「オレは聞いていない」と思うならだいぶヤバい
業務範囲を極小化するのが当世流の賢い振る舞い
減点主義が蔓延した組織内では、責任をできるだけ回避するような行動が尊ばれる。
君子危うきに近寄らず、ではないけれど、とにかくリスクを減らしていくことが賢い振る舞いとなる。
仕事の範囲を極小化して、余計な物事が自分に降りかかってこないようにする。
当然ながら「間に落ちる仕事」なんて拾うはずもない。
こうしてセクショナリズムの壁は高くなっていく。
気付けば、自分の仕事のカテゴリーは本当に手が届く範囲のみになっている。
この範囲内であれば安全に仕事ができるという極小領域の中で快適に過ごすようになる。
そんなこと知らないっ!(ぷいっ)
この種のマネージャーの発言として多いのが、タイトルにも挙げた「オレは聞いていない」というものだ。
ここには「権威者である自分は本当は聞いていて然るべきなのに聞いていない。そんなものは認めないし、当然ながら責任は取らないぞ」という表明が含まれている。
冗談のような話だけれど、こういう人は本当に多い。
そして「なぜ自分が話を聞いていないのか(なぜ自分に公的にも私的にも相談がないのか)」に気付いていない。
ただ、権威だけはあると思っているので(実際にある場合も多い)、その乖離に憮然としている、拗ねている、ということを声高に表明するのだ。
僕はこういう人を反面教師にして、自分の襟を正すようにしている。
ああはなるまい、と思っている。
でも同時に、現状の組織形態や社会情勢では、自己防衛的になるのも仕方ないのかな、とも思っている。
組織における慣性の法則
組織が大きくなると仕事が属人的ではなく汎用的になるので、「欠点がない=優秀である」という評価方法が一般的になる。
尖った人よりも、丸い人の方が使いやすいからだ。
結果として、加点主義よりも減点主義に重きが置かれるようになる。
なるべく失点を減らすように行動することが「是」とされる。
新しい試みは当然ながら失敗する確率が高くなるので、そのような挑戦を行おうとする人はいなくなっていく。
形式的でルーティン的な淡々とした日常を過ごしていこうとする。
それ自体は決して悪いことではない。
というか、組織というものはそういう法則(慣性の法則)を持っているものなので、それ自体は不可逆的だと思う。
でも、そういう組織内には官僚的人材がどんどんと多くなっていって、評論家のような人達が安全地帯から身体を伴わない言葉を使って他者を非難していく。
こうして誰もリスクを取ろうとしない(できるだけリスクを減らそうとする)状態が常態化する。
その中で自分の身を守るためには、火の粉が降りかからないように行動するのはある種仕方のないことだと僕は思っている。
相談されないのは、時間の無駄だと思われているからだ
ここで問題なのは、そのような自己防衛的な自分を棚に上げた状態で、「でもオレは権力者なので話は通しておけよ」というように思い上がるということだ。
自己防衛するのであればそれに徹していればいいのに、そうではなく、その穴倉にも相談に来いよという心性が問題なのだ。
部下側からすればその種の人に相談しないというのは「当たり前」なのに、そのこと自体は別の箱の中に入れてしまって、子供みたいに憤っている。
相談されないのは相談されない理由があるのだ。
それはオフィシャルでもアンオフィシャルでも「意味がない(時間の無駄だ)」と思われているからだ。
あなたがもしそれに気づかずに「相談しろよ」「なぜオレに相談がないんだ」と思っているのであれば、マネージャーとしてはだいぶヤバい状態にある。
たぶん挽回は不可能だろう。
おとなしく静かに(余生のように)仕事をしていくしかない。
もしくは職場を変えるしかない。
権威は椅子に生じるのではなく、「場」に生じるもの
上記したように、僕自身はこういう仕事のスタイルに対して完全に否定的ではない。
それはこのような社会情勢下ではある種仕方のないことだと思っている。
その方が効率的だし、賢く見えるし、足を踏み外すこともないからだ。
仕事に対する価値観の問題であって、それに対してどうこう言うつもりはない。
でもそれならその状態を受け入れるべきだとは思っている。
いつも言う話だけれど、権威というのはその席に座っているから帯びるものではない。
みんなが権威があると思うから、そこに権威が生じるのだ。
それは静的なものではなく、動的なものだ。
場に生じるものだ。
少なくともそれについて僕は自覚的でありたいと思う。
相談されない自分に対して責任を取る
僕は自分を超えて仕事が進んでいってもそれはそれで構わないと思っている。
オレに相談しないなんてセンスねえな、とは思うけれど、それが失敗した時にも責任は取ろうとは思っている(というか、どちらにせよ責任は押し付けられるものだと思っているし、それで構わないと思っている)。
そしてその「相談されない自分」に対して自責的でありたいと思っている。
組織の劣化に対して個人で抗おうとするのはドン・キホーテのように馬鹿げた振る舞いであるのかもしれない。
それでも、手の届く範囲では、目の見える範囲では、僕は自分らしく仕事をしたいと思っている。
理解者はどんどん減ってきてしまっているけれど。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
マネージャーごときの役職であっても、「自分に権力がある」と勘違いしてしまう残念な人はとても多いです。
そしてこの裏側には絶対的な「自信のなさ」が潜んでいるような気がしています。
「弱い犬ほどよく吠える」ではないですが、自分の能力やリーダーシップに自信がない人ほど、その権威を声高に主張しようとします。
自分に役職があるから慕われているのか、生身の自分がそのままの状態で慕われているのか、はとても大きな違いです。
リーダーシップのかけらもない僕でも、「それがない」ということには自覚的でありたい、そんな風に考えています。