「良くしたい!」という気持ちが邪魔になることもある

UnsplashTim Mossholderが撮影した写真

気持ちが強いのもまた考え物

組織を良くしたい。

今ここにある問題を解決(良化)したい。

気持ちはわかる。

僕もそのように仕事をしてきたと自負もしている。

でも、最近はその気持ちが強すぎると、それはそれで面倒くさいものだよな、と自分自身感じている。

もちろん、その気持ちは大事である。

失ってはいけないものではある。

ただ、行き過ぎると、それは現状否認や他者否定に繋がり、今そこにある良い面を見失う可能性がある。

とても難しいバランスではあるけれど、それが出来た時、組織は少しずつ良化していく。

今日はそんな話である。

言っていることはごもっともなんだけど…

現状への不満。

部下からの話を聞いていると、それも志のある部下の話を聞いていると、それなりに多くの頻度で出てくるのがこの話題である。

「あれが悪い」

「これが良くない」

そして、そのご指摘はごもっともでもある。

僕もその考えに賛同し、共感さえする。

でも、その気持ちが強くなりすぎるのもこれまた問題だよね、と最近は思っている。

それは自分自身に向けた思いでもある。

それで成果は出ましたか?

僕は組織の矛盾や問題点に目が行く方だと言われる。

それはある人からすれば「鋭い」という評価になるし、そうでない人からすれば「細かい」ということになるのかもしれない。

また、若い頃には、それをあまり考えずに口に出してもいたように思う。

そこには誰かを陥れようとか、組織を批判したいという気持ちよりも、純粋に組織を良くしたいという想いがあって、そしてそれは良いことだとも思っていて「誰かが言わなければ組織は変わらないし、それを言うべきだ」というような変な使命感のようなものも含まれていたように思う。

もちろん、その気持ちは今も変わらない。

おかしなことはおかしいと言うべきではあると思う。

でも、何年もマネージャーをやってきて思うのは、「では、そのような吐露によって、あなたの言うように組織は良くなったのか?」ということである。

「あなた(僕)は組織を良くしたいと思ってその発言をしているのですよね?」

「それで組織は良くなりましたか?」

そんなことを(自分に対して)思うのである。

強い思想は、多くの人を巻き込めない

たくさんの人間が集まる組織というのは、そう簡単には変わらない。

もちろん、変えたい、良くしたい、という気持ちは大事だし、その気持ちを胸の中に抱き続けていることは必要だと思う。

でも、それがあり過ぎると、気持ちが強すぎると、かえって組織が良くならないというか、多くの人を巻き込むことができないというか、そんなことを思うのである。

エクストリームな意見

これは政治思想的なことにも関連するような気がする。

極右とか極左の意見は、とても鋭いし、ある意味では社会の問題を純粋に抉りだしていると言えなくもない。

ただ、それはエクストリーム過ぎて、多くの人は「確かにそうだよな…」とは思いつつも、そこまでの変化は求めていないことが大半である。

確かに現状への不満はある。

そして、少なからずそれらの主張に共感もする。

でも、それが現実社会に適用されるとなると、それはちょっと違う。

そんなイメージなのだろう。

過激派だけが真の仲間だと思っていたけれど…

かつての僕は、そういう意味では極左(極右?)的な信条を持ちながら、組織を変えたいと思っていたと言えるのかもしれない。

そして、それに賛同してくれる強い気持ちを持った人たちを仲間だと思っていて、それ以外の人は「なんて浅はかな奴らだ」と考えていたようにも思う。

「なぜこのような組織矛盾を許容しているのか?」

「何も考えていないのではないか?」と。

確かに、それは事実だろう。

彼(彼女)らは、あまり物事を考えておらず、組織矛盾に目を向けてもいないのは今も昔も変わらないと思う。

ただ、本当に組織を変えたいとするなら、そのような人たちを巻き込めるような、ある種中道的な進め方が必要不可欠なのだろうな、と今の僕は思っている。

料理のグレードをちょっと上げるようなイメージを

これは妥協と言えば妥協だし、日和っていると言えば日和ってもいる

でも、あまりにも強い主張というのは、疲れるものでもあるよな、と最近の僕は思っている。

味の濃い料理は毎日食べたくない。

でも、食卓に上がる料理のグレードは上げたい。

そうなのだ。

例えば、お米の質を上げるとか、調味料を高いものにするとか、そういうイメージを持って物事を進めるべきなのではないかと今の僕は思っている。

「高い肉を並べなければダメだ!」ということではなく、同じ肉でもちょっと良い塩と胡椒があれば、もう少し美味しく食べられるよね、という方向に向かうべきなのだ、きっと。

理想主義は現実を疎かにしがち

これは「現状をよく見る」ということにも繋がる。

理想主義は現実を軽んじているようにも映るから。

叶えたい方向に目を向けすぎると、足元が疎かになるから。

穏当な理想主義を

もちろん、バランスが大事だ。

あまりにも現状だけに目を向けていては、何も変わらない。

それこそ日和見・事なかれ主義になってしまう。

そうではなく、穏当な理想主義みたいなものを持って、組織を漸進させていくこと。

それがマネージャーには求められるのではないか?

そんな当たり前のことを今の僕は考えている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

今回の話はわざわざ文章にするほどのことではないもの(当たり前の話)です。

ただ、自分の中では1回ケリをつけておきたいというか、形にしておきたいと思ったので、書いてみたものです。

たくさんの人と話をするマネージャーという仕事を経て、僕は世の中には本当にたくさんの考え方や価値観があるということを学びました。

そして、僕は(やっぱり)少数派であることも。

どの組織にいても、どのチームにいても、帰属意識を感じられない僕がなぜマネジメントという仕事を続けられているのか、未だによくわかりません。

強い信念を持ちながら、でも誰にでも食べやすいものをこれからも提供していきたいと考えています。

引き続き読んで頂けたら幸いです。