理想主義では上手くいかない

理想のサッカーと勝てるサッカー

論理と感情、この2つのバランスがマネジメントには必要だ。

論理的であれば人が従うかというと、そんなことはない。

マネジメントの対象となるのは、あくまでも感情を持った人間であるからだ。

頭が良い人、ロジカルな人、はこの2つのバランスが論理側に偏りがちで、「論理的ではあるんだけれど、それだけじゃ上手くいかないんだよな」というところに着地してしまうような気がしている。

これは僕がいつも言う、「理想のサッカー」と「勝てるサッカー」は違う、と言い換えてもいい。

論理を積み上げていけば成果が上がる、というのは一見それっぽいけれど、必ずしもそうではない、というのが僕がマネージャーを6年やっていての経験談だ。

演繹法ではマネジメントは解決できない

今日はそんな話をする。

「着地させる行為」をマネジメントと呼ぼう

「納得的だけれど、納得できない」というのが理想主義者が嵌る隘路であるような気がしている。

「まあ、確かに話は分かるんだけどさ、それだけじゃないんだよな」という類の反応を引き起こすようなもの。

でもその「それだけじゃない」というものをロジカルに説明することができないもの。

「1+1+1+1+1=5になるでしょ?」と言われても、「まあ確かにそうなんですけどね…」と思ってしまうもの。

書いていて伝わっているのか甚だ疑問ではあるけれど、ここにマネジメントの要諦があるような気がしている。

人間は論理だけで動くものではないのだ。

理想論だけで納得するものではないのだ。

それを「着地」させる行為、それを僕はマネジメントと呼びたいと思う。

論理と感情のバランスを保てる人は多くない

頭の良い人と話していると、数字や論理で現象を説明しようとする傾向があるな、と思うことが多い。

これは裏を返せば、頭の悪い人は感情論になりがちである、ということになるのかもしれない。

どちらが良いとか悪いとか、そういうことではなくて、この両方がなければ人間は動かない、ということを理解し、実行できる人はそんなに多くないな、というのが僕の実感だ。

今回のテーマは前者の話なので、そちらを中心に話をすると、論理は大事だけれど、理詰めでは成果は出せない、ということが頭の良い人には理解できない、ということになるのだろう。

合成の誤謬?

兎角、彼らは論理で押してくる。

「こうで、こうで、こうなら、なぜできないんだ?」と言われながら、僕はコーナーに追い詰められていく。

確かに1つ1つの内容は合っている。

でもそれが積み重なった時に、正解であるとは限らないのだ。

その感覚がどうしても伝わらない。

可逆と不可逆

これは還元主義みたいなものに繋がるのかもしれない。

僕たち人間を分割していけば、要素は単純化していくし、そのエッセンスみたいなものがわかるはずだ、みたいな考え方のことを還元主義と呼ぶ。

でもこれを逆にすると(逆再生すると)、違うものができてしまう、というのが僕の考え方だ。

人間と異形のものとの乖離を埋める為のマネジメント

マネジメントを分割していけば、論理的に割っていけば、そこに必勝法が見つかる、という考え方は魅力的ではあるけれど、現実的ではない。

もちろん、「それっぽい」ものは見つかるだろう。

でもそれを組み上げてできたものは、人間とは違う形をしている。

異形のものが出来上がる。

この乖離を埋めるのがマネジメントなのだ。

理系と文系を架橋する

理系と文系、という分け方は僕は好きではないけれど、敢えて言うのであれば、理系の人にこのような考え方の人が多いような気がしている。

そしてそれが理解できないのは相手が論理的(頭が悪い・理解力が乏しいetc.)ではないからだ、とこの手の人は判断する傾向があるような気がしている(偏見が多分に混じっている)。

自分で言うのもなんだけれど、僕もこの種の考え方を好む人間である。

でも、それだけでは上手くいかないのだ。

これを架橋しなければ、成果は出せないのだ。

あわいを説明する言語を

論理的に整合的であることは、成果を出すことに直結しない。

僕たちはプログラミングされたものではないからだ。

論理式だけで反応する生き物ではないからだ(行動経済学を見ればいかに僕たちが合理的でないのかよくわかるはずだ)。

ただ、歯がゆいのは、この「あわい」の部分を説明する言語を僕は持たない、ということだ。

「じゃあ、その間を埋めるものを論理的に説明してくれよ」と言われたら、僕は俯いてしまう。

でも、論理的に説明できないものが再現不可能であるかというと、そんなこともないのではないか、と僕は考えている。

このブログ内に、様々な「よしなしごと」を書いている僕としては、その総体がマネジメントなのだよ、というように反論したい衝動に駆られるのだ。

論理で組み上げたロボットに心を注入するSF映画みたいに、そのバランスをいかに保つかが、マネジメントの面白い部分であるような気がしている。

数学的証明が必ずしも論理的でないように(1=0.99999…など)。

理想主義者と話す為に

僕は理想主義者と話す言語をまだ持たない

でも理想主義では上手くいかない、ということだけは直感的にわかっている。

それを探しているのがこのブログだとも言えるのかもしれない。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

今回の話を書いていると、軍事的才能、みたいなことを連想してしまいます。

昔の戦国武将のように、多くの人達を動かしていく才能に対して僕たちは畏敬の念を持つわけで、そしてそれが必ずしも「頭が良い(論理的に整合的である)」わけではないというところに、僕はマネジメントの奥深さを感じます。

これはマネージャーを軍師みたいな観念で捉えることとはちょっと違うような気がしています。

人を動かす才能には、「軍師+α」が必要な気がしています。

それを探すべく、僕はこんなにもダラダラと下らないことを書いているのかもしれません。

飽きずにお付き合頂けたら幸いです。