。
遠慮や阿りがそこにはあることは事実だ。
それを傍若無人的にやってしまう。
間抜けな振りをして一気にやってしまう。
「王様は裸だ!」と叫ぶ。
それだけだ。
でも、それが、できない、のだ。
サイコパスのように空気を読まないこと
上手く言えないのだけれど、偉い人が苦労して作ったスプレッドシート(でも入力が凄く面倒くさいし、誰もその数字を使ってはいない)とか、自分が仕事をやっているということをアピールし合うだけの会議(でも実際には大したことはやっていないし、自分ですらそのことに気付いている)とか、それらをスパッとやめてしまうだけで、チームの雰囲気はガラッと変わる。
マネージャーが悪役になればいいのだ。
みんな自分がその責任を負いたくないから、糾弾されるのが怖いから言い出せないようなことを、「いや、それって無駄ですよね」とサイコパスのように言ってしまう。
確かに空気が凍ることはある。
「何を言っちゃっているんだこいつは?」という視線を浴びることはある。
でも、それをやれば成果は簡単に出せるのだ。
いや、本当のことだ。
そうやっている人達ですら、心の中では拍手喝采を送っている。
ただ、場の空気がそれを邪魔しているだけなのだ。
本音と建前
僕は外部から送り込まれた外国人社長のように、複雑に絡まり合った糸の塊を、いとも簡単にぶった切ってしまう。
みんなそれを望んでいるのに、無駄だってわかっているのに、それに気づかない振りをしている。
そして裏では文句を言っているくせに、会議の場であるとか、オフィシャルな場面では、「素晴らしいものですよね!」と持ち上げてみたりする。
僕はこういうものを心底下らないと思う。
そして狡いなと思う。
それで高い成果を出しているならまだしも、それすらもできていないのに、さも自分は優秀なマネージャーでござい、みたいな顔をしていることに対して、本当に吐き気がする。
だから日本は停滞しているのだ、と本当に思う。
だから日本は取り残されてしまっているのだ、と心から思う。
仕事に対する納得感を大事にする
アウトサイダーとかトリックスターとか異端児とか、呼び方は何でも良いのだけれど、みんながそのような立場から、今ある無駄な構造に対して根本から議論することが必要な気がしている。
本音で議論する必要があるのだと思う。
議論の結果、真に意味があるのであれば継続すればいいし、そうでないのであればやめればいい。
それだけで仕事に対する納得感は大幅に向上する。
傍流のまま
人間は無駄な仕事をすることに耐えられない生き物だ。
穴を掘って埋めるだけの仕事は人間を発狂させる。
それは究極の拷問であるはずなのに、これに類似したことを僕たちは日常的に行っている。
僕たちは自分で自分に罰を与えながら仕事をしている。
それをやめないか?
シンプルな提案だ。
でも、なぜかこれができない。
僕はずっとわからないままでいる。
そしてたくさんの敵を作り続けている。
僕は鉄砲玉のように、既存の体制を壊すだけ壊して、利用されるだけ利用されて、討ち死にしていくのだろう。
みんな望んでいるのに手をつけない事象に対して、陰で悪態をついているくせに善人面している連中が、悠々とその後のスッキリした平原を歩いて行くのだろう。
素晴らしき日本社会。
僕ははみ出し者のまま、傍流のまま、いい仕事を続けていくよ。
そういうことを理解できる少数者と共に。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
みんなが無駄だと思っているのに、そんなこと微塵も思っていないように振舞うことが社会人として必要な所作である、みたいな考え方に未だに馴染めずにいます。
だからこそ僕は孤独なのでしょう。
本文内にも書きましたが、僕がこのような人が好きでないのは、そのように振舞いながらも陰では悪口や文句を言っていたりするからです。
フリをするなら最後まで貫けよ。
善人面をするなよ。
そんな風に思ってしまいます。
このような振る舞いが常態化していても、日本社会全体が成長しているのであれば、こんなことを言う必要はないのでしょうが、残念ながらそうはなっていませんし、むしろどんどんその地位は低下していっています。
それすらも気づかない振りをするのでしょうか?
経済成長が全てではないのは当たり前の話ですが、それすらもできなくなった日本に何か価値があるのか、とも思ってしまいます。
僕は孤独なまま、孤高を目指し続けるつもりです。
付いてきてくれたら幸いです。