じっくり話す
何を言うかではなく誰が言うか
マネジメントというと、とかく手法やスキルに目がいきがちであるが、一番大事なのは「対話」ができるかどうかであるような気がしている。
それも「深い対話」が。
結局のところ、部下との関係性において重要なのは、「何を言うか」ではなく「誰が言うか」であって、その「誰が」の部分が信頼できなければ、どんな手法もスキルも無に帰してしまう。
正直言って、その部分の信頼関係が構築できていれば、何を言うか(コンテンツ)はあまり関係なくて、失敗ですら許容されるようになる。
でも、その信頼関係を構築するのはとても難しい。
そして、マネージャーが思っている以上に部下というものは冷たく、意地悪な生き物でもあるのだ。
今日はそんなテーマで書いていく。
部下とマネージャーでは信頼関係が構築できたと感じるタイミングは大きく異なる
部下との信頼関係を構築するのに効果的であるのは「1対1のミーティング」だ。
以前にも書いたことであるが、この1対1の面談を繰り返していけば徐々に信頼関係を構築することができる。
ただ注意しなければならないのは、マネージャーが思う信頼関係構築のタイミングと部下が思うそれのタイミングは異なるということだ。
僕の場合、感覚的には3か月もあれば基本的な部下の人となりや考え方・価値観みたいなものはわかると思っているけれど、どうやら部下の側はそうではないらしい。
そしてそのタイムラグはとても大きい。
個人差はあるし、はっきりとしたことは言いづらいけれど、だいたい1年か1年半くらいがそのタイミングであるような気がする。
3か月と1年半。
とても大きな差だ。
案外部下との距離感は大きいもの
ここが大抵のマネージャーと部下とのディスコミュニケーションの原因であるような気さえしている。
マネージャーの方は部下とある程度の関係性ができていると思うので、距離を詰めようとするのだけれど、部下の方はそうは感じていない。
むしろ急に距離を詰められて不快に思ったりする。
表面上は親しげに装うけれど、本心を話すことはない。
大抵のマネージャーはここで引っかかってしまうようだ。
仲が良い、と勘違いしてしまう。
浮かれながら「部下との関係性は良好です」と言っているマネージャーに限って、部下側からは嫌われていたりするのが現実だ。
上司は嫌われている状態が普通
自分が部下だった時のことを思い返せばすぐにわかることであるが、日本企業において部下が「上司のことが嫌いだ」ということを露骨に表明することはとても稀な事象だ。
本心は大嫌いでも、表面上はうまく取り繕って関係性を維持しようとする。
職場内ではテキトーにあしらっておいて、仕事が終わった後居酒屋で散々悪口を言ったりする。
これが「普通」であるような気がする。
それくらい日本においては上司・部下の関係性は形式的であるし、絶対的だと言える。
そして部下自身も様々な過去の上司のデータを保有している(本心を曝け出して裏切られた過去など)ので、そう簡単に腹を割ってくれることなんてないのが現実だ。
深いところまで入っていけるとマネジメントは格段に楽になる
もちろん職場上での関係性なので、そこそこの状態で構わない、というのも1つの合理的な態度であると思う(僕はこういう考え方でもある)。
でも、そこから1歩踏み込むことができると、マネジメントは格段に楽になるのだ。
それは何も「仲良し」になる必要はない。
マネージャーがどういう人間で、どういう価値観を持っているか、どのような思いを持って仕事をしているか、が分かってもらえれば十分なのだ。
そんなもの普段の仕事の中で十分伝わっている?
いやいや、それがそうでもないのだ。
僕も昔はそう思っていた。
でも、実際のところはもっと深いところまで入っていかなければならないのだ。
たぶん自分が思っている10分の1も伝わっていない。
もしかしたら100分の1くらいかもしれない。
そんな風に思いながら仕事をすることがとても大事だ。
1人の味方を見つけること
折に触れて自分の本心を話しながら、牛の歩みのように少しずつ自分というものを理解してもらっていく。
一方で「理解されなくても構わない」という強い気持ちを持ちながら、「でも理解されたら嬉しいな」という思いも維持していく。
心が通じ合うなんて幻想である、とドライに思いながら、仕事を続けていく。
すると、部下の中には本当の意味での意思疎通ができるものが出てくる。
以前このブログ内でも書いたように「1人の味方」(「1人の味方を見つけよう」参照)ができてくる。
そうなればマネジメントというものはとても楽しくなってくる。
人間関係の森は恐ろしい。でも…
ビジネスライクにマネジメントを行うことを僕は否定しない。
そうやってあくまでも「仕事」としてマネジメントをやることは別に悪いことではない(むしろ共感すらする)。
でもその手法には限界がある。
ある程度の成績を残すことはできるけれど、突き抜けることはできない。
もちろん「人間関係の森」に入っていくと嫌なこともたくさんある。
返り血を浴びることばかりだ。
でもそこに分け入った時に、本当の意味でのマネジメントの醍醐味を味わうことができるのも事実だ。
どちらを選ぶのも自由だ。
ただ一度は体験してみるのを僕はお勧めする。
泥と血に塗れた人間関係の沼を渡っていった先に、自分の人間性を最大限晒した先に、マネジメントの面白さがある。
腹を割って、じっくりと話す。
それを繰り返していく。
その先にそれはたぶん見えるはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
信頼関係の構築のタイミングが異なる、というのは自分の中では大きな気付きでした(多くの人には当たり前のことなのかもしれませんが…)。
文章で書くのは難しいのですが、感覚的には「先の方で追いついてくるのを待っている」ような感じ(僕の方が先に信頼関係ができたと思ってしまうので)です。
それまでは特に距離を詰めることなく、ただ待っておく。
追いついてきたら、もう少し深い話をしていく。
そんな感じで部下と接するようにしています。
究極的には、僕は他人にあまり興味がないですし、冷たい人間だと思うのですが、だからこそそれが上手くできた時には望外の喜びがあります。
期待せずに期待しながら、淡々といい仕事をしていきましょう。