進歩しない組織

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戦時中の大本営と何も変わらない

日本の組織は戦時中から何一つ進歩していない。

今日はそんな書き出しで文章を始めてみる。

僕は日本のこの30年に亘る停滞を打破するカギは、マネジメント力の向上であると思っているのだけれど、どうやらそれはまだまだ難しそうである。

というのも、日本の組織は戦時中の大本営と何ら変わっていないような気がするからだ。

現場の情報は中枢には伝わらない。

仮に伝わったとしても理解ができない。

それが日本の組織における大きな問題である。

僕たちは南の島で孤独な戦いを続けている。

補給もなく、戦力の補充もないまま、巨大な物量の差に押しつぶされて配色濃厚である。

でも、伝わるのは「連戦連勝」という虚しい言葉だけ。

今日はそんな話をしていく。

感情のない表情

僕は現場のマネージャー仕事をもう6年以上続けている。

その期間を経て僕が思うのは、現場と本社というのはこんなにも離れているものなのか、という虚しさである。

徒労感というか。

まるで違う会社であるかのように、僕たちの言葉は彼らには理解できないようである。

というか、そもそもの言語体系が違うのだろう。

僕は彼らの感情のない表情を見るたびに、自分の言っていることがこれだけ通じない人が世の中にはいるのだ、ということを痛感することになる。

以前であれば、それでも言葉を尽くして理解してもらおうという気概があったのだけれど、最近はそれすらもできないくらい気力が失われてきている。

そしてたぶんそれはきっと当社に限ったことではないのだろう。

きっとあなたの組織もそうだろう?

メディアを通して語られる組織に関する報道の殆どが、デジャブのように僕には感じられる。

日本人が日本人の組織を作ると、皆似たものが出来上がる。

そしてどのどれもが有効的なものではない。

それを僕たちは理解しているのだろうか?

仮に現場が理解しているとして、どの辺でそれは理解されなくなるのだろうか?

僕にはよくわからない。

僕たちは「理想の組織」で働き続けている(笑)

正しい情報は分断される。

こちらからの情報も向こうからの情報も、一定の回数を重ねると、元々の問題意識がその中から失われることになる。

まるで伝言ゲームのように。

結果伝わるものは、耳触りの良い当たり障りのない情報だけである。

それ以上のものに触れることはタブーとされる。

いや、タブーというか、意識すらしていないのだ。

無意識的に消去してしまう。

存在してはいけないものは、存在しなかったことにされる。

そうやって、僕たちは「理想の組織」の中で仕事をしている。

竹槍と精神主義と

僕たちは常に勝ち続けている。

本当はもう餓死寸前であるのに。

僕はマラリアにかかり、食料も尽き果てる中で、来るともわからない敵軍を待ち構えている。

手には竹槍を持って。

信念があれば、精神力があれば、それで戦車も突き破れるのだ、と大本営は言う。

そんなものかな、と僕は思う。

僕は小隊を率い、大本営の言う通りのやり方で、部下達と共に戦車に向かっていく。

当然ながら部下達は無残に殺されていく。

簡単に吹き飛ばされていく。

僕は命からがら逃げてきて、それを大本営に報告する。

彼らは言う。

「気持ちが足りないから、そうなるのだ」と。

そんなものかな、と僕は思う。

新しく届いた、最新式竹槍と彼らが言うものを手に、僕は塹壕から飛び出て戦車に向かっていく。

結果は、言うまでもない。

ただの無駄死に

僕たちの死は、大勝利という形を持って大本営に伝えられる。

別の南の島にいる、他の小隊に「素晴らしい事例」として紹介される。

そしてその小隊も同じように玉砕を続ける。

正しい情報はいつも伝わらない。

精神力以外の武器を僕たちは与えられないまま、戦略も戦術もないまま、ただ無駄死にを続けるだけ。

それが現代の組織においても継続している。

僕はそんな風に思っている。

無謀を勇敢と呼ぶなかれ

下らない内部の論理、セクショナリズムによるどうでもいい張り合い、縄張り争いの結果、僕たちはずっと敗色濃厚の戦いを続けている。

それを勇敢と呼ぶなかれ。

ただ無謀なだけである。

現実と願望は違う。

願えば叶うなんてことは起こらない。

気持ちがあればどうにかなるなんてことはない。

適切なマネジメントを

僕たちに必要なのは、適切なマネジメントである。

できることできないことをきちんと見極め、重点を置く分野と捨てる分野をきちんと選別し、戦力を投入すること。

勝ち筋を見つけること。

それがマネジメントである。

建設的な議論は生意気だと封殺される

「全部勝つ」なんてことは不可能である。

それは「何も考えていない」のと同義であるのに、誰もそれを指摘することはできない。

建設的な議論など存在しない。

あるのは、「生意気な反論」と彼らが呼ぶものだけ。

でも果たしてそれでいいのだろうか?

成功体験とは?

それで成功しているのであれば、僕に言うべきことはない。

今のやり方をバージョンアップさせていけばいい。

でも、30年間停滞を続けている日本において、それを続ける意味が僕にはわからない。

彼らの言う成功体験というものが、具体的に何を指しているのか、僕には今一つピンと来ないのだ。

僕たちの世代が、もう少し組織の中枢に近づけたら、組織を変えることができるのだろうか?

それとも、それはただの夢想に終わるのだろうか?

僕にはよくわからない。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

マネジメント不全の状況を少しでも変えたい。

その為に僕の経験が何らかの役に立って欲しい。

僕はそんな思いでこのブログを書いています。

誰に届くのか、どこに需要があるのか、僕には未だにわからないままです。

でも、もし、世界のどこかに同じように苦闘している方がいるのなら、僕も同じように戦い続けているということだけは伝えたいと思っています。

僕たちは違う南の島で、勝ち目のない戦いを続けているだけなのでしょう。

それでも、どうにか生き延びて、どこかで酒でも酌み交わすことができたらと思っています。

共に頑張りましょう。