良い文化を継承させる
高い成果を継続して出す為の仕組み
短期的な成果を上げることは簡単、長期的な成果を上げることは難しい。
マネジメントに限ったことではないけれど、それが基本だと僕は思っている。
スポーツでもそうであるが、「連覇」に価値があるのは、違う状況・違うメンバー構成であったとしても、同じように高い成果を出せる仕組みを持っており、その仕組みこそが成果に繋がっていることがわかるからである。
ましてや、それが3連覇、5連覇、10連覇ともなると、もう本当に凄まじいことである。
では、それはどのようにすれば実現できるのか?
実現できなくとも、実現の可能性を高く保てるのか?
答えは文化である。
良い文化を継承させることである。
今日は文化について書いていく。
脳死状態で成果が上がる自動化を目指して
僕は自動化に興味がある。
何も考えなくても、脳負荷がなくても、勝手に望ましい状況が達成されることが良いと考えている。
最近「再現性」という言葉が持て囃されているけれど(正直僕はあまり好きな言葉ではないが…)、自動化というのは再現性を担保する考え方でもある。
要は、マネージャーが誰であれ、会社の状況がどうであれ、メンバーに入れ替わりがあったとしても、安定して高い成果が上がるような状況を作りたいと思っている。
もちろん、最初の段階では、人為的に手を入れることが必要ではある。
ただ、ある程度進んだ時には、手を放して、勝手に進んでいくことを僕は望んでいるのだ。
自分の存在をアピールしたい人ばかり
ここには、「マネージャーの関与」に対する価値観がある。
どうやら多くのマネージャー達は、「自分の手柄」であることを必要以上に表現したいようである。
その為に、自動化よりも手動化を望んでいるように僕には見える。
自分で仕事を抱え込み、部下の仕事を1から10まで管理することで、「オレがいなくちゃダメなんだよな」と声高に主張しているように思えるのだ。
自由に走れるようになった後、補助輪は邪魔になるだけ
三輪車から自転車に切り替える時に補助輪は必要であるけれど、自転車で自由に走れるようになった後には補助輪は邪魔になるだけである。
そんな簡単なことをできないマネージャーは多い。
いつまでも自分の手の中でコントロールしたいという欲求から逃れられないようである。
それをやめる。
でも、そんなことしたら自転車は暴走してしまうのではないか?
その心配はわかる。
その際のガードレールとなるのが、「文化」である。
マネージャーに人事権はない。ではどうする?
良い文化は、良いメンバーから生まれる。
そういう意味では、採用はとても大事な仕事である。
チームの中に1人でも変な人がいると、途端に雰囲気が悪くなるのは、この文化が「濁る」ことが関係している。
ただ、(僕もそうであるけれど)現場のいちマネージャーには採用権限も人事権限もないことが普通であるだろう。
決められたメンバーで戦うことを求められる。
そこには(当然ながら)変な人もいる。
良い文化へ流れを少しずつ変える
ではどうやって高い成果を出すのか?
良いメンバーがいれば、良い文化が自然と醸成される。
そうでない場合には、そうでない文化が自然と醸成される。
その流れを少しだけ変える。
そして少しずつ良い文化に変えていく。
それを継承させていく。
それが今日の話である。
1人の味方を見つけよう
良い文化に変えることは結構な難事業である。
ましてや元々の文化が酷いものである場合には、困難を極める。
それは確かである。
ただ、全く不可能であるかと言えば、そうでもない。
チームの中に1人でも良いメンバーがいれば、それを変えていくことは可能なのだ。
「1人の味方を見つけよう」というのはそういう趣旨で書いたものである。
小さな良い文化を守り、高い成果を上げる
まずはチームの中にマネージャーの賛同者を見つける。
そこで小さな良い文化を作る。
日本人的同調圧力がある中では、その良い文化の種火を守ることは難しい。
でも、「我関せず」という顔をしているメンバーの中にも、心の中では賛同している人は必ずいるのである。
ただ、周囲の目が気になって表現できなかったり、そもそもが事なかれ主義であったりして、顕在化してこないだけなのだ。
だから、取り敢えずその1人の味方と高い成果を上げる。
チーム単位の成果がボロボロであったとしても、その個人の成果が高いものであれば、傍観者たちの意識は確実に変わっていく。
すぐには変わらなくても、興味を引くことができる。
そうやってチームの中に少しずつ味方を増やしていくのだ。
走り出したら後は任せてしまえばいい
良い文化というのは緩やかに伝播していく。
チームの中で良い文化がある程度根付くと、メンバー間で良い文化を育てていこうという意識が生まれるようになる。
三輪車の例えで言うなら、補助輪が外れる時期がここである。
後は勝手にメンバーに任せておけばいい。
マネージャーはその支援だけを行えば良い。
そうすれば、メンバーが変わっても文化が勝手に継承されていくのである。
強権的政治体制は管理コストを考量しているか?
性善説に基づいたチームマネジメントは、管理コストを極小化できる。
でも、多くのマネージャー達は、監視カメラ満載のSF的恐怖政治が望ましいと考えているようである。
強権的政治組織が一見効率的に見えるのは、そこで支払っている管理コストを考量していないからであることに、マネージャー達は早く気づくべきだ。
自動化は楽だぜ?
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
性善説に基づくマネジメントは軌道に乗るととても楽です。
構築するまでは大変ですが、一旦走り出すと勝手に成果が上がるようになります。
自動化をイメージしながら、1歩1歩進んでいきましょう。