犬型メンバーと猫型メンバー

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両者の特徴を捉えて接する

メンバーには2種類いる。

犬型メンバー猫型メンバーだ。

犬型メンバーは、集団主義的で、リーダーに忠実で、積極的に関わろうとするタイプ。

猫型メンバーは、個人主義的で、独立独歩で、こちらからのアプローチが必要なタイプ。

どっちが良いとか悪いとかではなくて、それぞれの特徴を捉えて接することで、良好な関係を築くことができる。

今日はそんな話をしてみよう。

ウケがいい犬型メンバーと周辺に追いやられる猫型メンバー

組織(集団)で働いているという基本条件から考えると、犬型メンバーの方が「ウケがいい」というのがまずベースとしてある。

マネージャーをリーダーとして尊重し、その指示に忠実に従い、積極的に関与しようとするからだ。

マネージャーからしてみても、このようなメンバーは可愛げがあるし、自分のことも尊重してくれるし、指示は守ってくれるし、良いこと尽くめのように思える。

みんなが犬型メンバーだったらいいのに。

そう思うマネージャーも多いだろう。

一方、猫型メンバーは、自分勝手だし、こちらの言うことも聞いたり聞かなかったりするし、気分屋であったりもするから、扱いが難しい。

こちらから積極的に関わろうとしても、反対にウザがられてしまったり、「今はそういう気分じゃないんで」というような感じで冷たくあしらわれてしまったりする。

誰だって関心を持って欲しいけれど…

結果として、犬型メンバーが重用されて、猫型メンバーは周辺に位置するような感じになる。

経験上、ある一定年齢以上のマネージャーにおいて、この傾向は顕著になるように感じる。

誰だって、自分に関心を持ってくれる人の方がこちらも関心を持ちたいと思うし、自分を尊重してくれる人の方が可愛いと思うものだ。

もしかしたら、家庭での尊重具合に反比例して、犬型メンバーを可愛がってしまうのかもしれない、なんて穿ったことを考えてしまったりもする。

「でも、ちょっと待ってよ」というのが今回の本旨となる。

それぞれのバランスを取ることが大事だ、ということを以降に書いていく。

同質性は危うい

僕は「同質性」を危ういものと捉えている。

集団が一つになろうとすればするほど、変化には脆いものだというように考えている。

組織というのは、その設立要件からして、求心的になるという慣性の法則を持っている。

朱に交われば赤くなるではないけれど、同じメンバーと同じように仕事をすることで、同質性がどんどんと増していく。

そしてそうでないものを排除しようとする。

同質性を確かめ合うことで、僕らは自分達の仲間を判断し、異質なものを敵だと認識することで、集団の求心力を高めていく。

内と外。

それを分かつにはできるだけ同じような思考を持つ犬型メンバーの方が望ましい。

猫型メンバーは集団を分断する存在のように思えるからだ。

異端分子のように思えるからだ。

だから周辺に追いやるべきである、そんな風に考えるマネージャーも多いだろう。

異端分子がいた方が変化に強い

一体感というのはチーム運営上確かに必要なことだと思う。

特に昭和時代におけるような、熱を帯びた成功体験を持っているマネージャーにとっては、「みんなが一つになること」が何よりも重要なように思えるのだろう。

部活や文化祭のような盛り上がり。

そういうものがチームの成果を高めるというのは一理あるし、自分のチームもそうあって欲しい、そうすべきだ、と思うのも無理はないと思う。

でも、だ。

僕の考えは少し異なる。

異分子がいた方が変化に強い。

違う考えを持った者がいる方が、激動の時代には耐えられる。

もう少し詳しく書いていく。

恐竜が絶滅し、哺乳類が栄えた

僕はマネジメントを生物学的に捉えている。

遺伝子交配によって様々な特徴が生まれるように、そしてその特徴があることである時代には不適合であっても次の時代には生き残っていける(恐竜が絶滅し、哺乳類が栄えた)、というような観点からマネジメントを考えている。

特に変化の速い現代においては、多様性というのは不可欠なものだ。

それは表面上言われている綺麗事の類ではなくて、真の意味で僕は様々な考え方があった方が良いと思っている。

僕の言うことなんて聞かなくていい(一定の限度内において)。

会社の方針なんて従わなくていい(一定の限度内において)。

様々な考え方があって、それぞれが最適だと思うやり方を行うことが結果としてチームを強くする。

僕はそんな風に考えている。

贔屓がないチーム

自分が猫型メンバーであったこともあってか、僕は犬型メンバーも猫型メンバーもどちらとも一定の距離を置いている。

犬型メンバーは媚を売りがちという欠点があるけれど、それにも巻き込まれないで済むし、一方で猫型メンバーは僕の孤独性みたいなものに共感してくれてもいる。

「ひとりはみんなのために」みたいな全体主義的な考え方がそもそも好きではないし、仕事における人間関係はあくまでも仕事における人間関係に過ぎない、とも思っている。

そういう意味では僕はとても冷たくドライな人間でもある。

でも、僕のチームには「贔屓」というものがない。

フェアな競争条件がそこにある。

価値観の問題、と言われてしまえばそれまでなのだろうけれど、時代は段々とそういう方向に動いているような気もしている。

大事なのは一体感ではない。

綺麗事だけの多様性でもない。

それぞれが自分の特徴を活かすことができるようなチーム。

それこそが成果に繋がるのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

フェアネス、というのが僕のマネージャーとしての特徴なのではないか、と最近考えています。

もちろん僕も人間なので部下の好き嫌いはありますが、それとこれとは仕事は別である、という考え方が根底にあります。

できるだけ競争条件を揃えて、成果で判断するダメだったらまた来期頑張ればいいじゃない)、というのが僕なりの公平性です。

どのメンバーとも等距離であるというマイナス面もありますが、チーム全体の生産性を上げる為にはとても重要な要素ですし、今までのところとても効果的に機能しています。

参考にしていただけたら幸いです。