格差社会と成果主義

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成果主義は悪いのか?

「成果主義は格差を拡大するので望ましくない」という議論がある。

一理あると思う。

否定はできない。

でも、資本主義というのは元来そういうものなのではないか、と僕は思っている。

もちろん、セーフティネットは必要であり、最低限の社会保障制度は必要である。

それが行き過ぎた結果、アメリカのような状況になってしまう可能性がないとも言い切れない。

でもね、というのが現在の僕の気持ちである。

今日はちょっと趣旨が異なるかもしれないけれど、そんなことを書いてみようと思う。

シンプルな世界

マネージャーをやっていると、それも営業という職種のマネージャーをやっていると、成果主義満載の企業のマネージャーが羨ましくて仕方がなくなることがある。

余計なマネジメントをしなくても、部下達は自分達の処遇改善の為に懸命に働くだろうし、それができないものは去っていくだろうから、チームに一定の強度と規律が生まれると思うからである。

とてもシンプルだし、楽だろうな、というのが僕の感想である(ここで言う楽というのは、仕事が楽というのではなく、シンプルに成果を追えばいいという楽さのことを指す。仕事がキツイだろうことは百も承知である)。

アップ・オア・アウト、とまでいかなくとも、処遇にそれなりの格差が付くことを僕は望ましいものだと思っている(自分自身も含めて)。

もちろん反対の意見があることはわかる。

僕だって、全面的に諸手を挙げて賛成! という訳ではない。

でもね、というのが今日の話である。

モラール維持が今の仕事の大半になっている

以前にも書いたことであるが、僕の現在の仕事の大半は、部下を如何にモチベートするか、に取られている。

モチベート、というと大げさで、モラールを維持するか、というのが的確な表現かもしれない。

学校の教師のように、「きちんと会社に来ましょうね」であるとか、「期日は守りましょうね」であるとか、「仲良く仕事をしましょうね」みたいな、社会人としては当たり前のことばかりを言っているような気がしている。

それは彼ら(彼女ら)がプロフェッショナルでないことが原因である、ということも以前に書いたと思う。

そして、仕事に意味を求める時代、という背景もあるのだと思う。

その辺の総体としての現状を鑑みると、もう少し成果主義の度合いを高め、その結果格差が拡大するのは仕方がないのでは、と僕は考えている。

もう少し詳しく書く。

給料が上がる人を増やす

成果主義→格差拡大、という話を書くと、現状から処遇が下がる人が出てくる、それはけしからん、というイメージが働くことが多いように思う。

誰だって給与が下がるのは嫌だから、その気持ちはよくわかる。

でも、下がる人を出すのではなく、上げる人を出す、という議論になぜならないのだろうか?

僕はそんな風に感じている。

ここから少し話が大きくなる。

真っ当なサービスには真っ当な対価が生じる

僕たちはデフレと言われる時代をもう30年以上過ごしている。

サービスというのはタダであることが当たり前で、価格は安いものが正義である、という社会に生きており、それに慣れ切ってしまっている。

サービス残業、ブラック労働、そんなものが当然だと思い込んでいる。

でも果たして本当にそうなのだろうか?

真っ当なサービスには真っ当な対価が生じる。

良いものには良い価格が生じる。

それが僕は普通だと思っている。

もちろん、選択の自由はあるので、それぞれの価値観に合わせれば選択すればいいのだけれど、残念ながら日本の現状においては、それが基本的に下方に合わせられてしまっていて、真っ当な企業が真っ当な値上げをすると顧客が離れてしまう、結果儲からないという状況が続いてしまっている。

全体的に儲からないような社会構造、そしてそのツケを食らうのが労働者。

そうやって僕たちは僕たち自身の社会を貧しくしている。

そんな気がしている。

しみったれた論理ではなく景気の良いものにしない?

成果主義がコスト削減の一種である、というのは企業側のしみったれた論理でしかなくて、稼ぐ奴は会社も潤すからもっと渡そうよ、という景気の良いものになっていない、それも事実であると思う。

それが企業が投資を行わず、内部留保ばっかりやっている、というようなことに端を発している、というようなことも関係しているのだろうとも思う。

それを少し変えませんか? というのが僕からの提案である。

醒めた人達

マネジメントをやっていると、仕事は飯を食うためだけのもの、と割り切っている人がとても多いと感じる。

もちろんそれは個々人の価値観なので、どの時代においても一定数存在するものだと僕だってわかっている。

でも、以前に比べて多くなっていやしないか?

それも醒めてしまっているというか、諦めてしまっている人が増えていやしないか?

僕はそんな風に感じている。

個人では限界が

別に暑苦しく、「仕事しようぜ!」ということを主張したい訳ではない。

ただ、全体的な活力の喪失が日本社会をつまらないものにしているような気はするのである。

僕は仕事は面白いものだと思っている。

99%は辛いけれど、時々本当にやっててよかったなと思える瞬間がある。

そういう人達のやる気を削ぐのを防ぎたいというのが、今回の話である。

僕はそういうチームで仕事をしてみたい。

その為には、マネージャーだけの頑張りでは限界がある。

会社なり社会の制度改定が必要なのではないか。

賛同者は少なそうだけれど、僕はそんな風に考えている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

成果主義という言葉が手垢に塗れてしまっているので、ニュアンスを伝えるのが少し難しいな、と感じています。

どちらかというと、経済の循環を良くするというか、金回りを良くするというか、ダウンサイドに引っ張られるのではなく、アップサイドに引っ張る方向に少し調整した方が良いのではないか、くらいの感覚なのですが、格差礼賛主義みたいな形に受け取られてしまうので、「そうじゃないんだけどな…」と思うことが多いです。

「適切な格差」というのがどの辺りなのかは非常に難しい問題ですが、少なくとも現在のような状況が望ましいと思っている人は多くはないのではないでしょうか?

働くことに対する価値観は様々なので、押し付けるつもりはないのですが、「何だかなあ…」と思うことが多いのも事実です。

前向きなエネルギーを帯びた状態でマネジメントをしてみたいと最近は強く思っています。

ご賛同頂けたら幸いです。