明らかにヤバい人を排斥する方法ってないのだろうか?
腐ったミカンを捨てる方法はないのか?
世相なのか時代なのか、その要因はわからないのだけれど、「明らかにヤバい人」にエンカウントする確率が上がっているような気がする。
この種の人に対する最適な対応方法は「逃げる」一択であると僕は考えているのだけれど、そうは言っても同じ職場であれば、否が応でも接点を持たなければならない(持ち続けなければならない)こともある。
もっと言うと、その人単体だけがヤバいのであればまだマシであるのだけれど、周りの人を巻き込んで、その勢力を拡大しようとしたりしていると、これはもう本当に厳しい。
ゾンビが咬むことで、またゾンビが増えていく、みたいに。
本当は誰もがその人がいなくなることを望んでいるのに、それがなぜか実現しない。
それが日本社会(企業)である。
そういう人を排斥する方法って本当にないのだろうか、というのが今日の話である。
たぶんない、というのが結論になりそうだけれど、同じような悩みを抱えている方の溜飲が多少なりとも下がるかもしれないので、今日はそんなことを書いていく。
退職勧奨?
日本企業において解雇は難しい。
これが定説である。
そんな中で生まれた戦術というのが、退職勧奨というものである。
これは文字通り「退職を勧める」というもので、実質的には解雇と同義なのだけれど、あくまでも自らの意思で辞めたのですよ、という体裁を整える為に行われる、実に日本的な解決策である。
「肩叩き」とか「追い出し部屋」とか、そういう話である。
ただこれも違法性がある場合もあるし、そもそも会社側が変な使い方をする場合があったりして、「本当にヤバい人」を排斥するには使われていないような気がしている。
どちらかというと、経費削減的な使われ方というかリストラ的な使われ方というか、会社にとって都合の良い場合に使われる方法のようなイメージを僕は持っている。
やや乱暴な言い方にはなるけれど、大人しい人や歯向かってこなさそうな人には使うけれど、真に面倒な人には使わない、というか。
「それやるなら、こいつにもやれよ」と思うことが多い、というか。
結論:たぶんない。
だから、たぶん退職勧奨も、「明らかにヤバい人」には向かない方法であると僕は思っている。
そんな中で、「明らかにヤバい人」を排斥する方法ってあるのだろうか?
たぶんない、というのが結論ではある。
でも、それではこれを読んでいる人の何の参考にもならないと思うので、僕なりの方法を以下に書いてみようと思う。
明らかにヤバい人は、自分が明らかにヤバいとは思っていない
それは一言でいうなら、「民意」を示す、ということである。
僕がたくさんの「明らかにヤバい人」と接する中で感じるのは、彼(彼女)らは自分が「明らかにヤバい人」である、「明らかにヤバい人」だと思われている、ことに自覚がない、ところに問題がある、ということである。
彼(彼女)らは、嫌われているとは思っていない。
面倒な人であると思われているなんて、想像もしえない。
それが「明らかにヤバい人」の特徴である。
そして付け加えるなら、その上司もその人が「明らかにヤバい人」であることに気づいていない場合も多い、というか。
上司も気づいていないことが多い
経験上、この種の人は、上の人に対しては上手に振舞うことが多いような気がする。
結果として、組織的にも「まあ、排除するほどではないんじゃないか」という結論に落ち着くことが多いような気がしている。
実際にはたくさんの犠牲者が生まれているというのに。
それなら、それを知らしめるしかないのでは?
それが僕の現在時点での考えである。
被害者も被害を受けていると表明すべきでは?
個人的には好きではない方法ではある。
何というか、村八分的な感じがするからだ。
でも、一方で、僕はこうも思うのである。
被害者たちも本人に対しては直接言わないからわからないんだよな、と。
僕の言う民意とは、多数決や投票みたいなものでその人を排除する(人狼ゲーム的な)、というものとはちょっと違う。
もちろん、結果としては同じなのかもしれない。
でも、「集団対個人」ではなくて、「個人の累計対個人」というか、1対1が重なった結果民意となる、というか。
本人に言わず、オレだけに言うのってフェアじゃなくね?
僕がマネージャーをやっていて「嫌だな」と思うことの1つに、直接本人には言うことをしないのに、マネージャーには伝える、というものがある。
もちろん、直接本人に言ったら実害がある、だからやらない、それも事実だろう。
でも、あからさまに本人にはいい顔をしていて、裏で罵るというのはいかがなものか、と僕は思うのだ。
フェアではない、というか。
個別にタイマンを張れよ
確かに1対1では、それを言うと面倒なことになる、というのは事実であると思う。
でも、それが積み重なれば、多くの人が「嫌いだ」「迷惑している」ということをサシで表明することが続けば、それはそれなりの力を帯びるのではないか、と僕は思っている。
本人が嫌われていることを自覚する可能性が高まる、というか。
もしかしたらこの方法はイジめっぽく聞こえるかもしれないけれど、僕が言いたいのはそうじゃなくて、それぞれが個別にタイマンを張れよ、ということである。
集団リンチをするのではなくて、サシで戦えよ、というか。
その累計が、僕の言う「民意」である。
何で会社がすべきことをやらなければならないのかとは思うけれど
皆が敵意を持っていることを示せば、流石にその人も考えを改める可能性があるのでは?
そうは言っても、本当は会社側が対応するべきではある。
でも、それはきっと叶わない。
「それなら、自衛の為にそういう方法もあるのでは?」というのが今日の話である。
嫌な結論になった。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
和を以て貴しとなす。
それを乱すもの(狼藉者)。
僕は後者で良いと思っています。
ナイフで刺されたことがある相手、刺され続けている相手、を抱擁できる程、僕は人間ができていないですし、それで構わないと思っています。
集団リンチは嫌いですが、個別に武器を持って戦いを挑み、その異常者を叩きのめす。
それは自衛とは言えないのでしょうか?
僕は異常者も自衛もしない人も嫌いです(もちろんそれを放置する会社も。だから僕は嫌われるのでしょう)。
狼藉者らしく、嫌われることを楽しんでいきましょう。