宗派の違い
「こだわり」が邪魔をする
僕は結果が出ていないチームでのマネジメントを任されることが多いのだけれど、その際に最初にぶつかるのが、この「宗派の違い」だ。
「思想の違い」と言い換えてもいい。
最終的なゴールは同じ「結果を出す」ということなのだけれど、そこに向かうアプローチ方法が全然違うので、当惑することになる。
そしてさらに厄介なのは、現況のやり方に「こだわり」を持っていることが多いという点だ。
そのような状況の中で拙速に事を進めようとすると、大きな反発を招くことになる。
個人的にはここでの反発というのは避けて通れないもの、ある種健全なもの、であると思っているのだけれど、世の中の多くの人はここに私情というか、怨念というか、恨みというか、余計な感情を混ぜ込んで来るのでとても面倒くさい。
その手法が思い入れのあるやり方であればあるほど、反発も大きくなる。
僕からすれば、「結果が出ていないのだからそれに固執してもしょうがないんじゃない?」「他の方法を試してみるべきなんじゃない?」とドライに思ってしまうのだけれど、こういうタイプの人達はとてもウェットに物事を判断しがちなので、そこで正面突破しようとするのは得策ではない。
今回のテーマはこういう類の話だ。
新しくチームに来た人は序列が1番下?
新しく着任してしばらくすると、なぜこのチームが結果を出せていないのか、ということがぼんやりとわかってくる。
ボトルネックになっている部分と、その改善点が何となくわかってくる。
それは自分がある種のアウトサイダーであるから、客観的にそのチームの状況を判断できるからだ。
感情を排した上で、合理的に物事を見ることができるからだ。
本来的にはこの時点で手を付け始めたいのだけれど、ある程度大きな組織内ではこれはなかなか難しいのが現実だ。
というのは、(僕からしたら不思議なことなのだけれど)「新しくチームに来た奴=新参者は序列が1番下」という(日本的?)謎のルールが暗黙裡に存在するからだ。
もちろん来たばかりの人間はそのチームが採っている手法が生まれた背景や、経緯や、現状というものがわかっていないので、それを理解してから発言しろ、という主張に理がない訳ではない。
そのように感じるのもわからないでもない。
でもある程度チームマネジメントの経験がある人(そして結果を出してきた人)からすれば、これ程ナンセンスな話はない。
反発を招くことを承知で言えば、「だからダメなんだよな」と思ってしまう。
純度が低いから成果が出ない訳ではない
このようなムラ社会的な閉鎖性に染まっているチーム程、外部の人への憎しみは大きいし、新しいやり方への順応性が低い。
(「ヨソモノ」やそれに付随する「同調圧力」という概念が過剰なのは島国特有のものなのかもしれないが、それはまた別の論稿で話そうと思う)
僕はとても不思議なのだけれど、こういう閉鎖的なチームは、結果が出ていない原因を「純度の甘さ」に求めることが多い。
あるルールを徹底できていない部分があるから、純化できていないから、結果が出ていないと思うことが多い。
そして隘路に向かって突進していくようになる。
ルールに染まらない異端者を排撃するようになる。
僕はチームの文化を作る為にはある種の「カルト性」は必要だとは思うけれど、そこには「開放性」が同時に必要だと思っている。
内に向かう力と、外に向かう力が、バランスよく保たれることが必要であると思っている。
このパワーバランスが崩れると、チームは停滞するし、脱落者が出てくることになる。
他人を踏み台にする「敏腕」マネージャーたち
マネージャーが「教祖」のように強い力を持っていると、純化されたチームマネジメントはある段階までは機能するけれど、それ以降は弊害も出てくるものなのだ。
でも大抵のマネージャーやその上司達は、この前半部分に着目して、後半部分についてはあまり考慮しない。
もっと端的に言うのであれば、前半部分の成果を過剰にアピールする。
いつも言う話だけれど、半年とか1年とか(長くても3年くらい)の短期間であれば、パフォーマンスを劇的に向上させることは簡単だ。
そこに脱落者や落伍者が出ても構わないのであれば、そしてそれ以降が焼け野原になっていても構わないのであれば、このようなマネジメントスタイルを取るのが一番効果的であると思う。
そしてマネージャー個人が更に出世していきたいのであれば、結果という箔をつけていきたいのであれば、この方法は合理的でもある。
そのような「敏腕」マネージャーは腐るほどいる。
でも僕はそういう人達が大嫌いだ。
そうやって部下を踏み台にして、お客さんを蔑ろにして、自分だけが幸せになればいい(たぶん本人にはその自覚はない)という思想には反吐が出る。
それはたぶん宗派の違いに過ぎないのだろう。
「結果を出す(出している)」というゴールは同じなのだから。
いつまでも分かり合えなくても
僕は自分が甘いことを言っているな、と思いながら、それでも結果を出し続けてきた。
どうしようもない部下を抱えながら、それでも見捨てずに結果を出し続けてきた。
自称「敏腕」マネージャーたちや、結果が出ないやり方に拘り続けている人たちを横目に、僕は開放性と閉鎖性のバランスを取りながらチームマネジメントを行っている。
たぶん永遠に僕たちは分かり合えないだろう。
それは宗教上の問題のようにとても難しい話なのだろう。
段々疲れてきているのも事実ではあるけれど、もう少しこのゲリラ戦を続けていこうと思っている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
今回書いていて自分でも気づいたことなのですが、「純化」というのはチームマネジメントにおける隘路の一つであるように思います。
上手くいっていない原因を、それが徹底できていないからだ、と履き違えてしまうマネージャーはたくさんいますし、それによってどんどんと難しい道へ進んでいってしまうような気がします。
そしてこのようなある種の原理主義は、そのチームのやり方から外れる人に対してとても厳しいことが多い。
もちろん「入り込んでいく」ことはチームマネジメントにおいて必要なことなのですが、それがあまりにも行き過ぎると、そこから「離れる」ことが難しくなってしまいます。
そしてそのようなチームにはそこに上手く染まれない人に対する排除の力が必ず働いています。
僕は単色でなくとも成果を上げられるようなチームを作っていきたいと考えています。
決して同じ考え方じゃなくていい。
1つになる必要なんてない。
そんな風に考えています。
これからも僕はマイノリティ的にゲリラ戦を展開していくつもりです。
もしご賛同頂けるならこんなに嬉しいことはありません。