届く人に届けばいい
陰キャにマネージャーはつらい
マネジメントというのは、人と関わる仕事である。
そして人と関わる仕事というのは、人間関係がついて回る。
上司・部下・同僚・顧客、価値観の多様な色々な人と関わりながら仕事を進めていくのがマネージャーの仕事である。
「陽」の人ならいいのかもしれない。
でも、僕のような「陰」の人間にはこれはなかなか大変なことである。
出来れば僕は1人で仕事をしていきたいタイプの人間である。
でも、何の因果か、僕はマネージャーになってしまった。
そしてそれを7年も続けることになってしまった。
そんな中で僕が拠り所にしているのが、「届く人に届けばいい」という概念である。
人間関係で悩んでいる人には参考になる話になるかもしれないので、今日はそんなことを書いていく。
課題の分離
アドラー心理学の重要な概念に「課題の分離」というものがある。
これは、人間関係においてトラブルが起きた時に、それが「自分の課題」なのか「他人の課題」なのかを切り分けて考え、自分にできることは自分の課題に対処することだけである(他人が自分をどう思うかはコントロールできない)と割り切る考え方のことを指す。
僕は生来、とてもドライな考え方を持っているので、この話を聞いた時に「まあそりゃそうだよね…」と思ったのだけれど、多くの人にとっては役に立つものかもしれないので、今回は改めてそれについて書いていく。
他人の尺度で人生を生きる
この考え方は、特に日本社会においては、とても有用な概念であると僕は思っている。
日本人はとにかく他人を気にし過ぎだから。
ここにはポジティブな側面がないとは言い切れないけれど、どちらかというと僕はネガティブな面の方が多いように感じている。
何というか、「他人の尺度」によって人生を生きているような人が多い気がするのだ。
嫌うかどうかは相手の問題
もちろん僕だって御多分に漏れず、他人の意見を凄く気にしてしまう。
できるだけ嫌われたくないと思いながら仕事をしている。
でも、究極的には「嫌うかどうかというのは相手の問題である」というように考えている。
ここがちょっと人とは違う点であるように思うのだ。
他人に嫌われたくない、ここまでは一緒。
でも、「嫌うかどうかというのは相手の問題であり、自分はコントロールできない」と考えるのが僕で、多くの人はこれを切り分けることができていないように思うのである。
大人同士に依存関係は不要
上手く言えないのだけれど、僕のような考え方をする人は「冷酷である」というように映るようなのだ。
確かに僕はサイコパス的傾向を持っている自覚はあるし、ドライではあると思う。
でも、非情ではないと思うのだ。
というか、相手の人格を尊重しているからこそ、尊厳を認めるからこそ、そこに線を引くことができるのだと僕は思っている。
他人というのは子供ではない。
自我を持った大人である。
大人同士には依存関係は不要だ。
支配関係も不必要だ。
僕はそんな風に考えている。
小島よしお的感覚
マネジメント業においてもこの傾向は変わらない。
様々な価値観を持つ人と関わり合いを持たざるを得ないのがマネージャーの仕事ではあるけれど、究極的には「そんなの関係ねえ!」という小島よしお的な感覚を持ちながら僕は仕事をしている。
僕にできるのは、僕にできることだけである。
それが他人に影響を及ぼすかどうかというのは、僕の知ったこっちゃない。
もちろん届けばいいとは思う。
でも、それは祈りのようなものだ。
僕にできることは最善を尽くすことで、そこから先のことは僕の範疇ではない。
小島よしお的に言うなら「おっぱっぴー」なのである(何で何度も小島よしおが頭をよぎったのか自分でもよくわからない…)。
それを自分の問題と混同してしまうから、多くの人は悩んでしまうのだ。
垂れ流しラジオ
冷たい言い方かもしれないけれど、部下が育つかどうかなんてことはマネージャーには関係ない。
もちろん育って欲しいとは思う。
でも、それがなくてもマネージャーは成果を出さなければならないのだ。
僕は誰が聞くでもないラジオ放送みたいに、ただ駄弁を垂れ流している。
仕事においてもそうだし、このブログだってそうだ。
でも、何らかの偶然とタイミングで、僕の放送局にあなたの受信機の周波数が合ったとするなら、できるだけ内容のあるものを届けたいとは思っている。
偶然とタイミング
ありがたいことに、僕は部下やかつての部下から感謝の言葉を言って貰えることがある。
ブログの読者の方から感謝のメールを頂けることがある。
でも、それは僕が狙ってできるものではないし、コントロールできるものでもないのだ。
結果として、偶然に、何らかの言葉が彼(彼女)らの琴線に触れたのだろう。
それが彼(彼女)らの人生において、何らかの役に立っているとするなら、僕が仕事を続けている意味はあるのだろうし、ブログを続けている意味はあるのだろう。
人間関係は面倒だ。けど…
人生における面倒事というのは人間関係によるものである。
でも、人間関係がなければ、人生が充実することもない。
その絶妙なバランスの中で、付かず離れずの関係性の中で、僕はこれからも色々な言葉をまき散らしていこうと思っている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
皆に好かれようとすると、誰からも好かれない。
僕はそんな風に思いながらマネジメントをしています。
部下全員に好かれることは不可能ですし、そんなことを望もうとも思いません。
それよりも1人の絶対的なファンを作りたい(たとえ複数人の絶対的なアンチが生まれても)、そう思っています。
嫌われないと、好かれることもありません。
偏っていきましょう。