モチベーションは人から与えられるものなのだろうか?

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モチベーションは自分で見つけるもの

部下との1on1でよく出てくるのが、「モチベーションが上がりません」という話である。

「知らんがな」というのが、僕の回答である。

もちろん、マネージャーという立場で普段は働いているので、1on1のその場ではモチベーションが上がるような色々な話をしたりするのだけれど、本当の部分(本質の部分)はそうじゃないのではないか、と考えている。

「自分で(無理やり)見つける」のがモチベーションなのでは?

僕はそんな風に考えている。

そういうことを言うと、「無責任だ!」とか「マネージャーとしてどうなのか!」というご批判がありそうだけれど、今日はそういうテーマで話をしてみる。

物質的充足はモチベーションの源泉にはならなくなった

物質的充足が欲望の上位に来ていた時代が終わって、現在は欲望の対象が不確かな時代である。

もう少し柔らかい言葉で言うと、以前はモチベーションの源泉が、「金」「車」「家」みたいなものを手に入れること(それもより良いものを)であったのに対し、現代はそうではなくなっている、ということになるのかもしれない。

特に若手社員と話をしているとそのように思う。

僕自身もそういった物質的欲望がないので、彼らの考え方には共感することが多い。

でも、だ。

彼らと僕が決定的に違うのは、僕は仕事は仕事としてきちんと行う、それも自分が満足できるような精度で行う、ということに重きを置いている点である。

彼らはそうでない(ように見える)。

いや、僕だって、別に仕事が大好きで、そこに命を懸けて取り組みたい、みたいな情熱めいたものはない。

ただ、どうせ仕事をするのであれば、何らかの目標を定めないと面白くないのではないか(どうせ仕事はしなければならないのだし)、というのが僕の考え方である。

目の前だけを見ることを否定はしないけれど

もう少し言うと、僕は自分で自分の仕事に裁量を持たせたいと考えている。

誰かの(下らない)指示に従う仕事(ばかり)をするのは嫌だと考えている。

その為には組織が納得できるような成果を出しておいた方が都合が良いし、何か面倒なことを言われた時に抗弁できるような材料を持っておきたい(その1つがポジションでもある)のだ。

そういう考えは彼らにはないように思える。

刹那的、とまでは言わないまでも、取り敢えず目の前だけを見ているような印象を受ける。

それはそれで生き方や価値観の問題なので、僕がとやかく言う必要はないのかもしれない。

そして究極的には僕はその報いを受けるのは彼らなので、関係ないとすら思っている。

残酷だろうか?

非人間的だろうか?

それぞれの価値観なので…

いやいや、彼らが非関与を望み、短期的な利益を好み、目先の困難を回避したいのなら、僕は僕なりの接し方をする、それまでのことである。

僕は彼らの親ではないし、教師でもない。

ただのマネージャーである。

もちろん最善は尽くす。

それ以上のことは知らない。

「若さ」と「甘さ」は違う。

彼らはそれを混同しているように僕には思える。

それを説教臭く言うつもりはない。

ただ、早く気付いた方が得なんだけどな、とは思う。

モチベーションの源泉を自分で見つけることに年齢は関係ない。

それは自分の問題である。

もちろん社会や環境によって左右はされるだろう、とは思う。

でもそれを早期に見つけられた者の方が、満足できる人生を送れる可能性は高いはずだ。

受動性と運命論と学習性無力感

そこには「受動性」という概念が関係しているのかもしれない。

伸び悩んでいる部下と話をすると、この「受動性」という概念を意識することが多い。

受動性というのは、何か外部からの指示や刺激によって自分の行動が決まる、そして自分はその外部には影響を及ぼすことはできない、という考え方のことをここでは指す。

運命、というと言葉は大きくなってしまうかもしれないけれど、彼ら(彼女ら)の考え方は運命論者のそれに似ているような気さえする。

それは、学習性無力感とは微妙に違うような気がしている。

そもそもの「逃れ」みたいな意識、概念が喪失しているような感じ。

自分の人生のハンドルを自分で握るという考え方自体が存在しないようなイメージ。

もちろん、組織に所属している以上様々な困難があり、自分ではどうしようもできないことは生じる(それも割と高頻度で)。

でもその中で何とか活路を探したり、試行錯誤をしてみたりすることに面白味があるはずだ、と僕は考えている。

過去、様々なストレス状況があった経験があり、そもそも抗っても無駄、と諦めているのであれば(学習性無力感状態)、まだ理解はできる。

でも、彼ら(彼女ら)はそうではない(ように見える)。

自然状態で、「付与される」と思っているのだ。

どこかに保護者がいて、その人の庇護の下にいるかのように。

自然にモチベーションが湧く方が稀

それは僕からすれば「甘え」である。

モチベーションの源泉が外部から得られるなんていう考えは早々に放棄した方がいい。

モチベーションがなくても、機嫌よく働く為にどうすればいいか、その状態を自分で見つける方向に意識を向けた方が建設的である。

まあそれは僕の意見であり、彼ら(彼女ら)とは何の関係もないことではあるが。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

今回の話にはもう1段階上があって、僕は時々自分の上司から「部下のモチベーションを上げろ!」ということを言われることがあります(少なくとも彼によって部下である僕のモチベーションが上がったことはないのですが…)。

そう言う気持ちがわからないことはないのですが、何となく的外れだなと思うことが多いです。

というのは、(本文にも書いたことではありますが)「もうそんな時代ではない」からです。

会社は一生涯務めるものではありませんし、上司は尊敬すべき対象ではないですし、社会的上昇に価値がある訳でもないですし、まあ一言でいってしまえば、「何でもあり」の時代です。

僕はたまたま仕事が好きですが、そうでない人がいるのも理解できます。

そんな人たちが寄り集まって、一時的なチームを形成しているに過ぎないのに、そこで「モチベーション」と言われても、「うーん…」という気持ちになってしまいます。

それは「働く」ということの価値観が変わってきているという大きな話なのかもしれません。

とりあえず僕は彼らに仕事の楽しさを説いていくつもりです(まあ無理でしょう)。

これからもお付き合い頂けたら幸いです。