苦情対応力

UnsplashTycho Atsmaが撮影した写真

それでは張り切ってどうぞっ!

マネージャーになってから、「こんなにも人というのは怒るし、怒らせてしまうものなのだな」ということを思う。

自分で言うのもなんだが、僕は他人の感情に敏感なところがあって、「この一線を越えたらヤバい」というのがわかるので、担当者時代に苦情になることは殆どなかったように記憶している。

でも、自分の部下を含め多くの人にはそのラインが分からないようで、果てしなくオーバーランしたり、虎の尾を思いっきり踏んづけたりしているので、「そりゃ怒るよな…」という事態になる。

そしてそのタイミングでマネージャーの出番が回ってくる。

「どうやったらこんなに人を怒らせられるのか…」と呆れるくらい相手が怒った状態で、「さあ張り切ってどうぞっ!」みたいな感じで僕の出番になるので、本当に嫌になる。

もうちょっと手前で回してくれよ、といつも思うことになる。

でも、それを何とか収める力がマネージャーには必要なのである。

今日はそんな話をしていく。

苦情は苦情

「全く好きではないけれど、得意なこと」というものが存在する。

僕にとっての「苦情対応」はそれに該当するのだろう。

当たり前の話だけれど、苦情対応が好きな人はいない(はずだ)。

いつも胃が痛くなるし、変な汗が出るし、本当に嫌な気分のままである。

慣れる、ということがない。

何事もなく1日が終わることをこんなにも願っているのに、神様は残酷で、一定の周期でまた新たな苦情を僕にもたらしてくれる。

これは神が与えた試練だ、なんてことは思えない。

ただの苦情、である。

「慣れないけれど、慣れる」という不思議な感覚

でも、これだけの経験を重ねると、人間というのは優れたもので、だんだんと「勘所」がわかってくるから不思議なものである。

それは「慣れる」とはちょっと違った感覚である。

「まあ今までも何だかんだ苦情解決できていたし、今回もどうにかなるだろう(自分ならできるはずだ)」という自信みたいなものが生まれるのだ。

そしてそうなるには、ある程度の「場数」が必要となる。

マネージャーという仕事をしていなければ経験しなかったであろう怒られ方、それも多種多様なバリエーションの怒りを潜り抜けることで、胆力みたいなものが身に付いてくる。

「慣れないけれど、慣れる」みたいな不思議な感覚。

それが僕の現在位置である。

営業は「受け」から始まる

僕はそこそこ優れた営業マンであった。

その力はいま、苦情対応において遺憾なく発揮されている。

営業というものを多くの人は「攻め」だと勘違いしているけれど、「受け」というのが本質なのだろうと僕は思っている。

どのような話があっても「受ける」ことができること。

そしてその相手の力を利用して、合気道のように返せること。

これが営業力なのである。

気持ちに寄り添うこと

それは苦情対応にもとても役に立つスキルだ。

苦情対応で大事なのは、相手の心情を理解するということだと思う。

論理的に考えると、「不当要求」「言い掛かり」みたいなものが大半であるのは事実である。

でも、「そのような気持ちにさせてしまった」ことに対してお詫びしたり、寄り添ったりすることはできる。

この辺が優秀な人ほど苦手であるように感じる。

論理でねじ伏せるのはNG

ダメなものはダメ、というのは苦情対応においてとても大事なことだけれど、そうは言っても人間同士の話なので、感情面での配慮は必要なのである。

例えが適切であるかはわからないけれど、「わかりました。納得しました」という展開よりも、「仕方ねえなあ。納得はいかねえけど、お前が言うなら許してやるよ」という展開に持っていくことが結構大事だし、多くの人にはできないのだろうなあと思う。

何というか、「論理でねじ伏せよう」としてしまうのだ。

譲れないところは譲らず、譲れるところで大きく譲る

それは自己防衛的な意味合いもあるのだろうと思う。

「私は間違っていない」と主張したい気持ちはわかる。

そして「自分がそうしてあげたくても、組織の規則(社則)でできないこと」というのはたくさんある。

でも、それでは相手も振り上げた拳を下ろすことはできない。

だから、譲れないところは譲らず、譲れるところを大きく譲る。

そんなイメージで僕はいつも苦情対応をしている。

大事なのは世の中を円滑に回すこと

これは部下との接し方においてもそうである。

何かにつけて「ルール」を持ち出してくる人がいる。

小学生女子のように、「ルール違反だ!」「先生に言いつけてやる!」という人はとても多い。

でも、「ルール」というのは手段であって、目的ではないことを理解している人はとても少ない。

大事なこと(目的)は「世の中を円滑に回すこと」である。

その為にいちいち判断するのが面倒だから「ルール(手段)」があるのである。

これをきちんと理解し、部下にも理解させることが大事なのである。

人間関係はいつも面倒だ

様々なチーム内の問題を解決することは、ある意味では苦情対応よりも難易度が高いと言えるかもしれない。

それぞれの言い分があるからだ。

それを「論理でねじ伏せる」のはたぶん不可能だし、やめた方が良いと僕は思う。

それぞれの話を聞き、「納得はできないけど、課長が言うならしょうがないですね」と理解してもらえるようにしてもらうことがとても大事なのである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

苦情対応をしていると、自分が顧客の立場になった時に面倒な人にならないようにしようと必要以上に思ってしまいます。

本当に些細なことですが、自分が受けた悪意を誰かにぶつけない(悪意の連鎖を抑える)だけで、世の中は少しだけ良くなるのではないかと僕は思っています。

嫌なことばかりですし、そうも言っていられない時もありますが、なるベく自分のところで食い止めていきましょう。