兼業・副業と個人事業主化の可能性
工業化時代におけるコストと利益の概念が解けてきている
兼業や副業が進んでいくと、「従業員(正社員)」という属性は薄れていく。
これはやむを得ないことだと思う。
工業化時代においては、従業員(正社員)を囲い、安定して生産し、販売することが戦略として正しかった。
生産をする度に、都度採用からやっていたのでは非効率だし、そこに固定費としての給与を支払ったとしても、ある程度の販売額と利益の目途は立ったので、そのような組織形態が望ましくもあった。
そういう意味では将来の計画が立てやすかったと言える。
線形な世界におけるコストと利益の考え方。
それがだんだんと解けてきている。
流動化、流動化、流動化
一番の理由は、企業側の要因で、単純に利益見通しが立たなくなってきたということであると思う。
今生産しているものが、期待通りの利益を上げることができるのかどうかわからなくなった。
もっと言うと、「生産」というもの自体がたくさんの固定費を抱える必要があるので、不確定要素が多い時代には合わなくなってきている。
できるだけ身軽に、次の領域に移れるように、企業も固定費(コスト)を下げようとする。
工場(生産設備)も人件費(労働力)も全て固定費だ。
それを何とか流動化できないか。
時代に合わせてフレキシブルに動かすことができるようにならないか。
そこに「働き方改革」という大義名分も出てきた。
「同一労働・同一賃金」という概念は、フリーランスや兼業・副業と親和性が高い。
同じ仕事であれば、同じ賃金を払うべきだ(企業内・外という受注先を問わず)。
そうやって人件費は流動化していく。
兼業も副業も奨励し、「専門性を身に付けなさい」「外部でも通用する人材になりなさい」とはっぱをかける。
正社員であることの意味とは?
従業員側にとってもこれは好都合でもある。
特に一部の能力のある人たちにとっては、画一的な働き方をすることなく、自分に合わせたオーダーメイドの働き方ができるようになる、というメリットがある。
そしてこのコロナウイルスだ。
リモートワークが一気に進んだ。
すると、満員電車に揺られながら同じ場所に集まって同じ時間働く、そんな「当たり前」のことへの疑念が生じてきた。
自宅でもどこでも、同じような仕事はできるし、「成果」だけ上げていればいいんでしょ?
そんな考え方が新しい「当たり前」になりつつある。
そうなると、「従業員(正社員)」である意味というのはどこにあるのだろうか?
それが今回の論考の主旨だ。
副業ではなく複業
兼業・副業の延長線上にフリーランスという働き方があるのは理解できる。
ただ、一方でいきなりフリーランスというのにはリスクがあるのも事実だ。
今までの生活基盤ともいえる「固定給」がなくなって、「さあ、これからは自分の腕で稼いでいきましょう!」という世界に飛び込んでいけるのは現実的にはごく少数であると思う。
家庭があれば尚のことだ。
そういう意味において、副業と個人事業主の間のような職務形態というのはこれから増えていくのではないかと僕は考えている。
副業が本業の「添え物」である意味合いを帯びているとするなら(裏を返せば本業が本業であるとするなら)、もう少し副業の割合を増やした状態、というイメージだ。
5分5分くらい、副業ではなく「半業(複業)」みたいな感じだ。
業務委託契約書に基づく仕事
そして、個人事業主というのは、ある種の業務委託契約書みたいなものに基づいて仕事をしていくような感じを指す。
会社と「元従業員」が業務委託契約書を結んで、仕事に対する対価を定め、対等な関係で仕事をしていく。
もちろん親和性が高い職種と低い職種はあるだろう。
ただ、ある程度はジョブディスクリプションによってその職務範囲を規定していくことは可能だろう。
それ以外の仕事はオプションとしていく。
ジョブ型雇用との親和性
これは現在のジョブ型雇用の議論とも親和性が高い。
多くの仕事はその範囲が規定されることになり、それぞれの仕事に「相場」が生まれてくる。
もしかしたら、ウーバーにおけるランク付けのように、個人ごとに信用ランク(スコア)が生じてきて、それに基づいて単価が決まってくるようになるのかもしれない。
プロスポーツ選手とは言えないまでも、自分の能力と仕事の成果によって処遇がダイレクトに反映されていく。
生活の状況に応じて、仕事の量も増やしたり減らしたりすることもできる。
好きなだけ仕事をしたり、好きなだけ仕事をしなかったりすることができる。
一方で問題も…
一方で、現在の仕事の大半は「不要不急」の「クソ仕事」であることも事実で、社会全体の「総仕事量」のようなものは減ってしまうのかもしれない。
総仕事量が減れば、たぶん総賃金量も減るだろう。
そして格差も広がるだろう。
できる人には単価の高い仕事が、できない人には安い仕事が、割り振られるようになるだろう。
(いや、仕事が見直される時には、そもそも人間に仕事が割り振られる量も減ってしまうだろう(AI等で代替できないか検討されるはずだ))
それはそれでまた問題が生じてきそうな気がする。
個人事業主には社会保障等も薄い。
それを架橋するのは、BI(ベーシックインカム)ということになるのかもしれないけれど、それはそれでどうなのだろう、という気もする。
少しずつ準備を
でも、少なくとも、現状のような「正社員至上主義」みたいなものはどんどんと解体されていくはずだ。
急に外に放り出されて呆然とすることなく、少しずつでもその準備をしていく。
どのような状態になったとしても、ある程度対応できるようにしておく。
それが簡単じゃないことはわかっている。
ただ頭の片隅で意識しているのとそうでないのとでは大きな違いとなるのも事実だ。
その為の準備を少しずつ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「外部でも通用する人になりなさい」というのは、一般的なサラリーマンにはなかなか酷な要求であるような気がしています。
少なくとも、ゼネラリスト的な能力が求められる僕のような管理職には本当に厳しい。
ただ、一方で思うのは、そのような能力というのは何か「個別専門的なスキル」ではなく、一緒に働いている人の能力を引き出せる(賦活させる)こと、というような捉え方をする方が良いのではないか、ということです。
一緒に気持ちよく働けるか、というのは案外重要な能力です。
そしてそれは案外汎用性(と希少性)があるものでもあります。
会社に過度に依存しないように心掛けながら、いい仕事をしていきましょう。