なぜ皆こんなにも忙しそうなのか?

本当に忙しい?

マネージャーに限らず、皆口々に「忙しい。忙しい」と言っている。

もちろん、人員削減や人手不足、その他諸々の要因によって、人々が忙しくなっているだろうことは想像がつく。

でも、「本当にそんなに忙しいですか?」とも思ってしまう。

いや、僕だって忙しいことは確かだ。

ただ、それは声高に叫ぶようなレベルのものではなく、「忙しいっちゃ忙しいけれど、まあこんなもんじゃね?」くらいのものであって、皆が青筋立てながら不機嫌そうに働いているのとは一線を画していると自分では思っている。

上手く言えないけれど、この「忙しいアピール」も、「ジョブ・ディスクリプション的仕事領域の限定化の一種」であって、忙しいと周囲に言うことで、自分のところにこれ以上仕事が来ないように防衛線を張っているのではないか、とすら思ってしまうくらいである。

そして、そのような動きが一般化してくると、「やっぱり成果で測るべきなのでは?」ということが頭をもたげてくる。

忙しそうに働こうが、暇そうに働こうが、成果によって計量されるのであれば、働き方は自由になる。

また、意地悪な言い方をすれば、「残業による割増賃金の支払いは明日からナシとします!」とルール変更があった際に、同じように忙しそうに働く人がどれだけいるだろうか?

忙しいなら、やり方を変えて、忙しさを緩和するような方法を模索すべきなのでは?

それを怠って、「忙しい!」「忙しい!」と言っているだけでは、何も変わらないのでは?

今日はそんな話である。

忙しい=仕事のやり方が良くないのでは?

「仕事の仕組みから変える」

これがマネジメントであるはずである。

でも、それをやっている人、できる人、というのは本当に少ない。

というか、そういう考え方に至らない人が信じられないほどたくさんいる。

それなのに、口だけは一丁前で、「忙しい!」と不機嫌そうに絶叫している。

そして、その忙しさを常に他部署に押し付けようとし続けている。

僕にはこれがいつもよくわからない。

「単純に仕事のやり方がマズいのでは?」

そう思ってしまうのである。

一過性なら理解はできるが…

いや、このように偉そうに言っている僕だって、忙しい時はある。

余裕がなくなり、一心不乱に働かなければならない局面は確かに訪れる。

でも、それは一過性のもので、恒常的にめちゃくちゃ忙しい訳ではない。

その時期が過ぎれば、後はまた同じように暇そうに働ける。

ただ、上述したような人は、常に忙しそうにしている

また、それを口にしてもいる。

「本当に?」

性格の悪い僕はそう思ってしまうのである。

やり方を変えようとしなければ、いつまでも忙しいまま

マネージャーという仕事を長くやってきて、「仕事のやり方を問い直す」ことができる人は本当に少ない、ということを痛感する。

それは担当者レベルはもちろんのこと、管理職ですら同様である。

確かに、忙しい最中に、仕事のやり方を考え直そうというのはやや無理な相談かもしれない。

それどころではない、その気持ちはよくわかる。

でも、どこかでそれに着手しなければ、いつまでもそのような状態が続くだけである。

ましてや、その忙しさを別の誰か(どこか)に転嫁しようとするのであれば、尚のことである。

こなせる仕事の総量は決まっている(はず)

では、どうやったら忙しさを緩和することができるのだろうか?

これは部屋の片づけに似ている。

「本当に必要なものだけ残す」というのがその解決方法である。

忙しさの原因の大半は、「やり過ぎ(過剰品質含む)」である。

大雑把な言い方を許容して頂けるなら、「人員×その質」によって、チームなり部署がこなせる仕事の総量は決まっている。

その枠内の中で、キャパシティをどのように配分するかを考えるのがマネージャーの仕事である。

でも、多くの企業においてはこれを考えることなく、残業時間の延長(と精神論)によっていとも簡単にその枠自体を拡張しようとしてしまっている。

まあそれでも収まるならまだマシである。

それで収まらないような仕事の総量を、残された人員でやろうとするから無理が出るのである。

生産性の向上なんて誰も本当は考えていない

生産性の向上ということがこの数十年(?)ずっと叫ばれている。

現場にいると、その必要性が痛いほどよくわかる。

皆生産性なんてことを考えていないからだ。

どうやったら効率よく高い成果を出せるようになるのか、なんてことを考えている人は皆無に等しいからだ。

仕事は成果で測る。以上。

それは上記したような「残業代に頼った給与体系」ということが1つの要因であるような気がしている。

長く働けば働くほど給料が増えるなら、生産性を上げる必要はないからだ。

たぶんその考え方自体を変えなければ、この(疑似)忙しさは変わらない。

余計な仕事までやって、それを終えられずに機嫌悪く働くことがデフォルトである日本社会を変えることはたぶん不可能である。

「仕事は成果で測る」

これがその解決策だ。

なぜ楽して成果を上げようとしないのか?

もちろん、これは成果「だけ」で測ることを直接的には意味しない。

そのバランスを模索することが重要であり、その為にはまず生産性(質の向上)ということに意識を向けなければいけないと僕は思う。

「楽そうに働いて成果を上げている人がいたらムカつきますか?」

僕が問いたいのはそういうことである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

楽をしている人がいると腹が立つ。

これが日本人の心性であるように僕は考えています。

確かに、気持ちはわからなくはありません。

でも、どうせやるなら、楽な方が望ましいことには誰だって賛同するはずです。

なぜそれが自分ではなく、他人であると腹が立つのか?

この辺に日本の生産性が上がらない要因があるような気がしています。

抜け駆け阻止。

同調圧力。

皆で一緒に苦しい顔をして、残業代を稼ごうね♡

でも、皆一様に不機嫌な顔。

そして、停滞する日本。

とても素晴らしいと思います。

ゲームのルールを変えたり、考え方自体を変えることは悪ではありません。

上手に成果を出していきましょう。