戦術について
前回は戦略について書いた。今回は戦術だ。
戦術とは、部下が今日すべきことを言語化したもの
僕が考える戦術というのは凄く具体的な事象のことだ。
例えば大きな目標として「売上を増やす」ということがあったとしよう。
前回書いたように、それを達成するための道筋をマネージャー自身が言語化したものを戦略とする。
戦略…長期的に「売上を増やす」為にはどういう道を辿っていけば良いのか?
チームの形はどういう方向に進めば望ましいのか?
どんな信念やポリシーを持って仕事に取り組めば良いのか?
こういったことを、マネージャー自身の言葉で表したもの。
では、戦術とはどんなことを言うのか?
僕は戦術をこのように定義する。
戦術:(戦略の達成に向けて)部下が「今日すべきこと」がわかるように言語化したもの
戦術と武勇伝は違う
悲しいことに、多くのマネージャーはこれができない。
部下それぞれがやるべきことをマネージャー自身の言葉で表現することができない。そのように感じる。
そもそも、部下の特性によってやり方が異なるなんて考えたこともないから、部下にこれを聞かれると、過去の自分の体験を大仰に語ることに終始してしまう。
自分と同じようにやることが戦術だと勘違いしてしまう。
「オレが営業マンの時はこうだった。だからオレの言う通りやれ。そうすれば結果が出る」。
更に悪いことに、その武勇伝は時代遅れになっていることが多い。
それは昭和の遺物だ。悲しいことに。
僕が入社した時にはまだその臭いは残っていた。
僕自身は割とこの昭和感の残る営業手法(体力と精神力と根性とお願い)が嫌いではないし、その有効性も理解しているし、自分の体に染みついているのはそちらの要素が多いので、こういう言説に嫌な感じはしない。
どちらかというと、郷愁のようなものを感じる。
が、時代は変わっている。
それは大体の現在の部下には役に立たないものだ。
戦術を言語化できていないから結果が出ない
もし「今日やること」を言語化できているのであれば、君のチームはもっと良い位置にいるはずだ。
なぜなら、君のチームは全員「今日やるべきこと」がわかっているからだ。
そしてそれは戦略に全て繋がっている。徐々にではあるが、ゴールに近づいていく。
万事順調だ。
では、なぜ結果がでないチームは今日やることを言語化できないのか?
当然、部下自身が自分でできないからだ。その能力がないからだ。
じゃあ、部下ができないならどうするのか?
当然、マネージャーがやるしかないのだ。
では、マネージャーはなぜそれができないのか?
「できる」マネージャーには「できない理由」がわからない
先ほど昭和感の残る営業手法と言ったけれど、それは時代に即していたものだと思う。
そういうものを顧客も求めていたし、会社も求めていた。実際に成果も得られた。
もちろんその時にも優秀な営業マンとそれ以外は分かれていたし、それは今の時代も変わらない。
そして現在の大抵のマネージャーは、かつて「できる」営業マンだったのだ。
でも、かつてそういうできる営業マンであったマネージャーは、今日やることを言語化する必要があっただろうか?
僕はそんなことはなかったと思う。
あくまで感覚で、センスでやっていたのだ。
それは彼が「できる」営業マンだったから。
それに時代的な要因もあったと思う。体力と根性で大抵のことは乗り切ることができたのだ。
だが、時代は変わった。
以前のような長時間労働はできなくなった。コンプライアンスもうるさくなった。お客さんのニーズも多様化した。お願い営業は時代錯誤のものになった。
そしていま抱えている部下は、かつての自分のような能力もセンスもない。
そういった状況下では、かつて優秀な営業マンであったマネージャーは、できない営業マンがなぜできないのか、その理由がわからない。
自分では汎用的だと思っていたかつての営業スキルは実は汎用性がなかったから。
それは自分の能力が突出していたことによるものだったから。
そして部下にはその感覚がわからないから。
だから、戦術というものを彼らがわかるような形で提示できない。
結果として、武勇伝の口伝を繰り返してしまうことになる、僕はそう考えている。
戦術が言語化できないと、結果が安定しない
そういうマネージャーの下に置かれたチームというのは成果がバラつくことが多い。
一貫したポリシーややり方が信念として共有されてないからだ。
良いときは良いけれど、それは持続しない。
そしてその理由もよくわかっていない。
勿論その武勇伝が武勇伝たる理由をそのマネージャーが言語化できているのであれば、それはとても有用なものになる。
だが、先ほども書いたように、大抵のマネージャーは優秀であったが故にそれをセンスでやってきたことが多い。
