聞くスキル

アイ・アム・ア・カウンセラー

以前にも「自分の仕事はお悩み相談室めいてきている」というようなことを書いたけれど、今日はその延長線上の話をする。

マネジメント業務というのは、カウンセリング要素が思いのほか強くて、僕の時間の大半は部下の話を聞くことに費やされている。

毎日というわけではないけれど、場合によっては2時間とか3時間とか1人の部下と話をすることだってある。

この時に大事なのは「傾聴する」ということである。

マネージャーは往々にして素晴らしいことを言いたくなる人種であるけれど、それよりも大切なのはよく聞くことなのである。

よく聞く為にはどうすればいいのか?

結論から言うと、それは「一緒になって唸る」ということだと思う。

よくわからないかもしれないので、以下に詳しく書いていく。

話の展開に身を任せる

幸いなことに、僕は人の話を聞くことが苦ではない。

大抵の話を興味を持って聞くことができる。

それはある種一つの才能ですらあると思う。

部下の話の多くは取り留めがないし、脈絡もないし、結論もないし、で、はっきり言って面白い種類の話ではないことが多い。

そんな話の最中でも、「で?」であるとか「結論は?」ということを言わずに、じっと話が進んでいく方向に身を任せることが大事なのである。

僕自身はかなり仕事は速い方であると自負しているし、部下からの報告に対しても、できるだけ早く結論を知りたくなる性格ではあるけれど、その面をできるだけ見せないようにする。

というか、仕事場では別にそれで構わないと思うけれど、1on1のような面談の機会においてはそれはやめるべきである。

できるだけフラットな状態で、取り敢えず聞くに任せる。

それが重要である。

適切な返しをすることで気持ち良く話をさせる

聞くに任せる、というのは、ただ「うんうん」とか「そうなんだ」とか相槌を打つだけではない。

相手の話が盛り上がるような返しをすることが大切である。

これは営業においても同じであると思うけれど、人は「聞く」よりも「話したい」生き物である。

それは話すという行為が気持ちの良いものであるからである。

だから、できるだけ円滑にその話すという行為をできるようにしてあげることが重要なのだ。

暖めてから深堀する

円滑に、というと、表面を滑らかにする、というようなイメージを持たれるかもしれないので、もう少し詳しく言うと、話の序盤は場を暖めるためにも滑らかに話をさせておいて、中盤からは話を深堀するような展開に持っていくことが大事である。

要は「なぜそう思うのか?」であるとか「どうしたいのか?」というようなことを相手に考えさせるようにする。

そしてその為には、自分も同じように悩む(一緒になって唸る)ことが重要である。

自分の言葉で考えさせる

これは「相談」とは違うイメージである。

相談というのは、下位者が上位者に対して教え(アドバイス)を乞う、というようなある程度「答え」を探していくものになりがちであるが、僕が話していることはこれとは少し異なる。

答えや結論は出なくて構わない。

大事なのは相手に考えさせるということである。

もう少し言うと、自分の言葉で考えさせる、ということである。

部下が言語化する手助けをする

マネージャーになってつくづく思うのは、多くの人は自分の仕事がなぜ上手くいかないのか(など他の問題についても)について、あまりにも考えていない、ということである。

自分では考えているつもりになっているようであるけれど、僕からしたら殆ど考えていないと思えるくらいしか考えていない。

それじゃあ確かに仕事は上手くいかないよね、と僕は思うのだけれど、多くの部下はそこまで考えが及ばないようである。

僕は壁打ちの相手として、相手の話を纏めたり、質問を投げかけたり、説明を求めたりして、部下が自分で自分の考えていることを言語化できるように導いていく。

導いていく、というと戦略的にやっているように響くかもしれないけれど、感覚としては結果としてそうなる、というような感じである。

僕にも答えや進むべき方向というものが見えている訳ではないし、そちらの方向に誘導しようとしているわけでもない。

でもたまたま流れ着くのである。

価値観を揺さぶられることを疑似的に再現する

特に若手と話していて思うのは、じっくり話をする、もしくは、じっくり話を聞いてもらう、という経験が彼ら(彼女ら)には余りにも少ない、ということである。

この辺はまた別の機会に詳しく書こうと思うけれど、彼ら(彼女ら)の世代のコミュニケーションは(僕から見ると)表層的で、できるだけ事を荒立てないことが最重要事項であって、そこから突っ込んだ話、それも世代が違う人との深い話をした経験が本当に少ない、ということをよく感じるのだ。

他者というものが世の中には存在していて、その他者は違う価値観を持っている、というのは当たり前のことであると僕は思っているのだけれど、彼ら(彼女ら)と話をしていると、そうではないように見受けられる。

そしてその他者との関りの中で、自分の価値観が揺さぶられ、「ああ、自分は本当はこんなことを考えていたのだ」と思い至る経験が圧倒的に欠如しているように(僕には)思える。

それを疑似的に再現することが大事なのではないか。

そんなことを僕は考えている。

自分で自分を書き換えていく作業の欠如が成長を阻害しているのかもしれない

従来(もう少し残業に大らかな時代)であれば、帰る前の落ち着いた時間であるとか、飲み会の合間であるとかに、先輩や上司からこのようなものが自然と受け継がれていたのだろうと思う。

でも、ネット世代が増え、コロナ以降のリモート世代が増える中で、この辺の自己を内省するというか、自分を自分で書き変えていく作業というか、それらを誰が担うのか、について僕は危機感を持っている(いや、そんなものいらないのかもしれない)。

若手の成長が今ひとつなのは、この辺のことも関係しているのではないか。

この辺の話はまたどこかでしたいと思う。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

若手と話をしていると、視野の狭さ、を意識させられることが多いです。

スマートで、感じが良い子たちが多いのですが(そしてそれはとても素晴らしいことですが)、返ってくる答えは予想の範囲内であることが殆どで、「こう言っておけば腹が立たない(心地良い)でしょ?」というテンプレをなぞっているような印象を僕はよく持ちます。

それは「Aという入力があればBという出力を返すこと」に近い感覚で、でもそうしている自覚は彼ら(彼女ら)にはなくて、その応答の繰り返しのことをコミュニケーションと呼ぶ、ということに対して、僕は違和感とつまらなさを感じています。

そして1on1などでそう指摘すると、一様に驚かれます。

その一方で、面白がられもしています。

時間と手間がかかりますが、めげずに話をしていきましょう。