異端児の扱い方
正し過ぎる尖った若手
あなたのチームに異端児はいるだろうか?
最近は若手達の「羊化」が進んでいるようで、あまり多くはなくなってきたけれど、時々「尖った」若手がチームにいたり、加入してきたり、することがある。
言っていることは間違っていないのだけれど、「正し過ぎる」というか。
理想的過ぎるというか。
上手く会社と適応できていないような感じの若手、そのような「異端児」とどう向き合っていくべきなのか?
今日はそんなことを書いていく。
適切な生息地帯の捜索
まず前提として、僕自身は異端児であったし、異端児であり続けている、と思っている。
未だに会社とどのくらいの距離感で仕事をしていったらいいのかがわからない時があるし、若い時分にはそれがもっと極端であった。
大抵の社会人はそうだと思うのだけれど、会社の方針が自分の考え方に完全に合致することは殆どなくて、何らかの妥協の中で仕事をせざるを得ない、というのが実情であると思う。
ただ、一方で、あまりにも折り合いをつけ過ぎて、何にも自分の意思かなくなってしまう、というのもまた困りものなのである。
その間のグラデーションの中に、適切な生息地帯を見つけられることができるか。
それが社会人生活を楽にする秘訣である。
それでも丸くなった方
僕はある程度の歳を重ねてから、それが以前に比べると上手にできるようになった。
もちろん、それでも僕くらいの年齢の中ではだいぶ「尖って」いる方だとは思う。
それでも、僕なりには丸くなったつもりだし、譲れるところの面積もだいぶ大きくなってきたように思ってはいる。
さて。
そんな僕の所には、なぜだか「異端児」が結構な割合で来るのである。
変な僕。変な仲間。
たぶん人事部の中では、「ウエノは変わっているから、変わったヤツを放り込んどけ」みたいな情報が共有されていて、その結果として僕のところには色々な変な人たちが集まってくるのだろう。
年齢関係なく、「道(本流)から外れた」人達が、僕のチームの大半なのである。
そんな人達の中でも、今日は「若手」の異端児の話だ。
間違っているのは会社だ?
大体の場合、彼(彼女)らは、何らかの挫折を経験している。
でも、自分の理想や大義みたいなものは間違っていない、と信じている。
間違っているのは、会社(もしくは社会)である、と。
正すべきは、その間違った会社(もしくは社会)である、と。
嫌いじゃない。
でも、もう少し上手に立ち回る術は教えてやるべきだ。
理想を叶えるには圧倒的な実力が必要
僕は営業担当時代から、理想肌の営業マンであった。
「お客様の為に」というのは、割とどこの会社でもあるスローガンであると思うけれど、これを真に実践できる人は殆どいない(オレだけが実践している)と思っているくらいの理想主義者であったし、今もそれを実践しているという自負がある。
表現が難しいのだけれど、お客様のことを考えると、営業的な数字というのは上がりづらいのが現実ではある(本当はこれは間違っていて、「真に」お客様のことを考えると営業的な数字はメチャクチャ上がる)。
だから、皆何らかの妥協をする。
その妥協の度合いが大きい営業マンもいる。
そういう人達と競うのは、ハンデとは言えないまでも、なかなか厳しいというのが現実である。
だから、僕はよく異端児に言う。
「本当にあなたの言う理想を貫きたいなら、圧倒的な実力が必要だよ」と。
「そして、その実力がないなら、負け犬の遠吠えと変わらないよ」と。
理想には代償を伴う
僕は自分の経験から、多少の遠回りはしたとは思うけれど、腕を磨くことで、結果的に妥協の多い営業マンたちよりも圧倒的に高い成果を上げることができるようになった。
でも、そこにはそれなりの苦労はあったし、それによって失ったものもたくさんあった。
それでも、あなたはその理想を保持しますか?
それが僕が彼(彼女)らによく言うことである。
代償は思っているよりも大きい
理想を貫くには代償を伴う。
そしてその代償は思っているよりも結構大きい。
自己研鑽も必要だし、それによってお誘いを断らなければならないことも増えるし、そうすると付き合い悪い奴という評判も立つし、元々生意気でもあるし、まあとにかく会社で生きづらいことが増える訳である。
具体的な嫌がらせも経験したりするようになる。
それでもあなたはその思想を捨てないですか?
真の異端児
ここまで書いてきて、「踏み絵」みたいなことを連想してしまうのである。
踏んでしまった方が、日本社会で生きるのはとても楽であると僕は思う。
そこに葛藤があったとて、躊躇いがあったとて、多くの人はその絵を踏んでしまう。
そして何食わぬ顔で仕事を続けている。
もしかしたら訳知り顔で、「ああ、若い頃はオレもそうだったよ。でもそろそろ大人になれよ!」そんなことを言ってくる人もいるかもしれない。
そのようなある種の孤立無援、孤軍奮闘、四面楚歌の中でも、あなたはその理想を捨てないですか?
それができるものだけが、真の異端児となり得るのである。
本物であること
結果を出さない異端児は、ただのイタい奴である(イタい児)。
その厳しさ、覚悟みたいなものを伝えられること、それを今でも体現していること、それが彼(彼女)らと上手くやる秘訣である。
「この人は本物である(ニセモノじゃない)」と思わせられること。
それなりの傷を負っていること。
それこそが異端児を扱う秘訣である。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
異端児は異端児の匂いを嗅ぎ分けます。
僕からはたぶん濃い目の「異端児臭」が出ているので、変な奴ばかりから慕われます。
まあそれも嫌ではないですが…。
大事なことは、本物であるかどうかです。
理想っぽいことを言うのは簡単です。
それを長年貫くのは大変です。
腕を磨いて、尖っていきましょう。