というか、逆説的になるが、言語化する必要がないから、優秀な営業マンなのだ。
自分の過去の失敗を言語化しよう。それが戦術になる。
対して、僕は駆け出しの営業マンの頃、全く成績が上がらなかった。
当時の上司に言われたみたいにがむしゃらに電話を掛けたり、家に何度も訪問したりしたけれど、悲惨なくらいに数字にならなかった。
その時の気持ちをまだ僕は鮮明に覚えている。
だから、僕は数字が上がらない担当者の気持ちや要因がある程度わかる。
彼らには勿論甘えもあるとは思う。
当時の僕ほど必死になっている訳でもないと思う。
だけど、その辛さの根源にあるものはきっと同じだ。
そして、そういう状況に置かれた時にどうしたらいいのかということを僕は言葉にできる。
そういう時に、まず今日何をしなければならないのか、僕は言語化できる。
自分ができる営業マンではなかったからだ。
自分なりの試行錯誤を繰り返してきて、失敗も含めたノウハウがたくさんあるからだ。
戦術とはそういうことを伝えることだと思う。
戦術は部下によって異なる
個々の担当者によって「今日すべきこと」は異なる。
例えば、電話をかけているときの相槌の打ち方を変えてみることだったり、声のトーンを上げてみることであったり、ゆっくりと話すことであったり、電話の切り方を丁寧にすることだったりする。
面談をする前の部屋への入り方を考えることだったり、最初の挨拶の仕方を考えることだったり、座る位置を考えることだったりする。
それは凄く些細なことだ。そして本人はそれが結果に繋がらないことと関係しているとは思っていない。
でも、戦術というのはこういうことなのだ。
当然ながら全部はできないし、それぞれのキャラクターやパーソナリティによって合うものと合わないものがある。
マネージャーはそれらを吟味して、彼らが素直に受け入れてくれるタイミングを見計らって、それとなく話すのが大事だ。
それぞれの担当者によって今日することは違う。
僕は彼らの性格や精神状態を見極めて、言葉を選びながら彼らに言葉を伝える。
言葉をそっとそこに置く。
あるものはそれを拾い、あるものはそれに気づかない。
意図的に無視するものもいる。それで構わない。
また次の日にまた違うアプローチや違う角度から僕はそこに言葉を仕掛ける。
たぶん彼らはそれに気づかないだろう。
僕が何を考えて、どこまで考えて言葉を置いているか。
それはある種のパフォーマンスでもあるし、演技でもある。
でも、僕が本心で考えていることやそれまでの失敗に基づいた生きた内容が含まれている。
あくまでも個別的で具体的で地に足の着いたもの。
部下ごとにカスタマイズされた「今日すべきこと」。
それを僕は戦術と呼びたいと思う。
「戦略」と「戦術」は不可分
前回も書いたように、戦術には戦略が部分的に含まれている。
個人的には、両者を完全に分けることは不可能で、どちらも入れ子構造みたいになっていると僕は考えている。
戦術は戦略に基づいていなければならないし、戦略は戦術を積み重ねたものでなければならない。
そしてその両者はそれぞれの内容を同時に含み、参照し合っている。
こういう視点でチームを見ていくと、できることはたくさんある。
丁寧に彼らを観察していると、気になる点がどんどん生まれていく。
あるものには今伝えることが効果的だし、またあるものにはもう少し成長してから言った方が良い場合がある。
それを見極めるのもマネージャーの仕事だ。
それを繰り返していくと、君のチームは変わる。
誰も気が付かないくらいの速度で徐々に前に進んでいく。
たぶん君自身もそれに気づかない。
でもひたすらにそれを繰り返していく。
いつか振り返った時にそれは大きな差になっている。
それを信じるしかない。
「じゃあ、今日は何をしようか?」
それを考えて、それぞれに伝えよう。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
編集後記
戦術は部下それぞれに合わせたオーダーメイドのようなものだと僕は考えています。
マイクロマネジメントとは異なり、部下自らが自分のスタイルを見つけていく作業を手伝う、伴走する、といったイメージです。
部下それぞれに仕事に対するスタンスは異なりますし、価値観や考え方もバラバラです。
もちろんキャラクターも大きく異なります。
選ぶか選ばないかも部下の自由です。
でも自分が仕事を通じて成長している、という実感は誰にとっても嬉しいものだと僕は思っていますし、その機会を提供したいと僕は考えています。
(難しく戦略だの戦術だのと言っていますが、大きな指針を立てて、そこに向かって日々改善していく、そしてそれは相互に結びついている、と言えば一行で終わったのかもしれません…)