徒党を組むな

お腰につけたきびだんご

お山の大将になりたがるマネージャーがたくさんいる。

僕はそれを見るたびにウンザリする。

そんなに仲間が欲しいのか、と。

いや、僕だって仲間は欲しい。

でも、権力を元に無理やり仲間にするのではなく、自然と仲間になることが大事なのではないか、と僕は思っているのだ。

上司から言い寄られて、「いや、あなたのことは尊敬していないので、仲間にはなれません」と断れる部下はいない(いたとしたら、なかなかイカレた人物である)。

だから、仲間の「質」が重要なのだけれど、それを理解している人はそんなに多くないように思える。

今日はそんな話だ。

職場の人間関係は権力を伴うから厄介

部下に慕われたい。

その感情はとてもよくわかる。

でも、恋愛と同じで、慕われたいと思っても慕われる訳ではない。

近づいていくと、逆に心が遠ざかる場合がある。

そんなものは人間関係においては当たり前のことだと僕は思うのだけれど、職場の人間関係が厄介なのは、ここに権力関係が発生することである。

人の振り見て我が振り直します

上司と部下というパワーバランスにおいて、上司が「慕え!」とすごんだ時に、表立って「慕えません! だって…」と言える部下はそうそういない。

もちろん、心の中ではそういう上司に対して唾を吐きかけているのだけれど、表面上はまあ何とか良好な関係性を築こうと努力するはずである。

これに甘えてはいけない。

表面的な友好の表情を鵜呑みにしてはいけない。

間違えても、「オレはみんなに好かれている!」などと公言してはならない。

いや、冗談みたいな話だけれど、結構いるのだ。

その人が不在の時の罵詈雑言。

陰口のオンパレード。

その苛烈さに、さすがの僕でも同情を禁じ得なくなる。

上司は嫌われるもの。だけど…

多少のフォローをしておくと、上司というのはその性質上、部下からは嫌われることをしなければならないものである。

厳しいことを言ったり、叱ったり、嫌な仕事をさせたり、その他諸々、とにかく嫌われる要素はたくさんある仕事である。

でも、根本的な人間性がちゃんとしていれば、ある程度以上嫌われることはない。

僕はそう思っている。

ただ、そうでない人もいる。

そして、その大体の人が徒党を組みたがる人達なのである。

部下との関係性は普通でいい

僕は何度も、マネージャーと部下の関係性は「普通」でいい、とこのブログ内で言ってきている。

それは本当にそう思うからである。

そして、真摯に仕事をしていれば、こちらから能動的に働きかけなくても、部下が寄ってくるものなのである。

それを我慢できずに、自分から仕掛けていけば、そりゃ嫌われる。

なぜそれがわからないのだろうか?

パワハラ型マネージャーは地下に潜っただけ

この4月からパワハラ防止法が中小企業にも適用されるようになった。

僕はパワハラは論外だと思っているけれど、表立ってパワハラが取り締まられるようになってから、パワハラ型マネージャー達が地下に潜るようになったことに懸念を抱いている。

結局のところ、人間の性質は変わらない。

ただ、見えないところでパワハラが行われるようになっただけだ。

オレ達は仲間だよなという強制

最近多いのは、今回のテーマとも関係しているけれど、「仲間感」を装うハラスメントである。

これは国際政治を想像してもらえればすぐ分かると思うけれど、内と外に分けて、内は「仲間」、外は「敵」とすることで、求心力を高めようとする行為である。

冒頭にも書いたように、本当に仲間なのであれば何も言うことはない。

でも、往々にして、リーダーに自信がないから、仲間を求めようとするものなのである。

知らぬはマネージャーのみ

マネージャーは手応えを感じづらい仕事である。

特に部下からの信頼というものは分かりづらい。

また、その信頼度というのも日々変化する。

だから、手っ取り早く「仲間感」を演出することで、信頼を目に見える形にしたくなる。

その気持ちはわからないでもない。

でも、である。

大抵のメンバーは、上司のその行動の浅はかさに気づいている。

底の浅さ、器の小ささに勘づいている。

知らないのはマネージャーだけである。

逃げると本当の実力は身に付かない

自分で言うのも何であるけれど、マネージャーが信頼されるようになるためには、本当の意味での実力や人間力が試される。

地力というか、本質というか、ハリボテではないものが求められる。

それに比して卑小な自分を大きく見せたい欲求はよくわかる。

その方が手っ取り早いし、本質を良くするというのは大きな困難を伴うからだ。

ただ、それはやめたほうがいい。

本当の実力を身に付ける機会を逸してしまうからである。

自分は騙せない

特にマネージャー初任者であれば、苦難な道かもしれないけれど、そのままの自分、ありのままの自分でぶつかり、挫折する経験が必要であると僕は思う。

もちろん騙すことはできる

ある程度の演者であれば、誤魔化すことは容易だろう。

でも、自分は騙せない。

結果、虚飾に塗れた自分と、本来の自分の乖離が大きくなっていく。

それも、本来の自分が成長しない状態で。

それはなかなか厳しいと思う。

早晩壁にぶち当たる。

その時に本質を高めようと思っても、もう手遅れなのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

リモートワークが当たり前になってから、「会いたい人」が峻別されるようになったな、と思っています。

これは僕自身もそうで、コロナ以前の世界においてはそこまで厳密に線引きをしていなかったのですが、コロナ以後はそれが顕著になったと感じています。

そして大体の上司というのは、「会いたくない人」「会わなくてもいい人」に分類されてしまうものです。

僕はそれでいいと思っているのですが、多くのマネージャーはそうではなく、「会いたいと思えよ!」とすごんでいて、その結果更に嫌われていっているようです。

リアルに会うという貴重な機会に自分を選んでもらう、というのは上司とか部下とか関係なく、単純にその人が魅力的かどうかに左右されます。

本質的な部分に拘っていきましょう。