Fuck off 手柄ハイエナ

UnsplashAlan J. Hendryが撮影した写真

手柄を横取りしようとする人たち

冒頭からFワードを用いてしまい申し訳ない。

ただそれくらい憤っているのだ。

というか、なぜこんなにも手柄を横取りしようとするハイエナ達が社内にはたくさんいるのか?

それもマネジメント層に?

現代日本において、社内で昇進していくことに価値なんてないと僕は思っているのだけれど、そのように考えているのは少数派であるようで、多くの人達は「上へ、上へ」とその材料となるものを血眼になって探しているようだ。

くたばれ! ハイエナども!

僕は「いい仕事」をしたいと常々思っている。

でも、このようなハイエナ達が僕の仕事を邪魔してくる。

今日はそんな愚痴めいた話だ。

ピンチの時がマネージャーの出番

マネージャーの出番はチャンスではなくピンチの時だ。

僕はそう思っている。

でも、それが逆転している人は多い。

というか、大半がそんな感じである。

肝心な時には我関せずのくせに、手柄が見えると群がってくる。

そしてさもそれが自分のおかげであるかのように吹聴する。

そりゃ若手達が仕事をしていくのが嫌になるよな。

お前のものはオレのもの?(アンチ・ジャイアニズム)

マネージャーは目立たなくていい。

それは僕がこのブログを始めた頃から言っていることである。

手柄は部下のもの、責任はマネージャーのもの。

そのスタンスでずっと仕事をしてきた。

おかげで、何とか今でもマネージャー業を続けていられている。

ただ、というのが今日の話だ。

部下の手柄を自分のものにするマネージャーが多過ぎないか?

Um…

もちろん、気持ちはわからないではない。

実際にマネージャーが関与して、商談が成立することはたくさんあるから。

いやいや、でもさ。

そろそろその辺で考え方を改めないと、部下は付いて来ないし、会社はダメになっていくぜ?

ご自慢のその腕で実力をお示し頂けないか?

以前にも書いたことがあるけれど、僕は最近「腕」について考えている。

それは自分が「営業職」だから、余計にそう意識しているのかもしれない。

営業は腕のあるなしが如実に現れる。

数字として、厳然と示される。

そこには有無を言わせない、ある種の迫力がある。

でも、そんな世界においても、自分には腕があると勘違いしている人は多いのである。

もし本当に手柄を上げたいなら、そのご自慢の「腕」で手柄を上げたらどうか?

あなたの言っている実力の程を見せてもらおうか?

僕はいつもそう思う。

組織もヤバくね?

ややケンカ腰のスタンスにはなってしまうけれど、そういう奴に限って、全然営業ができないのだ。

でも、鼻は効く。

「手柄がある」「手柄にありつける」と感じた瞬間、一気にそこに群がる。

はしたないからもうやめようぜ?

というか、それをわからない奴(組織)もヤバいんじゃね?

「上手く立ち回るスキル」がカンストしている人たち

大事なことは、本当の実力者とそうでない者をきちんと見分けることだ。

それも組織としてそれをやらなければならない。

もちろん人間による評価なので、多少のブレはあるだろう。

でもそれがあまりにも乖離してしまうと、部下のやる気が削がれてしまう。

「上手く立ち回るスキル」は、社会で生きていく上では必要なものである。

それが全くないと、それはそれで結構苦労するのも事実だ。

でも、そこに特化し過ぎるのもどうかと思うのだ。

もちろん、本人にはそんなこと意識すらしていないだろう。

でも、僕から見れば、そのスキルに全ブリしているように見える。

そして、組織はそれを見抜けないでいる。

表面上の実力。

表面上の雰囲気。

ははは。

出るとこ出て、バチバチやり合おうぜ?

勢力の均衡

日本の生産性が低いという議論。

日本のエンゲージメントが低いという議論。

もちろん様々な要因があるだろう。

でも、僕が現場で仕事をしていて感じるのは、真っ当に仕事をしている人を評価する仕組みがやや弱いのではないか、ということである。

これも思い出補正込みで言うけれど、もう少し前の時代においては、ここまでひどくはなかったような気がする。

もちろん上手に立ち回る人の方が多く偉くなっていたけれど、それでもそのカウンターサイドには「実力者」が相応にいて、それなりの均衡が保たれていたように思うのだ。

でも、現在はそのバランスが崩れてしまった。

針は大きく傾いてしまった。

小手先にはもううんざり

当社だけの話かもしれないけれど、それを続けていたら、たぶん生産性は向上しないし、エンゲージメントは高くならない。

様々な取り繕い、お化粧は、意味を成さない。

今求められていることは、「腕」を磨くことだ。

何だか最近はこんなことばかりを言っているような気がする。

でも、本当にそう思うのだ。

余計な小細工はいらない。

正攻法で正々堂々と勝負できるくらいの実力を身に付けること。

小手先の話はもう十分なのだ。

たらふく食えよ?

仕事は本来楽しいものだ。

というか、楽しむべきものなのだ。

そして仕事を楽しむ為には、それなりの実力がいる。

それなりの実力を得る為には、それなりの努力がいる。

それを忘れてしまったら、忘れる人が多くなってしまったら、そりゃ会社の力は落ちるよな。

そのような会社が増えれば、国力だって落ちるよな。

仕事を楽しむよりも、餌にありつくことがそんなにも大切なのか?

僕にはよくわからない。

というか、わかりたくもない。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

荒れてんなあ…、というのが本文を読んでの感想です。

この時の僕にはその憤りの対象となる具体的な事象があって、そのテンションのまま文章を書くとこのような感情むき出しの悲惨なものになるのだということがよくわかります。

でも、その恥部を晒すことで、救われる人もいるかもしれない。

そんな気持ちで、恥ずかしいですがアップしてみます。

会社で働いていると、様々な理由で「削られて」いきます。

心が確実に擦り減っていきます。

僕ができることは、同じように心が擦り減っている人が同時代に存在するということを表明することです。

ともに生き抜いていきましょう。