アンガーマネジメントとその限界
イライラの元はなくならない
マネージャーともなれば、日々イライラすることが起こる。
このイライラへの対処として、「イライラ自体をなくそう」とする方法と、「イライラとどのようにつき合っていくか」を考える方法とがある。
多くのマネージャーは前者だ。
イライラ自体をなくすこと、ひいてはそのイライラを引き起こす原因となるもの(大抵は部下)を「直そう」とする。
怒ったり、叱ったり、イライラを抑える為に、むしろイライラしている。
そして、たぶんどんなに「指導」しても、イライラ自体はなくならない。
怒っているときちんとマネジメントをしているように見える
もう少し意地悪な言い方をすると、マネージャーがイライラしているのは、イライラしているという状況の方がきちんとマネジメントを行っているというように演じやすいからだ。
何というか、真剣に仕事に取り組んでいるように見える。
特に、(マネージャーの)上司は実態があまり見えていない(ことが多い)ので、そのように判断しがちだ。
誰か部下を自席に呼び出して、目の前に立たせて罵声を上げていれば、「きちんと」マネジメントしているように見えるだろう。
とてもナンセンスな話であるけれど、意識的にせよ無意識的にせよ、怒りというのはマネジメントという概念と同盟を結びがちだ。
まずはそのことを自覚して欲しい。
6秒ルールは僕には当てはまらなかった
一方、後者を実践しているマネージャーもいる。
いわゆる、6秒ルールというのもこの範疇に当てはまる。
怒りのピークは6秒なので、その時間をやり過ごせば、衝動的な怒りの発散を抑えることができる、というものだ。
ただ、個人的な経験として、「本当か?」と思う部分はある。
現実問題としてはそんなに上手くいかないことが多いし、「イライラする→抑える」の繰り返しはあまり健康的とは言えない。
そしてアンガーマネジメントの究極系というのは、そもそもの怒りの感情自体を客観視できるようになる、ということになるのだろうと思うのだけれど、そこまで行くにはたぶんかなりの時間がかかるだろう。
「諦める」というネガティブなアンガーマネジメント
では、手っ取り早く怒りをコントロールするにはどのようにすればいいのか?
僕は「諦める」ことだと思っている。
もちろん、これも大きな意味では後者のアンガーマネジメントの範疇に入っているのだろう。
でも、僕の場合は「期待値」を先に下げてしまうというもので、上記のアンガーマネジメントに比べるとだいぶネガティブな態度であると思う。
勝手に人に対して期待するから(そしてその期待値に届かないから)、イライラするのだ。
自分の望むべき方向に進んでいかないから、人はイライラするのだ。
それを放棄してしまう。
それが僕のアンガーマネジメントだ。
怒りの生成自体をなくしてしまう
そういう意味においては、後者のアンガーマネジメントを経由して、前者のアンガーマネジメントに行きつく、とも言えるのかもしれない。
上述したのは、他者にその対象が向かう、というベクトルであったけれど、僕のやり方は自分にその矢印が向かうというものになる。
というか、アンガーマネジメントという概念自体が怒りの存在(生成)を前提としたもの(対処)であるのに対し、僕の方法は怒りの生成をなくしてしまう、ということになる。
思い通りなんて無理だし、むしろその方がいい
もちろん、全部が全部そのようにできるわけではない。
僕にも怒りはある。
ただ、何というか、もう怒っても仕方ないな、というように思うようになったのだ。
僕だって駆け出しの頃は、(若かったということもあるのかもしれないけれど)たくさん怒っていた。
外に感情を出さないまでも、内側にはモヤモヤやイライラが常にあった。
それは「なぜ思い通りにならないのか」という苛立ちだったのだろうと思う。
今の僕は「思い通りなんて無理だし、その方がいいのだ」と考えるようにしている。
怒りとマイクロマネジメント論
これはマイクロマネジメント論とも通じてくるのだけれど、マネージャーが全て思い通りに仕事をしたいと思えば思う程、チームで仕事をするという意味は薄れてくる。
人数が増えれば増えるほど、そこにいる人たちが多様であればあるほど、マネージャーの思い通りになる確率は下がっていく。
もちろんスペシャルなマネージャーであれば、チームすべてを掌握するようなマネジメントができるのかもしれないけれど、少なくとも僕にはそのような能力もカリスマ性もない。
そのような自分の卑小さを振り返った時に、僕が思ったのは、「そもそも自分にイライラする権利なんてあるのか?」ということだ。
「大したことない自分が、大したことないことを怒ってどうするのだ?」と思ってしまった。
そこからだんだんとイライラせずに仕事ができるようになってきた。
怒っても怒らなくても部下は変わらない
いざイライラせずに仕事をしてみると、怒ろうが怒るまいが、部下というのは大して変わらない、ということに気付いた。
こちらが熱意を持って怒ったとしても(自分の怒りに囚われてそれを発散させるのは論外だ)全然響かないのだ。
それならなんで怒る必要がある?
怒ったってどうせ成長なんてしないのだから、怒ること自体が無駄なのではないか?
そんな風に考えるようになった。
そして実際にそのように仕事をしていると、不思議なことに部下というのは成長してくる。
すると、実際にイライラすることが減ってくる。
好循環だ。
これが僕のアンガーマネジメントだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
怒る人にも2タイプあって、自分の為に怒る人と、相手の為に怒る人がいます。
前者は「パフォーマンス」、後者は「お節介」、だと僕は思ってしまうので、そもそもの前提として僕はマネージャーに向いていないのでしょう。
アンガー「マネジメント」という言葉もそうですが、「マネジメント」には統御というか、何かをコントロールするというような意味合いを帯びているような感じがするので、余計にそう思ってしまうのかもしれません。
僕自身はとても冷たい人間だし、職場における人間関係にそれ程重きを置いていないので、このような「冷めた」考え方ができるのだとも思います。
怒っても怒らなくても部下が成長することはない。
それならば怒るだけ無駄ではないか?
というのは、とても悲しいマネジメント論であるような気がします。
でもそういう状況をデフォルトとして、成果を出す為にはどうすればいいのか、と考える方が、僕には合っていますし、建設的な気がしています。
共感頂ける部分は少ないかもしれませんが、何かの参考になれば幸いです。