管理職になって良かったことを書いてみた
たまにはポジティブなことも書いてみよう
「管理職は罰ゲーム」
そう言われて久しい。
かく言う僕も、その論調には賛成である。
管理職は割に合わない。
それが9年以上やってきての実感である。
ただ、ネガティブなことばかりがメディアには溢れているようなので、たまにはポジティブなことも書いてみようじゃないか、というのが今回の試みである。
それでは始めていこう。
人間的に成熟できる
僕が思う管理職になって良かったこと。
最初に思い浮かぶのは、「人間的に成熟した」ということである。
これは様々な理不尽と、これでもかというくらいの無理難題と、醜悪な人間模様を潜り抜けてきたからこそ身に付いたものである。
もちろん、経験しなくても良いなら経験したくはなかった。
でも、何の因果か、僕は管理職となり、そのような経験をたくさんすることになった。
結果として、僕は人間的にとても丸くなったように思う。
そして、大抵のことには驚かなくなった。
ちょっとのことでは動じない胆力
先日、僕のチームでちょっとした事件があった。
詳細は書けないけれど、それなりのピンチであった。
以前の僕であれば、そのような場面に出くわしたら、右往左往していただろうと思う。
でも、その時の僕は「まあヤバいけれど、どうにかするしかないよね」とある種開き直りながら仕事を行い、何とかそのピンチを潜り抜けることができた。
その様子を、同僚のマネージャーから「凄いですね」と称賛された。
「私だったら絶対無理」という言葉を添えて。
曰く、「飄々とやってのけた」とのことである。
それは過分な評価だとは思う。
内心ではそれなりに焦っていたから。
ただ、腹の座り具合というか、覚悟というか、そういうものが今の僕にはあって、多少のことでは動じない胆力のようなものが身に付いたとは思う。
管理職未経験者は「反射」しがち
それは仕事ではもちろん、人生という難局を生き抜く上で必要なものだと僕は思っている。
人間的に成熟すると、他者に対して寛容になる。
大抵のことは、どうでもよくなる。
そのようなスタンスは、人生の過酷さを少しだけ緩和してくれる。
僕から見えるたくさんの人たち、それも管理職を経験したことがない人たちは、ある刺激に対しての反応が鋭角(鋭敏)であるように感じる。
それも速さを伴ったもの、脊髄反射のようなものであるように感じる。
でも、物事には色々な側面があって、そのある刺激が「そのままの意味」を持っているとは限らない。
ただ、多くの人は、その刺激に対して、同じ角度か近い角度で打ち返してしまう(入射角と反射角が近い)。
そうすると、事態というのは広がりを見せないし、何なら反発を招いたりもする。
打ち返されたボールが、それなりの勢いを持っているから(野球で例えるなら、ピッチャー返しみたいな感じだ)。
広角打法
でも、管理職を経験した人は、この反応がちょっと違う。
ある種の「溜め」ができるのである。
もっと言えば、見送ることもできる。
そして、打ち返す際も、広角に打ち分けることができる。
そのような深み。
刺激を「そのままの意味」として受け取らないという感覚。
刺激の乱反射状態
世の中にはたくさんの刺激がある。
SNSが顕著だとは思うけれど、そのような刺激の応酬によって、世の中はギスギスとしている。
もちろん、刀が鋭利であること、返しが秀逸であることは、痛快というか、それなりの満足を伴うものだということは僕だってわかる。
でも、それだけではないんだよな、とも思ってしまう。
それを文章や言葉で、それも限られた文字数(言葉数)で伝えるのはとても難しい。
ましてや、受け取る人は多様でもある。
そうやって、刺激が乱反射していく。
僕たちはその眩しさに圧倒され、前方すらよく視認できないまま、打ち返しを行う。
想像力がない訳ではないのだけれど、余裕がないというか、考える前に反応してしまうというか。
そして、面倒くさいトラブルに巻き込まれていく。
相手にしない
僕は管理職になってから、「相手にしない」ことの有用性を学んだ。
それが2つ目のメリットかもしれない。
どうやっても合わない人間や、好きになれない人間がいる。
それは生きていく上で避けて通れないものでもある。
そのような人たちが、無理やりにでも近づいてきた時、こちらの領土内にズケズケと入ってきた時、どのように対処するのが適切なのか、それを僕は管理職という仕事を通じて身に付けることができた。
まともに取り合っても無駄な人たち。
でも、好きにさせておいたら、領土が無茶苦茶になってしまうような属性の人たち。
そのような人にどのように接すればいいのか。
それを実地で学べるのが管理職という仕事である。
本当に大切な人がわかるようになる
その結果、「本当に大切な人」というのが浮かび上がってくる。
それが管理職になって良かったことの3つ目である。
たくさんの面倒くさい人を相手にし、その中で人間的な成熟を遂げると、「まともな人」のありがたさがとても良くわかるようになるし、そのような人も成熟した人として自分のことをきちんと遇してくれるようになる。
それが僕が管理職になって良かったことの全てである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
管理職を経験したことで、僕は以前よりも自分のことが好きになりました。
それはそれっぽい言葉で言うなら、「自己効力感」が付いた、ということのような気がしています。
「信じられないような理不尽が次から次へ押し寄せても、それなりに対処できる」
この感覚が管理職になって良かったことです。
どんな絶望であっても、そこに希望はなくても、自己効力感さえあれば、今日を明日に引き延ばすことは可能です。
自分を嫌いな方、管理職という荒療治があります。
是非試してみてください。