理論と実践は違う
問題が残置されているのには理由がある
今日は自分の失敗を振り返ってみる。
それは「現場は理論通りにはいかない」ということだ。
理論と実践は違う。
そんなことは知っていた(つもりだった)。
でも「体感」としてはわかっていなかった。
そういう意味においては、マネージャーに成り立ての頃の自分はだいぶ「頭でっかち」であったと思う。
それこそ「経営コンサルタント」のように、現場に残置されている「悪い部分」を適切に除去すれば、見違えるようにチームが良くなるのだ、というような考え方がとても強かった。
チームの立て直しを命じられた僕は、その問題がなぜそのままになっているのかが理解できなかった。
「だからダメなんだよ!」と思っていた。
今はちょっと違う。
今日はそんなことを書いていく。
如何ともしがたい現実
現場は「生もの」である。
本社と現場が対立するのは、この感覚があまり伝わらないからであると思う。
それは本社が偉いとか、現場が偉いとか、そういう範疇の話ではなくて、双方の感覚がズレていることから生じることが多い。
本社的には「なぜこんな簡単なことができないのか?」「明らかにここが問題なのに、なぜそれをそのままにしているのか(現場の怠慢ではないのか)?」と思うのだろうけれど、現場には現場の「それができない理由」がある。
それは現場がサボっている訳ではない。
形容しがたいけれど「如何ともしがたい現実」がそこにはある。
理論を振りかざしたことによる失敗
外から来た人間であった僕は、そういった現場を目の当たりにして、「これはダメだ」という第一印象を抱いた。
それは決して間違っていない。
でももう少し掘り下げて「なぜダメなのか」「なぜそれがダメなまま放って置かれているのか」を探ってから動き出すべきだった。
それなのに、理論を振りかざして僕は突っ走ってしまった。
それが僕の失敗だ。
現場のことはわかっているという思い上がり
もちろん、僕自身は現場上がりの人間なので、現場の実情というものについては十分に理解しているつもりだった。
でもそれぞれの現場にはそれぞれの事情がある。
いや、それさえわかっているつもりだった。
でも現実はもっと奥深い。
もっとドロドロとしている。
もちろんそれは体験した今だからこそわかるものであって、最初からわかろうとすること自体が不可能なのかもしれない。
ただ、「もう少し良い方法はあったな」というのが現時点からの振り返りだ。
それをもう少し書いてみる。
理論と実践の間を取り持つのがマネージャーの仕事
現場は感情で動いている。
そう書いたら言い過ぎだろうか?
いや、そうとも言い切れないと思う。
同じことをやるとしても、「下ごしらえ」をしてから進めるのと、そうでないのでは受け止め方が大きく異なる。
そんなのは当たり前?
確かにそうなのだ。
ただ、この理論と実践を上手にできる人はそう多くない。
本社は理論寄り過ぎるし、現場は実践寄り過ぎる。
その間を取り持つのがマネージャーの仕事だ。
理論を理論として咀嚼しながら、現場の感情に配慮して、泥に塗れながらそれを実践していくことが重要なミッションなのだ。
言うは易く行うは難し。
いや、マジで。
本当にこれが難しいのだ。
生っぽさを上手に扱える者だけが現場を変えられる
もちろん今だってそれが完璧にできているかというとだいぶ怪しいけれど、それでも昔に比べれば上手にできるようになったと思っている。
その違いは何なのか?
それは(当たり前の話だけれど)、「話をよく聞く」ようになったということだ。
それも胸襟を開いて、フラットな立場で話を聞くことがとても大事だ。
僕が数多のマネジメント本に違和感を覚えてこのブログを書くようになったのも、その「生っぽさ」が実務上はとても大事であるということを伝えたかったのだと思う。
コンサル的なアプローチは何一つ間違っていない。
ただそれだけでは現場を変えることはできない。
不思議な歴史や、謎の文化や、おかしな人間関係や、魑魅魍魎みたいなものが現場には跋扈している。
それと上手に戯れることができる者だけが現場を変えることができる。
面従腹背を防ぐために
だからといって、理論が無駄である、ということにはならない。
理論をきちんと自分の言葉に置き換えて、現場の人達に腹落ちさせて、彼らが気持ちよく働けるようにすること、それがマネージャーの「マネージャー力」とも言えるものである。
それには経験が必要であると言ったら身も蓋もないけれど、実際のところはそうなのだろう。
どうやったら「いい塩梅」に落ち着くか、「落としどころ」はどのあたりなのか、ということは政治家のやり口みたいであまり好きではないけれど、これができるのとできないのではマネージャーの仕事の成果は大きく変わってくる。
妥協と言えば妥協なのだけれど、感覚的には回り道をしながら遠いゴールに向かう、ような感じで僕は捉えている。
直線的にゴールに向かう方が潔いし、格好良い。
ただその方法では遠くまでは行けない。
面従腹背というか、表面上はみんなマネージャーの言うことだからと従ってくれるけれど、実際には全然納得していなくて、だからこそパフォーマンスも低調なものに留まってしまう。
泥に塗れた後に理論を効かせる
このブログ内で何度も言っていることだけれど、リーダーシップというのは「席」に生じるものではないのだ。
みんなの話を聞きながら、「そうは言ってもさ…」みたいなことを地道に繰り返していく。
そして自分も同じように泥に塗れていく。
そうすると、「まああのマネージャーが言うなら仕方ないか」「面倒だけどつきやってやるか」みたいな感じで段々と受け入れられていく。
このような状態になれば「理論」が効いてくる。
遠くまで行けるようになる。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
言葉を届かせる為には、内容よりも誰が言うかが重要です。
言霊であるとか、言葉に重みがあるとか、そういったものがなぜ生じるものなのかはわかりませんが、その人の言うことであれば聞いてみようと思わせることができるかどうかがマネジメントの出来を左右します。
そしてその為に必要なことが「言行一致」です。
現場に身を置いて、泥臭い現実の中でも言行一致を続けることができれば、その人は必ずリーダーとしてやっていくことができます。
そこに理論が加われば、まさに鬼に金棒です。
僕のように失敗しないように、ぜひ心掛けてみて下さい。