1つに絞る
リスクを減らしたいから仕事を減らせない
このブログでは「削減することがマネジメントである」ということをずっと言い続けているけれど、今日もまた似たような話である。
というのも、相変わらずマネージャー達は「やることを増やすことがマネジメントである」と考えているようだからである。
もちろん、彼(彼女)らは意識的にそうしている訳ではないのかもしれない。
「増やそう!」として仕事を増やしている訳では当然ないだろう。
ただ、結果として仕事が増えてしまっているのは事実で、それを減らさない限り、生産性の向上など望むべくもない。
ではなぜ彼(彼女)らはやることを増やしてしまうのか?
「リスクを減らしたいから」というのが僕が感じる答えである。
分散投資の基本のように、たくさんの物事を手元に置いておくことで、それも前任者がやっていたことを継続することで、自分にリスクの矛先が向くのを回避する。
その上で、自分のやりたいことを(ちょっとだけ)付加していく。
まあ、(日本の)社会人としては適切な行動と言えるのかもしれない。
でも、それをやっていると、いつまでもあなたの仕事は楽にならないし、成果も向上しない。
だから、やることを1つに絞った方がいい。
今日はそんな話である。
アウトサイダー
先日、外資系企業の日本支社に勤める友人とメシを食う機会があった。
大抵の時間は他愛ない話ばかりをしていたのだけれど、ふと仕事の話になって、それもマネジメントの話になって、今日のテーマのようなことをダラダラと話すことになった。
その際に感じたのが、やっぱり僕は日本企業には合っていない、ということである。
もちろん、これは外資系企業に合っているということを同時に意味する訳ではない。
でも少なくとも、日本企業の慣習とは相容れないよな、と改めて思ってしまったのである。
人間はマルチタスクが苦手だ
彼の(会社の)考え方はとてもシンプルで、人間の本質を捉えたものであると僕には思える。
それは「人間は多くのことを同時にすることが不得手である」という考え方である。
だから「マネージャーの仕事は、その仕事に優先順位を付けること」となる。
また、その後の話、「優先順位を付けた後は、部下の仕事のやり方に一々口を挟むことなく、その仕事の障害となるものを取り除いてあげることに力を注げばいい」。
「仕事内容はフォローに近いもの、もっと言えばメンタルケアに近いもの」である。
そのようなことを話し合った。
仕事を減らすことへのアレルギー反応
これは普段から僕がこのブログに書いていることでもある。
日本では未だにマイクロマネジメントが主流で、そこに違和感を持っている人なんて殆どいないようだけれど、僕はそれをオールドファッションだと心から思っている。
部下を子供と見做し、その保護者としてのマネージャーというような、ある種日本的家父長制度みたいなノリが抜けないもの、と考えている。
結果、「部下の行動を管理すること」がマネジメントであると「勘違い」する。
また、自分自身はリスクを取りたくないので、何かを変えることを極端に恐れる。
その中でも、「仕事を減らすこと」には物凄いアレルギーがあるようで、そこには「力を抜くことは悪だ」というような潜在的な概念があるように僕には思われる。
「何事も全力でやらなくてはならない」という考え方は、確かに美談にはなり得るだろうけれど、そのような姿勢と実際のパフォーマンスは分けて考えるべきだと僕は思う。
大事なのは成果である。
それも何と言うか、レバレッジの掛かり具合(生産性)の概念込みの、というか。
ヒロイズム的耽溺(自己陶酔)
物凄く残業し、休日出勤も辞さないで出した成果は確かに素晴らしいのかもしれない。
でも、それってやっぱりおかしくないか? と僕は思ってしまう。
というよりも、そのような自分が好きというか、ヒロイズム的耽溺というか、ただ自分に酔っているだけだと見えなくもない。
厳しいことを言うなら、取捨選択や優先順位の策定が出来ていないから、仕事にレバレッジが掛からず、生産性が落ちている、それをただ労働時間によってカバーしているだけでは? と僕は思ってしまうのだ。
部下をガイドするのがマネジメントでは?
そして、これが自分だけの話であればまだマシである。
そのような働き方を部下にも押し付けているから、話は余計に面倒くさいことになる。
仕事を減らすリスクを負いたくないから、総花的な仕事を部下に課す。
結果、どれも何だか中途半端な出来となる。
元来、人間というのはマルチタスクが苦手な生き物なのだ。
それを絞ってあげるのが、そしてガイドしてあげるのが、マネジメントなのでは?
ドMばかり
また、組織全体として、出来ていないものをあげつらうのではなく、出来ているものにフォーカスするような考え方に変える必要もある。
「選択と集中」
「各個撃破」
誰だって、批判はされたくない。
でも、日本企業にいると、マイナス面ばかりに焦点が当てられる。
それで頑張ろうとするのは、マゾだけでは?
というか、だからこそ失敗を恐れ、結果、安牌な製品しか出来上がらず、世界市場から見向きもされないのでは?
本当に大切なものにリソースを注ごう。
その為に生じるリスクはマネージャーが負おう。
それ以外に何が必要なのだ?
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
絞ることの何がそんなに難しいのだろう?
マネージャーになってから、ずっと思っている疑問です。
そして、僕なりに考えた答えは「みんなリスクを恐れている」ということです。
「悪目立ちしたくない」
「糾弾されたくない」
気持ちはわかります。
でも、とても下らないなと僕は思ってしまいます。
また、その根底にあるのは、他者批判がデフォルトであるという「下げ」の文化です。
誰かを称賛するのではなく、誰かを批判することが当たり前の社会。
そんな状況下で誰がリスクを取るでしょうか?
大きな流れは変えられないのかもしれません。
でも、自分のチームの中でだけでも、リスクを取る人に称賛を送りませんか?
少なくとも、批判せず、黙っていられないものでしょうか?
湿っぽい空気に、除湿的マネジメントを。
乾いた称賛を。
引き続き読んで頂けたら幸いです。