言いやすい人を悪者にするのをもうやめないか?

UnsplashRoad Aheadが撮影した写真

一見平和に思える職場に溜まった鬱憤の捌け口

ある時点から、「言いやすい人だけに注意を行い、それ以外にはいい顔をする」そういう人が増えたように思う。

これはハラスメントとその対応の弊害と言えるのかもしれない。

人々がハラスメントだと言われることを過剰に恐れたあまり、他者に対して指摘をしたり、指導を行ったりすることが極端に少なくなっていった。

結果、職場は一見平穏になった。

以前のように怒号や罵声が飛び交うこともなく、みな平和に仕事をしている。

それはそれで良いことなのかもしれない。

でも一方で、そこで溜まった鬱憤が、「言いやすい誰か」にだけ向けられているようにも感じている。

本来的な議論というか、本来言うべき対象のことはさておいて、その言いやすい誰かをスケープゴートとするような行為。

僕はそれに辟易としている。

今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

本来やるべき仕事とは?

本来やるべき仕事。

これをジョブ・ディスクリプションで定めて、その出来に応じて対価を支払う。

ジョブ型雇用とまでいかなくても、「仕事と対価が見合っているか」ということが従来よりは求められる時代になってきていると感じている。

でも、一方で、その「本来やるべき仕事」が曖昧になっているようにも感じている。

というのは、その「本来やるべき仕事」を当人ができない時、もしくは「それは私の仕事ではない」と放棄した時、その仕事を「あなたの本来業務だからやらなければならないよね」と説き伏せる役割を誰も担おうとせず、「言ったもん勝ち」の状況が生まれているように思うからである。

結果、そのような「声の大きい人」が仕事の領域を狭め、対価とのズレが生じる。

でも、そこにある仕事は変わらずにそこにある。

それを誰かがやらなければならない。

そのしわ寄せが「言いやすい人」に向かっている。

僕は現状をそのように捉えている。

なぜか責任は「言いやすい人」へ

また、この議論において不思議なのは、そこで生じた仕事の出来が良くない時、もしくはミスが生じた時、その責任はこの仕事を善意で引き受けた「言いやすい人」に向かいがちであるという点である。

これが僕にはよくわからない。

誰も「そもそも」の時点に立ち返ろうとしない。

本来的にやるべき人は素知らぬふりで、なぜか「言いやすい人」が悪者になっているという状況が往々にして起こる。

でも、このような「言いやすい人」の対価がそれに応じて上がる訳でもない。

仕事も増え、責任も増えるのに、処遇はそのままの状況。

これって時代と逆行しているのでは?

僕はそんなことを考えてしまう。

狂ってるぜ

気の弱い人、優しい人、対立を好まない人、そういう人の仕事が増え、声の大きい人、責任感のない人、ズルい人の仕事が減る。

それを誰も咎めることもなく、むしろ善意で引き受けてくれた人を叩いたりする社会。

本当におかしなことだと思う。

というか、「ジョブ型雇用って何なんだ?」と僕は思ってしまう。

せめて理解はしておくべきでは?

もちろん、「仕事と対価が完全に見合う」ということは起こり得ないと思う。

そこに一定の齟齬が生じる、それはやむを得ないことではあると思う。

でも、そこに齟齬が生じていることは、特にマネジメントレベルの者はきちんと認識しておく必要があるのではないか?

それを是正することまではできなくても(本来的には是正すべきであるが)、知っておくこと、わかっておくこと、それだけは最低限しなければならないのではないか?

出来レースのババ抜き

結局のところ、ジョブ型雇用というのは上っ面の制度であるような気がしている。

仕事というのは多岐にわたる。

そして、職務定義できないような細々とした仕事が実は結構重要だったり、大変だったりする。

それを自分のところに来ないように押し付け合っている状況。

それを憂い、善意で引き受けてくれている人を、何かコトが生じた時には手のひら返しで袋叩きにする状況。

良心なんてあったもんじゃない。

というか、恥を知れよ

言葉が乱れるが、本当にそう思ってしまうのだ。

僕たちが選択した現在

モラールの崩壊。

正直者が馬鹿を見る社会。

それが僕たちが選択した未来であり、現在である。

それでいいなら構わない。

皆利己的に生き、他人のことなどどうでもいい、そういう社会が望ましいと思うなら、別にいいと思う。

でも、僕は嫌なのだ。

権利と被害者面と奪還論

卑怯者がのさばる社会。

それを誰も咎めない社会。

「そもそも論」や「べき論」を忘れてしまった社会。

皆が皆、「アイツらが悪い!」と言い立て、「私たちは被害者だ!」と被害者面をし、義務を履行せず、権利ばかり主張している。

でも、そんな状況の中にも、善意の人はいて、でもその人たちにスポットライトが当たることはない。

いや、むしろ虐げられていたりすらする状況。

アプローズ! アプローズ!

僕はマネージャーの端くれとして、それだけはやっちゃいけないのではないかと思っている。

そして、そのように行動している。

保身ばかり考えている奴ら。

それに抗い、結果いつものように孤立し、叩かれまくっている。

素晴らしき日本社会。

皆さま盛大な拍手を。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

成果主義は叩かれる傾向にありますが、「不作為による損失」については皆どのように考えているのだろうか、と僕は思ってしまいます。

現状維持。

それによってどんどんと腐っていく社会。

善意の人がなぶり殺されていく社会。

それなら成果主義の方がマシでは?

実力を白日の下に晒してやりたい、そんな衝動を抱えながら、僕はまた鬱々と仕事に向かいます。

仲間に加わって頂けたら幸いです。

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