プレイングマネージャーという言葉で誤魔化すのはやめよう

どっちもやるのが当たり前?

今日のテーマはプレイングマネージャーだ。

「やめようと言われましても…」という声が聞こえてくる。「そんなの無理ですよ。現実がそうなのだから」

これは本当にそうだ。中間管理職はその状況に応じて都合よくプレーヤーにされたり、マネージャーにされたりする。

僕は営業の課長なので、課の数字が上がっていない時には「プレーヤーをやれ」と上司から言われ、部下がミスをしてしまった時には「マネジメントに専念しろ」と言われ、「いやいやどっちやればいいんですか」と度々思ってきた。

そう思っていると「いやいやじゃねえんだよ。どっちもやれよ。当たり前だろ」とまた上司に言われることになる。

マネージャーがプレイをしても目標達成は不可能

そんな僕が偉そうに言うのもどうかと思うのだけれど、プレイングマネージャーでは成果は上がらない、というのが5年間の僕の経験だ。

それはどうしてか?

マネージャーの本分はマネジメントにあるからだ。

どのくらいの人数のチームのマネジメントをしているかによっても変わるけれど、マネージャーの仕事はそのチームメンバーの力を人数分以上にすることだ。

仮に部下が10人いるのだとすれば、その力を10ではなく、20とか30とかにするのがマネージャーの仕事だ。

その為にはできるだけマネジメントに力を割いた方がよい。

というか、そうしないとチームの力はせいぜい11とか12とかに留まってしまう。

もちろんマネージャーがプレーをすれば、一時的には業績は良くなるだろう。

かつて優秀な営業マンであったマネージャーなら猶更だ。

そしてマネージャー本人も「仕事をしている気」になるだろう。

僕自身もそうだけれど、マネジメント業務よりもプレーヤー業務の方が圧倒的に楽しい。

結果がすぐわかるし、成功すればアドレナリンが出るし、達成感もあるし、プレーヤーをやっている方が性に合っていると心から思う。

忙しくしている方が上司からの受けもよいし、自分も充実感があるので、往々にしてプレーヤー業務に力を入れる、というか業績が低迷しているのであれば力を入れざるを得ない、というのも本当に良くわかる。

心から共感する。

でもそれではダメなのだ。

力の例えに戻ると、仮にマネージャーのプレイング能力がチームメンバーの倍あるとしても、10+2=12にしかならない。

その12の力でチームの目標が達成できるようであればマネージャーはプレーし続ければ良い。

でも往々にしてチームの目標は20とか下手をすれば30とかに設定されている。

普通のやり方、今のチームの延長線上にあるやり方では絶対に到達できないような水準に設定されている(少なくとも僕の会社ではそうだ)。

根本的な考え方を変えないと、そもそもの設計思想から変えていかないと、その目標への到達は不可能だ。

マネージャーが部下と同じ目線では戦えない

ではどうするか?

マネジメント業務に専念するかない。

1の力しか持っていない部下達の力を結集させて20とか30という高い目標をやり遂げる為には、マネジメントを徹底的に行うことで実現するしかない。

チームスポーツをしていたことがある人はわかると思うのだけれど、個の力ももちろん大事だけれど、チームとしての力を上げる為にはそれだけでは十分でない。

部下の育成というのは個の力を上げる為には非常に大事な要素だけれど、当然部下の成長は一朝一夕では達成できない。

それよりは現状の部下の能力で戦うための戦略や戦術を考えることに力を注いだ方が良い。

そもそもの戦い方を変えた方が良い。

マネージャーは部下と同じ目線で戦ってはいけないのだ。

プレーヤーは目の前の仕事に全力を注げば良い。それは楽しいし、興奮する。

でもマネージャーはもっと先のことを見通さなければならない。戦局がどうなっていくのか、その時にはどういう戦い方が有効なのか、それを考えなくてはならない。

(そのことについてはこのブログに色々と書いているのでそちらを参考にして欲しい)

そもそもプロスポーツの世界において選手兼監督が成功したケースは寡聞にして知らない。

というか、プロスポーツというある種の極限の競争状態においてマネジメントとプレーヤーを分けているのだから、そのような形の方が結果が出るのは明白だ。

チームというのはそういう風にできているのだ。

マネージャーはマネジメント力で勝負するしかないという残酷な現実

プレイングマネージャーというのは会社にとって便利な言葉に過ぎない。

とりあえずそう言っておけば、面倒なことはすべてマネージャーの責任にできるからだ。

そしてマネージャー本人も自尊心をくすぐられるので、とても使い勝手が良い。

でもそれに踊らされてはいけない。

もちろんマネージャーとしての力がなければ、マネジメント能力がなければ、20の力なんて出すことはできない。

それは厳しい現実だけれど、受け止めるしかない。

マネージャーの力量はプレーヤーの力量とは違う。

「名選手名監督にあらず」という言葉の通りだ。

それを認めたくないからプレイングマネージャーという言葉で誤魔化してしまいたくなる気持ちもよくわかる。

でもマネジメントで勝負するしかないのだ。

もしそれで結果が出ないのならマネージャーには向いていない。

それだけのことだ。

一時的な不調にも目を瞑って全力でマネジメント業務に取り組んでみよう。

言い訳はなしだ。

そこが君の新しい戦場だからだ。

プロマネージャーとしての力を発揮することに全力を注ぐ。

そこで自分の力の限界を知る。

残酷だけれど、ある種清々しい世界。

そこで僕は戦っている。

君もそこに加わってくれたらこんなに嬉しいことはない。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


編集後記

プレイングマネージャーという言葉には自尊心をくすぐられます。

有能感というかできる感というかオールラウンド感というか、とにかく気持ち良い種類の言葉だと思います。

でもその言葉の響きに酔っていてはいけません。

それは僕から言わせれば「逃げ」と同義だからです。

人を動かすよりは自分で動いた方が簡単ですし、仕事の手触り感もあるので、そのような仕事のスタイルを取ってしまいがちですが、マネージャーの真価が問われるのは「いかにプレイをしないか」「プレイをせずとも人を動かせるか」という局面だと思います。

それができる人は本当にごく僅かです。

マネジメントに特化するのは勇気のいることですが、そうすることでしか見えない景色もあります。

僕にはまだちらっと見えた程度ですが、それでもそこからの景色は素晴らしいものでした。

辛い日々を潜り抜けた先にその絶景はあります。

共に頑張っていきましょう。