「時間がない!」課長の皆様へ
「やらなくていいことはやらない」「権限を委譲し、マネジメントに特化する」
課長は忙しい。
これが定説である。
ここに人手不足が重なって、もう何をやっているんだかわからない、それくらい忙しい人も多くいるだろう。
そんな人僕からアドバイスを。
というか、どうやったら忙しさが緩和できるようになるかという僕なりの方法論を書いていこうと思う。
と言っても、そんなに目新しいことはない。
「やらなくていいことはやらない」
「権限を委譲し、マネジメントに特化する」
これだけでだいぶ忙しさは緩和されるはずだ。
もう何だか書くべきことは書いてしまったような気もするけれど、以下もう少し蛇足的な話を続けていこうと思う。
プレマネはデフォルト
プレイングマネージャー論。
これは現代では仕方ないというか、デフォルト設定みたいな話になっているような気がする。
業務量に対してあまりにも人が少ないので、それらをマネージャー自身がやらなければならない状態。
好むとか好まざるとか、そういう領域の話ではなく、もうにっちもさっちもいかない、どうしようもない、というのが多くのマネージャー達の実感であるような気がする。
それは僕だってそんなに変わらない。
部下は半減。でも暇そう。
コロナの時期(人員削減圧力含む)を経て、僕の部下は半分になった。
でも、やるべき仕事量は変わらないし、何なら増えてしまっているとすら言えなくもない。
そんな中で、僕は(相変わらず)暇そうに仕事をしている。
めちゃくちゃ上手くいっているかと問われるとそうでもないかもしれないけれど、それなりの成果を上げることもできている。
それはなぜか?
冒頭にも書いたように、「やらなくていいことはやらないようにしている」からである。
量の調節と質(完成度)の調節
これは仕事の選別と言えなくもない。
でも、僕らはサラリーマンであるから、自分で仕事の量を調節するにも限界があることも事実である。
だから、「そんなこと言われても、現実的には仕事の選別なんてできないですよ!」という反論をよくされることになる。
まあ言っていることはわからなくはない。
では、その仕事の質(精度)ならどうか?
「完成度を下げる」という方向性ならどうなのだろうか?
完成度の摺り合わせをしてみては?
日本人の国民性なのかわからないけれど、あらゆる仕事に対して100%(もしくはそれ以上)で応えなくてはならない、と考え過ぎている人が多過ぎるように僕は感じている。
でも、クライアント(ここには自社の上司や他部署なども含まれる)はそこまでの完成度を求めていないことも多い。
となると、勝手に自分がそのような精度に囚われているだけ、と言えなくもないのではないか、と僕は思うのである。
もっと言えば、その完成度の事前の打ち合わせをきちんとしていないことに原因があるのではないか、と思うのである。
そして、嫌な言い方をすると、その事前打ち合わせをしないのは、自分が無能だと思われたくないからという要因が結構な確率であるような気がしている。
エクセルでもパワーポイントでも何でもいいのだけれど、必要以上に資料に凝る人はたくさんいる。
でも、そういう資料に限って大した内容がない。
大事なことは、「見てくれ」ではなく「中身」である。
何なら、手書きで十分。
概念図というか、アイディアというか、方向性だけ示せれば十分。
これだけで、時間は大幅に短縮できる。
これは部下への指示も同様である。
そして、これが2つ目の「権限委譲し、マネジメントに特化する」という話にも繋がってくる。
判断も同様。それをマネージャーがやる必要ある?
僕は多くのマネージャーを見てきて、「やらなくていい判断まで自分でやっている」と思うことがとても多い。
でも、本人はそれに気づいていない。
むしろ、「部下が自分で判断できなくて困る」なんて言っていたりもする。
まあその要素が全くないとまでは言えないのかもしれない。
ただ、それが「権限委譲が適切に行われていないから」という可能性があるということは考えてみても損はないと思う。
「忙しい自分」に存在意義を感じていないか?
これは1つ目の話である「やらなくていいことはやらない」ということにもリンクしてくる。
マネージャーの判断が必要な場面と、そうでない場面を比較すると、日常業務においては、圧倒的に後者の方が多い。
これに忙殺されて、本来やるべきマネジメントに特化できていない人が多過ぎるのだ。
「判断」と「指示」は違うのである。
多くの仕事においては、指示をしておけば十分なのだ。
それは「部下に任せる」ということでもあるし、「部下を信頼する」ということでもあるし、「責任は取る」ということでもある。
これをせずして、「忙しい!」「時間がない!」と言うのは、マネージャーとしてはどうなのかと僕は思う。
もちろん、これをやった上で尚忙しいというのは僕も同感である。
でも、僕が見てきた多くのマネージャーの殆どはこの段階まで行っていない。
やらなくてもいいことを無駄にやって、その忙しさに巻き込まれている自分に存在意義を感じていたりする。
厳しい言い方かもしれない。
でも、そうなのだから仕方がない。
プレマネで忙しいと言っているならまだ改善できる余地はあるはず
課長が忙しいのは事実だ。
でも、その忙しさの質は、マネジメントのレベル感によって大きく異なる。
少なくとも、プレイングマネージャー的な動きで忙しいと言っているなら、まだ改善できる余地はたくさんあるはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「課長は暇そうでいい」と言うと、「実態もわかっていないで…」と反論を食らうことがあります。
気持ちはわからないではありません。
でも、例えば次のような話ならどうでしょうか?
「部長は暇そうでいい」
これも同様に感じるなら、次はどうでしょうか?
「社長は暇そうでいい」
そう言っても同じように感じるかもしれませんが、少なくとも僕は社長は暇そうでいい、と思っています。
というのは、社長が忙しかったら、忙しそうにしていたら、判断を行う人がいなくなってしまうからです。
マネジメントの仕事とは判断です。
実務はそれに付帯するものです。
それがわからない限り、いつまでもプレイングマネージャーから抜け出すことはできません。
自分でやらなくてもいいことは部下に任せていきましょう。