病まないマネジメント
マネージャーは病的であるのがデフォルト
周囲を見回してみると、病的なマネージャーが多いことに気付いてぎょっとすることがある。
たぶん彼ら(彼女ら)は正常だと思っているのだろうけれど、僕から見たら明らかに異常なので、そのコントラストが余計に際立つのかもしれない。
会社全体としても、「マネージャーというのはそういうものだ」というコンセンサスがあるような気もしている。
そんな中で「病まない」ためにはどうしたらよいのか、を今日は書いていこうと思う。
頑張ると病むぜ?
マネジメント業は構造的に病む確率が高い仕事であると思う。
特にミドルマネージャーは、上からのプレッシャーと下からの突き上げに右往左往しながら仕事をする羽目になるので、その傾向が更に強い。
真面目なマネージャーほど、この両方に対して真摯に応えようとする。
でも両者の乖離は大きいことが多い。
だからその隙間を自分の努力で埋めようと頑張ってしまう。
それも限界を超えて。
結果、病んでしまう。
僕はそんな風に考えている。
偏執的で不機嫌なマネージャーたち
ここで言う「病む」というのは、色々な症例(病態)があるのだけれど、一般的な傾向として「偏執的」というのがある。
何というか、頑ななのである。
あるポイントに差し掛かると、スイッチが入ってしまい、抑制が効かなくなる。
そして概して不機嫌である。
しかしまわりこまれてしまった!
彼ら(彼女ら)は、自覚もなく他者を攻撃し、それも執拗に攻撃し、たちの悪いことにそれを「良いこと」だと思っている。
僕はできるだけこの手の人達に近づかないように暮らしていきたいのだけれど、この手の人達は向こう側から近づいてくるので、完全に避けるのも難しいのが現実である。
運悪く出会ってしまった場合は、取り敢えず「にげる」コマンドを連打する(これは以前書いたことだ)。
そうやって、病魔から逃れることが大事である。
というのは、不機嫌は感染するから。
職場に不機嫌なマネージャーがいると、メンバーは確実に不機嫌になる。
不機嫌なメンバーが増えると、職場は確実にギスギスし始める。
メンタル不調を起こしたり、仕事を休みがちになったりするものが出始める。
でも当のマネージャーは素知らぬ顔である。
間違ったマネージャーを褒めるのをやめようぜ?
僕がこのブログを書いている目的の1つに、間違ったマネージャーを褒めるのをやめよう、という考え方がある。
それぞれがマネジメントというものをきちんと考えて、昭和的マネージャーを絶滅させることによって、社会全体の活力を向上させたい、ということを夢想している。
病んでいるマネージャーはやっぱり異常である。
それを許容したり、奨励したりする会社はやっぱり異常である。
それが当たり前の状態になって欲しい。
僕はそう願っている。
社内的な評価に固執しない
冒頭の話に戻る。
「病まない」ためにはどうしたらよいのか?
社内的評価に固執しないこと、これ一択である。
マネージャーをやっていて思うのは、評価の尺度が社内に集中している、ということである。
僕は営業のマネージャーであるが、それでもその傾向が強いのだから、他の職種であれば尚更だろう。
プレイヤーの時は、外部の会社(お客さまなど)の評価も加味されているのが当たり前であったけれど、マネージャーとなるとなかなかそうもいかない。
結局は、上記した上司と部下からの評価に自分の評価が左右されることになる。
だから皆疲れて病んでしまうのだ。
全方位に気を遣い、いい顔をしなくてはならないから。
そしてそれが自分のポリシーとは異なることが多いから。
河を渡る
僕は数多くのマネージャー達が「あっち側」へ行ってしまった瞬間を目撃している。
皆初めは志高く、前向きに仕事をしようとしているのだ。
でもそれがある瞬間から変わってしまう。
それは不幸なことであるけれど、少なからず自己防衛的な意味合いがあると僕は思っている。
何だかんだ言って、彼ら(彼女ら)はやっぱり社内的に認められたいのだ。
その(僕からすれば)雑念を捨てることはできないのだ。
だから挙動がおかしくなる。
病んだり、自殺したりする。
仕事なんてたかが仕事に過ぎない
先進国の中で自殺者数トップの日本で、マネージャーを続けるというのはなかなか厳しいことである。
真面目な人ほど、この陥穽に嵌り易い。
だから気をつけて欲しい。
ヤバいな、と思ったら、そこで踏みとどまって欲しい。
仕事なんてたかが仕事に過ぎないのだ。
社内的評価などクソの役にも立たないのだ。
そうやって割り切ってしまえばいい。
自分を相対化することの重要性
もちろん僕だってそこまでできた人間ではないので、色々な執着はある。
煩悩を捨てきることはできない。
でも、薄めることはできるはずである。
会社人間にならないように、サードプレイス的な、あなたを肩書で評価しないコミュニティを作っておくことが大事である(これはいじめ問題に対しても同様だ)。
趣味の集まりでも、ボランティアでも、副業でも何でもいい(僕みたいにブログを書いたっていい)。
あなたがその会社におけるあなたでなくいられる場所を構築するべきだ。
そうやって自らを相対化していく。
その中で、できるだけいい仕事をしようと励む。
そうすれば、病む確率は大きく下げられるはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
会社人間、というのは明らかに異常な状態であると僕は思うのですが、日本ではこれが尊いものだと思われています。
どうやら僕たちのメンタリティの中には、中心的なものに尽くすことに美徳を感じる、というプログラミングがされているようです。
そこから如何に逃れるか?
多くのおじさん達が退職後に急速に萎れてしまう社会は、明らかに病的だと思うのですが、どうもそう思う人は少なそうです。
自分を相対化して、人生を謳歌していきましょう。